第十五話 次につなぐために
またしても眠気に耐えながら、畑仕事をこなして、一日をやり過ごし、私は夜を迎える。ジャノメイだって、政務を怠らなかったのだ。私も負けないぞ、と。
深夜、指定された離れに行くと、セピイおばさんは言った。「やっぱり予定変更だ。場所を替えるよ」
で結局、昨夜と同じ、一番端の離れに私たちは移る。二夜連続で同じ離れを使うなんて、今回が初めてだ。
入る直前に、私も周囲の暗がりに目を凝らしてしまう。しかし、誰かが潜んでいそうには見えない。
「人の気配があったわけじゃないんだ。ただ、よくよく考えたら、今回は貴族の秘め事が多くてね」
暗い離れの中で座りながら、セピイおばさんが説明した。
「秘め事」
私も座りながら、思わずつぶやく。誰の、と尋ねたいところだが、それは急かし過ぎだ。
「慌てなさんな、いずれ分かるんだから。
さて、昨日の夜は、ジャノメイ様の結婚が上手くいったところまで話したね」
上手くいき過ぎ、とか茶化したりせずに、私は背筋を伸ばして、聞く体勢に入った。
「ジャノメイ様がアン・ダッピア様とツッジャム城で暮らすようになって、何ヶ月くらい経ったかねえ。とにかく、若いお二人が城主夫妻としての生活に慣れただろうと、誰もが考えるような頃だ。
あの時も天気が良かったよ。外城壁の中庭に女中とか使用人とか、騎士様や兵士を含めて、城詰めのほとんどが召集された。門番や城壁の上の見張りだけは職務続行。たしか後で仲間たちや上役から話を聞く、という予定だったろう。
アンディン様とキオッフィーヌ様がみんなの前に立って。ジャッカルゴ様と、お腹が膨らんだヘミーチカ様は、その脇に並んでいた。
そうそう。結婚以来、城に寝泊まりせずに時々通って来る、イリーデやスカーレットさんも、それぞれの旦那さんと参列したよ。
で、皆が注目する中、アンディン様が、ついに宣言なさった。奥方キオッフィーヌ様を連れて、都アガスプスに移ると。前々からヌビ家党首としての立場、メレディーンの城主としての立場は、ご長男ジャッカルゴ様に譲っておられたんだが。いよいよ、城や領地など何もかも、すっかり渡してしまおうってわけさ」
セピイおばさんは、そこで言葉を区切った。私は何も言えない。へええ、すら出ない。城や領地を丸ごと引き渡すなんて、やっぱり雲の上の人たちの話だ。
「聞かされたみんなも、今のあんたみたいに、驚いて言葉も無かったよ。
アンディン様は詳しく説明しなさった。都アガスプスの城下町に屋敷を用意した、と。そこから時折り宮殿に上がって、王族の方々の話し相手を務める。同時に、宮殿で得た情報は、ヌビ家の新党首であるジャッカルゴ様に逐一、伝える段取りだ、とね」
「王族かあ。でも新しい王様のアダムは、どちらかと言えば、ジャッカルゴの方と気が合うんじゃないの?」
「もちろん、そうだが。かと言って、党首になったばかりのジャッカルゴ様が頻繁にメレディーンを離れるのも、良くないよ。
そこで、アンディン様が仲介するわけさ。
それだけじゃない。アンディン様は主に、新王陛下の叔父叔母にあたる方々のお相手をするつもりだった。と言うより、亡き先王様の弟や妹、かつての王弟様たちだね」
私は、ふーん、と言いかけて、呑み込んだ。セピイおばさんが私の目を覗き込んでいる。何があるんだっけ。あっ。
「ちょ、ちょっと待って、おばさん。
前の王弟たちって、キオッフィーヌのお父さんも含まれているんじゃ。つまり、アンディンのお舅さん」
「思い出したね。それだよ。アンディン様は特に、ご自分のお舅さん、お姑さんをお相手しようと考えたんだ。先王様は亡くなったが、キオッフィーヌ様のご両親は、まだ健在だった」
「でも、そのお舅さんって、以前オペイクスを宮殿でからかった、あの王弟でしょ。しかも、そんな事をしたのは、アンディンに対する当てつけだって。そう推測したのはアンディン自身だったじゃない。それなのに、その話し相手を買って出るって言うの?」
「ああ、そうだよ。あえて買って出るんだ。
あの時はアンディン様の宣言を聞きながら、私も、あんたみたいにいろいろと考えを巡らせたよ。
そして、オペイクス様に視線を送った。オペイクス様は、アンディン様ご夫妻の少し後ろ、ジャッカルゴ様たちと反対側の脇に立っておられた。
オペイクス様は口元を真横にキュッと引き締めていて。私に気づくと、ほんの少しだが、顎を左右に動かした。『言うな』ということだろう、と私は受け取ったよ。もちろん、みんなの前で、アンディン様の心境を勝手に説明するなんて、私もするつもりはなかった。後でオペイクス様にだけ確認しよう、と思ったよ」
うーん、と私は唸らずにはいられなかった。
「アンディンはそのお舅さんに対して苦手意識を持っていた、と思うんだけど」
「まあ、そうだろう。しかし、アンディン様がそんな気持ちを、みんなに打ち明けるはずもない。代わりに、と言うか、その時、居合わせなかったジャノメイ様を引っぱり出した。『ジャノメイを見習って、私も奥を里帰りさせてやらねばならんのでな』と」
「な、なんか、言い訳っぽいような。アンディンにしては珍しいわね」
「きっと、ご自分に言い聞かせるための言い訳だったんだろう。
これに対して意見できるのは、ジャッカルゴ様くらいさ。ジャッカルゴ様は皆の前で、おっしゃった。『そんなに急がないで、孫の顔を見て行ってくれよ』と。
アンディン様は『逆に、産まれてから駆けつけるから、案ずるな』と笑って返していた。
ヘミーチカ様も遠慮しながらも、おっしゃるんだ。『何だか、お二人を追い出すようで、気が引けます』とね。
すると今度は、キオッフィーヌ様が笑みを浮かべて、顔を横に振りなさった。
『違いますよ、ヘミーチカさん。むしろ、ここに居る皆さんは、私たち二人を追い出さなければならないのです。
国王も替わって、多くの貴族家で代替わりが始まっています。
このヌビ家も、もう、あなたたちの時代に入ったのですよ』
私は、これを聞いて、また思うことがあった」
「ノコの言葉ね」私は、すかさず指摘した。
「そう。ツッジャムの時代、メレディーンの時代と、私に教えてくれたのはノコさんだ。だから今度は、ノコさんの顔をそっと見たんだが。
ノコさんは何人かの若い女中たちの向こうで、ロッテンロープさんと並んで立っていた。オペイクス様と違って、ノコさんは私の視線に気づかずに、真面目顔をキオッフィーヌ様たちに向けているだけだったよ」
こうして、メレディーン城の中庭での会合は済んだのだが。セピイおばさんは、その後でキオッフィーヌに呼ばれた、と言う。
「皆が解散する中、キオッフィーヌ様がヘミーチカ様と一緒に待っておられるところへ、私は進み出た。私だけじゃないよ、ノコさん、シルヴィアさん。それと、ヘミーチカ様がリブリュー家からお連れした女中たちのうち、二人も、だ。
キオッフィーヌ様は、まず私らの普段の働きを労ってから、私らにお命じになった。『これからは、メレディーン城の女たちの主人は、こちらのヘミーチカさんです。これまで以上に支えてくださいね』と。
もちろん私らは揃って、はい、と即答した。
私は、嬉しいような、それでいて緊張するような、内心、高揚していたよ。たしか、その時点で、私はツッジャム城からメレディーン城に移って、やっと三年くらいしか経っていなかったはずだ。そんな日の浅い私を、女中たちの代表の一人として見なしてもらえるなんて。あるいは、いろいろと危なっかしいから、釘を刺す意味で同席させたのか。いずれにせよ、気を引き締めなければ、と思ったもんさ」
セピイおばさんは、そこで一息ついた。
「そうやって、いろいろ考えながら、城内の歩廊を通って持ち場に戻っていたら、さ。前を歩いていたはずのシルヴィアさんと、ぶつかりそうになった。私が謝ろうとしたら、シルヴィアさんが逆に謝るんだよ。『やだ、私ったら。トロかったわね』なんて。
私は、この出来事を大して気にも留めず、昼間は仕事に没頭して、すっかり忘れていた。
ところが。その夜、晩餐の後の洗い物を済ませたところで、ノコさんから呼ばれたよ。物陰から低く抑えた声で、私を呼ぶんだ。それで私も察して、他の女中や使用人なんかに気づかれないように、そっと、その場を離れた。
ノコさんはズイズイ歩いて、外城壁の隅に私を連れて行ったね。私は、どんな説教を受けるのかと内心、構えたよ。
しかし、何のことはない。私じゃなくて、シルヴィアさんのことだった。ノコさんは周囲の陰なんかを気にしながら、小声でこんなふうに言った。
『今から私があんたに出す指令は、ヘミーチカ様から命じられたわけでも、キオッフィーヌ様から命じられたわけでもない。私の勝手な判断だからね。
いいかい、セピイ。シルヴィアの様子に気をつけるんだよ。少しでもおかしいと思うところがあったら、必ず私に報告しなさい。いいね』
それで私も思い出した。会合の後でシルヴィアさんにぶつかりそうになった事を。私が話すと、ノコさんは『そうだ。そういう事を教えとくれ』と言う。
で、話はそれだけ、と言わんばかりに、行きがけと同じ勢いで、ノコさんは去ろうとする。
私は慌てて追いすがって、事情を尋ねたよ。ノコさんは立ち止まってくれたが、数秒黙り込んだ挙句に『今は言えない』なんて答える。
私はよく分からないまま、翌日からシルヴィアさんの様子を注視したね。もちろん、本人に勘づかれないように、こっそりと、だが」
セピイおばさんは、また、ため息を挟んだ。私は、んん?、と不思議に思う。何だろう。きつい、恐ろしい内容ではなさそうなんだが。
「はじめ、シルヴィアさんの様子は普段と何も変わらないように見えたねえ。
しかし、よおく見ると、元気が無いような。
考えてみれば、親友のヴァイオレットさんが去って、スカーレットさんが顔を出す回数も減っていた。
しかし、その分、リブリュー家から来た女中たちとも気兼ねなくやり取りしていたし。シルヴィアさんのおかげで、私も彼女たちと一緒に仕事する機会が増えたくらいだよ。
それなのに、と言おうか。シルヴィアさんは時々ため息をつくようになっていた。
もちろんシルヴィアさんがため息をつく事なんて、それまでも幾らでもあったよ。オーカーさんたちとの雑談で、お仲間の言動に呆れて、ツッコみを入れる前後に、とかね。
でも、この頃は、そんなんじゃないんだ。私と並んで針仕事とかしている最中に、不意にシルヴィアさんの手が止まる。そして、ため息だよ。私から『どうかしましたか』と声をかけるまで、自分のぼんやりに気づかない事さえあった。
もちろん私は、それらをまとめて、ノコさんに報告したよ。でもノコさんは、あいかわらず事情を教えてくれなくて。
そうこうしているうちに、ついにアンディン様とキオッフィーヌ様が都へと旅立った。皆でお見送りしたよ。城詰めの者だけじゃない。メレディーン城下の主だった商人とか、司教とかも、お別れの挨拶にきてね。それに、イリーデとスカーレットさんも、それぞれの旦那さんに付き添われて、駆けつけたんだ。
それと、少し話がずれるが、アンディン様たちを見送りながら、オペイクス様がつぶやくようにおっしゃっていた。
『王族のお相手とは・・・アンディン様は最後の一仕事とお考えなのだろう』
とね」
セピイおばさんは例によって、盃を出して葡萄酒を注いだ。ほんのちょっとだけ。口を湿らせる程度か。
私ももらおうかと迷ったが、結局言えなかった。本当は、お酒じゃなくて、口をはさみたい気がする。しかし何と言ったらいいのか。シルヴィアは一体、どうしたんだろう。
「さてアンディン様ご夫妻が出て行かれて、三カ月ほどしたか。いよいよ、ヘミーチカ様が出産なさる日が近づいてきた。
当然、ジャッカルゴ様はお父上アンディン様にお知らせするべく、伝令を走らせようと手配するんだが。そこでノコさんがジャッカルゴ様たちに、こんなふうに提案したんだ。
『逆にこちらから、ご子息を披露しに都に行かれては、いかがですか。もちろん、ヘミーチカ様の産後の回復を待ってからですが』
その場に、と言っても、その時は内城廓の中庭だったんだが、居合わせた皆が驚いて、言葉も無く、ノコさんに注目したよ。
あくまでも女中に過ぎないノコさんが意見するなんて、それまであったか、どうか。アンディン様に対して意見したところなんか、誰も見た事が無かったし、ジャッカルゴ様に対しても、結局この一回きりだったろう。それくらい珍しい事なんだよ。
目を丸くしているジャッカルゴ様に、ノコさんは、さらに続けた。
『ジャッカルゴ様がご子息をお連れすれば、アンディン様が王族の方々とお会いする際の、格好の話題になるでしょう。
あるいは、その場にジャッカルゴ様たちも同席して、アンディン様から王族の方々にご子息を紹介していただく事もできるじゃありませんか。
いや、それより何より、ジャッカルゴ様もそのまま宮殿に上がって、アダム王陛下にご挨拶なされませ。ご子息に会っていただけるはずです』
ジャッカルゴ様は、なるほど、と唸って、この意見を容れた」
「た、たしかに。その手があったわね。せっかく都に行くんだし、できるだけの事をしないと、もったいないわ」と私。
セピイおばさんは満足げにうなずいてくれた。
「そして、その通りに事が進められたよ。赤ちゃんが無事に産まれて、ヘミーチカ様も一月半ほど静養なさって。その間に、都の城下町にあるリブリュー家の屋敷でヘミーチカ様のご両親と会う手筈まで整ったよ。
やがて、ヘミーチカ様と赤ちゃんのナタナエル様を乗せた馬車と、それを守る隊列を引き連れて、ジャッカルゴ様は出発した。あの日も青空が清々しい、良い天気だったねえ。
この時はオペイクス様だけでなく、イリーデの出産を控えたブラウネンも居残り組だった。
みんなでジャッカルゴ様たち一行を見送った後で城門に入る時に、ノコさんが大きくため息をついて、つぶやいたよ。
『はあ、アンディン様たちの転居に合わせて、私も引退するつもりだったんだがねえ』
そしたら、普段は動作の遅いはずのロッテンロープさんが聞きつけて、すかさず反応した。
『ちょいと、スージーっ。そんなこと言わないで、二人で死ぬまで女中を続けようって何回も言ったじゃないっ』
それでノコさんは『ぼやいただけだよ』とか返していた」
「スージーって、ノコのこと?」と私は確認する。
「そ。前にも説明したつもりだったが、やはり忘れていたか。普段は私らも、その名前で呼んだりしないからねえ。ロッテンロープさんだけが、その名前でノコさんを呼ぶんだ。
ちなみに、ノコさんを引き留めたのは、ロッテンロープさんだけじゃないよ。アンディン様もジャッカルゴ様も、だ」
「さては、赤ちゃんが大きくなるまで続けてくれ、とか言われたのね」
「ご明察」とセピイおばさん。
「さらに言えば、オペイクス様も引き留められていた。
アンディン様ご夫妻の転居に合わせて、オペイクス様も、ロミルチ城への転属を願い出たんだよ。
でもジャッカルゴ様が待ったをかけた。赤ちゃんのナタナエル様が大きくなった時に、最初に剣の稽古をつけるのは、オペイクス様であってほしいと。坊ちゃんがしっかり剣を振れるようになるまでは、パールさんの所へは定期的に墓参りするしかない、とさ」
「うーん。引き留められるのは大したもんだけど。パールの事を考えると、ちょっと、かわいそうな気もするなあ」と正直、私としては不満だった。
「仕方ないさ。ご党首様たちの頼みなんだし。それに、それまでの墓参りで、お墓がちゃんと在る事は確認できているんだ。お墓は逃げないだろ。パールさんは待ってくれるさ」
言いながらセピイおばさんは、また葡萄酒の皮袋を引っぱり出した。今回も一口だけ。本当は、おばさんも不満だったんだろう。
「まあ、ノコさんやオペイクス様の事情は、ともかく。私としては、その、ジャッカルゴ様たちを送り出した日の夜の事を、あんたに話したくてね。
実は、私は城内の仕事に戻りながら、気になる事があった。ノコさんからシルヴィアさんの動きに注意するように言われたが、この時は密かにノコさん本人にも気をつけていたんだ。
そしたら夜、晩餐も洗い物も終わって、誰も居なくなった炊事場で、ノコさんが一人、椅子に座っていた」
「あっ」私は、つい声を発してしまった。
「思い出してくれたかい。そう、ノコさんが私に、時代が変わった事を教えてくれた、あの夜と同じ状況だよ。
ただし、あの時と違って、ノコさんは長居しなかった。私と目が合うや『場所を変えるよ』と言って、席を立って。
ノコさんは私を連れて、しばらく城内の歩廊をうろうろしたよ。でも結局、場所を城壁の上に決めてね。ノコさんは、ぶつくさ言いながら階段を登ったもんさ。
城壁の上に出たら出たで、見張りの兵士から距離を取って、立つんだ。そして『やれやれ、月が綺麗だねえ』とか言って。
幸いと言うか、兵士はノコさんからお小言を喰らうとか警戒したのか、篝火を抱え上げて、こちらから、さらに距離を取ってくれた。
それでもノコさんは、声を抑えて言うんだ。『大きな声を出すんじゃないよ』と。ほとんど、ささやくような声でね。
『あんた。なんで私がアンディン様たちを呼び寄せたくなかったのか、気になったんだろう』
それで、私は正直にうなずいた」
「えっ」と、また私。「呼ぶ、呼ばない、じゃなくて、ジャッカルゴたち一家を都に行かせるためじゃなかったの?」
「もちろん、それも大事な用事だが。
ノコさんが提案した、あの時。私には、ノコさんがアンディン様ご夫妻を避けるというか、メレディーン城にお迎えするのを嫌がっているようにも見えたんだよ。当然、誰にも言わないつもりだったが、それをノコさん本人には、まんまと気づかれたってわけ」
「で、ノコは本当にアンディンたちを呼びたくなかった、と」
「ああ。ノコさんは、アンディン様をメレディーン城にお呼びするべきではない、という考えだった。『二度と呼ぶべきではない』とまで言ったよ、ノコさんは。
ノコさんが言うには『それ以前にアンディン様本人が来たがらないだろう』と。アンディン様がメレディーン城の誰かを嫌っているとかいう問題じゃないんだ。ご長男のジャッカルゴ様に譲ったからには、すっぱり手を引く。口も出さない。アンディン様は、そういう考え方をするお方だってね。
しかし。ノコさんとしては、それ以外にも懸念材料があった」
セピイおばさんは、そこで話を止めて、ふーっと息をついた。
「お、おばさん。これって問題?ノコの考えを推測しろってこと?」
「あ、ああっ、そんなつもりじゃないよ。誤解させたね。推測しようにも意外すぎて、私もできなかったんだ。気にしないでおくれ。
答えはね、シルヴィアさんだったよ」
「へ?」
「あんたも、やっぱり結びつかないか。
つまりは、こういうこと。ノコさんが見たところ、シルヴィアさんはアンディン様に惚れていたらしいんだよ」
私は、まず数秒ほど絶句した。
「え、えええっ。何それ。おばさん、本気で言っているの?シルヴィアは、ジャッカルゴと同世代で、アンディンとは親子ほど歳の差があるはずでしょ」
「全く、その通りだよ。だから私も、シルヴィアさんをそんなふうには見ていなかった。と言うより、誰も見ていなかっただろう。シルヴィアさんが、ご党首様に男として想いを寄せていたなんて。
でもノコさんに言わせると、そうなのさ。シルヴィアさんは上手いこと気持ちを隠しているように見えて、何気ない言葉の端々や、他の男たちへの接し方との差なんかに、気持ちが滲み出ていた、と。
しかも、ノコさんの指摘を聞いて、私も思い当たったんだ。シルヴィアさんが、なぜオペイクス様の話をあんなに聞きたがったのか。イリーデに睨まれるのも覚悟の上で。結局、シルヴィアさんはオペイクス様の話を聞くことで、そこに登場するアンディン様の話を聞きたかったのさ」
「あっ」私も思わず声が出てしまった。
「オーカーさんの口の軽さを事あるごとに注意したのも、アンディン様の方針を慮ってのことだ。
これで分かっただろ。ノコさんの推測に従うと、辻褄が合うんだよ。あれもこれも」
「シルヴィアが元気を失くした事とかも?」
「そう」
「え、えーっ。り、理屈は分かるんだけど」
私は言葉が続かなかった。ただ、ただ理解できなかった。シルヴィアの気持ちが。自分の父親ほど年上の男を意識するなんて。私だったら、あり得ない。おそらく、イリーデとオペイクスの歳の差どころじゃないはず。
セピイおばさんは、ため息をついてから、話を再開した。
「あんたも結構な驚きっぷりだね。私も声が出たもんで、ノコさんから口を塞がれたよ。
で、私からも、オペイクス様から体験談をお聞きした時のシルヴィアさんの様子なんかも報告した。もちろん小声で。
とは言え、そんな報告をして事態を把握し直したところで、私の驚きは収まらなかった。んだもんで、ノコさんから手短に叱られたよ。『驚いている場合じゃない』と。
それで私も我に返ると言うか、ようやく頭が回り出した。それで、逆にこちらからノコさんに質問したよ。『アンディン様は、シルヴィアさんの気持ちをご存じなのですか』と。
ノコさんは『見たところ、お気づきじゃないだろう』と答えた。『気づかないふりをなさっている可能性もあるが、どちらにしろ同じことさ』とね。そして『とにかく自分から教えて差し上げるつもりも、話題にするつもりもない』と付け加えた」
「や、やっぱり応援できないよね、これ」
「できるわけないさ。奥方のキオッフィーヌ様がおられるんだよ。私個人は、キオッフィーヌ様に拾っていただいた恩こそあれ、恨みなんか無い。もっと言えば、シルヴィアさんだって、特にキオッフィーヌ様を恨んでいたわけでもなかった、と思うんだが」
「でもシルヴィアはアンディンを好きになってしまった、と」
「そうなんだよ」
「はっ。それでノコは、もうシルヴィアにアンディンを会わせない方がいいと、アンディン夫妻をメレディーンに呼び寄せなかったの?」
「そういうこと」
ひえーっ。何と言ったらいいのやら、ますます分からなくなった。
セピイおばさんは私の驚きに構わず、話を続ける。
「ノコさんは私の頬っぺたをつねり上げて言ったよ。『誰にも言うじゃないよ』と。もちろん言うつもりなんかない。言えるわけがない。私は頬っぺたが痛いのも忘れて、夢中でうなずいた。
するとノコさんは、さらに言うんだ。『これからも自分に協力しろ』と。『ヌビ家と、その領内に住む住民たちのためと思って、協力しなさい。それが、あんた自身のためでもあることは、言わなくても分かるだろう』とね。
私は、これも了解した。それでノコさんは、ようやく私の頬っぺたをつねるのをやめてくれたんだ」
話しながら少し疲れたのか、セピイおばさんは、また息をついた。
「そ、そりゃあ、兵士にも誰にも聞かせられないわけだわ」私がやっと言えたのは、それだけだった。
「ああ、見張りの兵士には、お説教、終わりって小芝居を見せて、ごまかしたよ。で、二人して城壁を降りて、大人しく女中部屋へ戻った。
そしてノコさんは、もう何も言わず、床について目を閉じた。
でも私は、なかなか眠れなかったねえ。少し離れたところで先に寝ているシルヴィアさんの方を、何度もチラ見して。あんまりモゾモゾしていたら、シルヴィアさんどころか、他の女中たちを起こしてしまうんじゃないか、とか心配しながら。
プルーデンス。あんたは、私が前に話したシルヴィアさんの言葉を覚えているかい?」
セピイおばさんが急に私の目を覗き込んだ。
「ん。えーっと、どんな場面で」
「私が、あの人、モラハルトに犯されそうになって、ツッジャム城からメレディーン城に移ったばかりの頃さ」
「ええっと、それって、セピイおばさんがモラハルトを拒んだのは正しいって、シルヴィアが言ったこと?」
「そう、それだよ。眠れない私の頭ん中に、その時のシルヴィアさんの言葉や表情が蘇ったんだ」
「えっ、何で。シルヴィアとアンディンのことを考えるのに、モラハルトは関係無いんじゃないの?」
「たしかに本来なら、何の関係も無いさ。しかし、全く共通点が無いわけでもない。並べて考えごらん。私と、モラハルト。シルヴィアさんとアンディン様」
「あ。お城の女中と城主か」
「そう。立場の違いと組み合わせが、ちょうど同じなんだ。事件の有る無しとか、細々した違いはあるがね」
「で、でも、おばさんとモラハルトの事情と、シルヴィアとアンディンの事情を比べて、どうするの」
「どうするわけでもないよ。シルヴィアさんの心境を推察するのに、ついつい引き合いに出してしまったんだ。参考になるのか、自分でも半信半疑だったが。
そしたら自分でも、とんでもないことを考えてしまったよ」
セピイおばさんは、また、そこで重たい息をはさむ。私の目を見て数秒、黙る。セピイおばさんが迷っている。言うか、言うまいか。
でも、やはりセピイおばさんは言った。
「もしかしたら、シルヴィアさんは私を羨んでいたのかも。
モラハルトが私にしようとした事、あれほどではないにしても、アンディン様が自分に迫って来たら。自分を女と見なして、自分を求めてくださったら。
さらには、そんな想いを内に秘めながらも、私に対しては、モラハルトへの対応を肯定する言葉をくれたのだとしたら」
「え、ええーっ」
私は声を出してしまったものの、言葉が続かなかった。またしても。
セピイおばさんは、そんな私の続きを急かさない。じっと見つめて、待っている。
「ま、まさか」
言うな言うな、と心の中で自分の声が響いているのに、私は言ってしまう。
「アンディンから、その、されたいって思ったのかなあ、シルヴィアは」
「されたい、は言い過ぎだと思うが。されてもいい、くらいには思っていたのかもねえ」
答えた後で、セピイおばさんは私から目をそらして、窓の方を見た。物音なんてしていないのに。
私は何も言えない。
セピイおばさんは顔を前に戻した。
「私がモラハルトにした対応を、シルヴィアさんは認めてくれた。あの時のシルヴィアさんの言葉に、嘘は無かった、と私は今も思っているよ。同じ女として、シルヴィアさんのあの言葉に嘘は無い。ノコさんの推測を聞かされた後でも、私は、そう思う。そうとしか思えないよ。
しかし。それでいて、シルヴィアさんは同時にアンディン様をお慕いしていたんだろう。主人に対する尊敬、あるいは崇拝を、シルヴィアさんは、いつしか通り越してしまったんだ。心の中で」
「あっ」
また声が出てしまった。自分でも、びっくりしたが、言わずにはいられない。気づいたからには。
「も、もしかしてシルヴィアは・・・自分のアンディンに対する気持ちを、ずっと秘めておくつもりだったんじゃ」
悲しいような困ったような表情だったセピイおばさんの目に一瞬、光が灯った。
「鋭いじゃないか、プルーデンス。私は、それに気づくのに、一晩かかったよ。
そもそも、シルヴィアさんだって馬鹿じゃないんだ。何事もシャキシャキして、頭の回転の早い、あの人が無茶をするはずがない。そして実際、シルヴィアさんはしなかった。
ノコさんも後で言っていたっけねえ。
イリーデじゃないが、ノコさんも、シルヴィアさん達とオーカーさん達の五人組を嫌っていた。嫌いながらも、シルヴィアさんだけは認めていたんだ。シルヴィアさんとなら『まだ何とか会話が成り立つんじゃないか』と。『まともなやり取りが期待できそうだ』とね。
『ところが』と続けて、ノコさんは私にぼやいた。『蓋を開けて見りゃ、あの人が一番危なっかしいなんて。洒落にならない、と言うか、おめでたい話だよ。まあ、本人が心の蓋をしっかりと閉じているところだけが、せめてもの救いだ』なんてね」
セピイおばさんは、そこまで話して、また息をつく。さては当時のノコも、こんなふうに、ため息をつきまくっていたんだろうなあ。推測に過ぎなくても、そう思えてしまう。
「まあ、ノコさんのぼやきは、ともかく。話を戻して、翌朝の事さ。
いつも通り仕事を始めたら、大して時間も経たないうちに、ノコさんに物陰に呼ばれたよ。
何事かと思ったら、こう言われた。『作戦変更だ。あんたは、しばらくシルヴィアを見ないように』と。
つまりノコさんに言わせれば、私は顔に出ていたわけさ」
聞いた途端、私は「あー」と間の抜けた声をもらしてしまった。
「分かるわ、おばさん。私がおばさんの立場でも、やっぱり意識し過ぎて、ぎこちない態度になっていたと思う」
「そうか」とつぶやいて、セピイおばさんは、また窓の方を見た。
「さすがノコさんってところか」
セピイおばさんは、やっと笑みを見せてくれた。元気の無い笑みだったけど。
その後も、セピイおばさんの話は続いた。ただし、おばさんとしては「シルヴィアさんの事ばかり話すわけにもいかない」らしい。
まずは、新党首ジャッカルゴが不在中のメレディーン城の様子である。居残り組の者たちは不測の事態に備えて、気を引き締めていた。領内の各地、特にツッジャム城とロミルチ城に向けて、頻繁に伝令が走った。こちらから行かなくても、向こうからやって来る場合も少なくない。
密偵たちも陰で奔走していただろう、とセピイおばさんは推測していた。しかし推測するだけで、オペイクスとか親しい者に確認することは控えた。「それが加減というものだ」とセピイおばさんは私に教えてくれた。
さて、それら伝令や密偵の応対は当然、オペイクスら幹部たちの仕事であるわけだが。その詳しい内容がセピイおばさんなど女中たちのところまで降りてくることは、ほとんど無かった。
「と思いきや」とセピイおばさんは付け加える。
「ある時オペイクス様が、物陰から小声で私を呼ぶんだよ。私も合わせて、他の女中や使用人たちに気づかれないように、そばに寄った。するとオペイクス様は『ノコさんも呼んできてほしい』と言ってね。
私は、その通りにしたよ。さりげなく、その場を離れて、ノコさんを探しに行った。
そしてノコさんも合流すると、オペイクス様は、話をする場所として塔の一つを選んだ。階段を登らなきゃいけないから、ノコさんがブツブツ言って、オペイクス様はなだめるのに、ちょっと手間取っていたっけ。
その階段の入り口も、兵士に見張らせるほどの、念の入れようだった。
で、そこまでして塔の上に出たのに、オペイクス様は何とも話しにくそうな顔をなさってねえ。まあ、人払いをしたり、ノコさんに立ち合わせたりしている時点で、私もいい予感はしていないんだが。
オペイクス様は意を決して、私らに話してくれたよ。案の定、楽しい話じゃなかった。ツッジャム城内の噂で、どうやらオーカーさんがビッサビア様のお相手を務めているらしい、と。もちろん、ただの話し相手とかじゃない。夜の寝床でのお相手さ」
「う、うーん。オペイクスが話しにくかったのは分かるけど。それをおばさんたちに聞かせても、どうしようもないんじゃない?」
「どうしようもないが、少なくとも私とノコさんは知っておいた方がいい、とオペイクス様は考えたみたいだ。同時にシルヴィアさんに知らせるべきか、悩んでおられた。
これにはノコさんが即答したよ。教えてやる必要は無い、何もしなくていい、と。『遅かれ早かれ噂を耳にするでしょう。放っておけばいいのです。知ったところでシルヴィアも、何もしないでしょうから』とね」
「そっか。オペイクスは、シルヴィアがアンディンに想いを寄せている事を知らないのね」
「そう。大真面目に気づかってくださっただけなんだが、的から外れていたわけさ。
で、ノコさんはプリプリしながら階段を降りていった。つまらない話に付き合わされた、と背中に書いてあるように見えたよ。
オペイクス様はかわいそうに、自分の不手際みたいに、しょんぼりした」
「って、オペイクスが悪いんじゃなくて、オーカーが悪いのに」
「だから私から、そう説明したよ。
ついでに言わせてもらった。『スカーレットさんやヴァイオレットさんが城に顔を出す事があっても、この話はしない方がいいでしょう。私のところで止めておきますね』と。
オペイクス様は、私が引き受けたんで『助かる』とおっしゃっていた」
「でも、噂は本当なのかなあ。夫のモラハルトが修道院に入ったとは言え、ビッサビアは、まだ人妻なんだし。しかも上級貴族の奥さん」
「普通に考えれば、そうやって自制するところさ。しかし男どものスケベ心なんて、一度でも火がついたら、抑えが効かないもんだよ。おそらくオーカーさんは、やらかしているな、と私は思った。
さらに言えば、シルヴィアさんの耳にも、すでに入っている。あるいは、オーカーさんをツッジャムへ送り出した時点で、予想済みだったのでは。
そんなふうに推測しながら、私はシルヴィアさんの横顔をチラ見するのを止められなかったよ。ノコさんから注意された事を忘れたわけじゃないんだがね」
で、セピイおばさんは、また、ため息をはさんだ。
「さて、この件に関しては、確認なんかしたくない、早く忘れようと思ったんだけど。そういう時に限ってなのか、あっさり確認できたりするんだ。
オペイクス様から相談を受けて、大して日も経っていない頃だ。たしか夕暮れ時でね。何の事はない。オーカーさん本人が、ツッジャム城からの伝令として、メレディーン城にやって来た。しかも、あいかわらずのノリで。『よっ、久しぶり。元気ぃ?』なんて、ほんとに言ったんだよ。
オーカーさんと来たら、伝令としての仕事をそっちのけで、まずは楽しいおしゃべりさ。まあ、居合わせたアズールさんとか、若い騎士や兵士たちに捕まった、という事情もあるが。予想もついているだろうが、やっぱり話題はビッサビア様との事だ。
男どもは盛り上がっていたよ。アズールさんが、すかさず絡んでいた。『向こうの奥方様に随分と可愛がられているらしいな。ええ、おい』なんて。
すると、オーカーさんの返しも早いんだ。待ってました、とか言いそうなくらいに。
『人聞きが悪いねえ。俺は貴婦人にご奉仕しただけだぜ。もちろん心を込めて、誠心誠意ご奉仕したよ。手抜きなんて失礼は、しねえんだ。それが俺の流儀だし、そうする甲斐のあるお方だからな、あの人は』
これを聞いて、若い兵士や使用人たちが『いーなー、いーなー』の大合唱だ」
「やれやれ、自慢するオーカーも、羨ましがる連中も、おめでたいわね」
「ああ、緩みっぱなしだったよ。本来の伝令としての任務を忘れて、馬鹿話に熱中していたもんだから、城壁の上から怒鳴り声が降ってきた。
メレディーン城の騎士たちのまとめ役であるお偉いさんさ。オペイクス様の直接の上役で、オーカーさんの元上官でもある。居合わせたみんなが声の方を見ると、その方が目を吊り上げて、城壁の階段を駆け降りてくるところだった。
オーカーさんは『やっべえ』とか言って、慌てて走り出したよ。で、たまたま通りかかったオペイクス様を目ざとく見つけて、ツッジャム城からの書簡を押しつけた。しかも『旦那っ。悪いけど、それ、隊長に渡しといて』なんて走り去る。
そこに来たばかりのオペイクス様は事情が分からずに戸惑っておられたので、私は駆け寄って言った。『私が追いかけます』と」
「えっ、何でおばさんが」
「ついでにオーカーさんに釘を刺しておこうと思ったんだよ。シルヴィアさんたちの耳に噂が入らないように、行動を慎んでくれ、とかね。
オーカーさんは騎士として体を鍛えているから、脚も速くて、こっちは大変だったよ。でも振り返って、隊長さんから追っかけられていないと気づくや、私を待ってくれた。それが城門の中での事だ。
私はオーカーさんに追いついて、少し話がしたい、と頼んだ。すると、オーカーさんの返事は、こんなだったよ。『いいね。ちょうど良かった。俺からもセピイちゃんに、ちょいと報告があるんだ。そこらの呑み屋で話そうや』なんて言いながら、城からほど近い店に私を案内した」
「お店かあ。何だかポロニュースの時を思い出して、あまり印象が良くないんだけど」
「そうだね。それくらいの警戒心を持っていた方がいいだろう。
実際、その城下町の呑み屋は、路地裏ってほどじゃないが、もう日も暮れた直後で、暗くなり出していて。
店の客も男がほとんどで、お世辞にも親切そうになんか見えない。女の私に無遠慮に視線を投げつけてくるんだよ。色男のオーカーさんには『何だ、このいけすかねえ野郎は』とか言いたげな顔を隠そうともしないし。
そのくせ、オーカーさんが騎士と知るや、コソコソと席を替えて距離を取っていたね。私とオーカーさんの会話に聞き耳を立てていた証拠だよ」
「えー、そんな所で話しても大丈夫なの?」
「私も心配したよ。でもオーカーさんと来たら、普段のしゃべり方をやめないんだ。聞きたい奴は勝手に聞けばいい、ってつもりだったのか」
ほんとにいいのかなあ、と私は首を傾げながら続きを聞く。
「オーカーさんは私からのお小言を一通り、受け止めてくれたよ。そうやって私に先に話させてから言うんだ。
『でもな、セピイちゃん。俺だってスケベ心だけで、あの人と寝たわけじゃねえんだぜ。身も心も気持ちよおく、ほぐして差し上げてから聞き出そうと努力したのよ。
何をって、セピイちゃんの愛しのソレイトナックの事だよ。あいつのことは嫌いだけど、セピイちゃんのためと思って、俺も頑張ったんだぜ』
なんて。
彼の事を言われると、私も言葉に詰まった」
あっ、と私も声を上げてしまう。「久しぶりにソレイトナックが話題にのぼったわね」
「その割には結局、収穫無しだったよ。ビッサビア様も、あいかわらずソレイトナックの消息をつかめていなかったんだ。
オーカーさんが聞き出した話だと、ビッサビア様は散々、夫のモラハルトを問い詰めたらしい。でもモラハルトは、刺客を放った事までは認めても、その結果については何も言わないんだ。『後は知らん』の一点張りで。
私は、ソレイトナックに危害が及んだと知って、泣きたくなったよ」
「う、うーん」と唸ったものの、私は言葉が続かなかった。やっぱりソレイトナックはダメかも、なんてセピイおばさんには言えない。
そんな私の内心に気づかないのか、セピイおばさんは、そのまま話を続ける。
「オーカーさんは、こうも言ったねえ。前の城主様、つまりモラハルトも変だ、と。『もうソレイトナックを亡き者にしたも同然なのに、仕留めたかどうかだけは断定を避ける。ぼかしたところで今さらなのにな』って。
これを聞いて私は、おおよそ推測できたよ。あの人、モラハルトの気持ちが。つまりソレイトナックの死が確定したら、自分の妻であるビッサビア様の、自分に対する嫌悪も確定してしまう。まだ心のどこかで自分たちは夫婦だと思っていたいが、当てがったソレイトナックが死んだら、もう自分と妻を繋ぐものが無くなってしまう。そんなところだろう、と。
この推測を私は一応、オーカーさんに話してみた。オーカーさんは呆れていたね。『しょうがねえお人だなあ』って。『替わりにアキーラちゃんとか、メロエちゃんとか、お妾さんを何人もこしらえたんだから、別にいいじゃねえかよ』とも言っていた」
「うーん、そこだけはオーカーと同意見だな」と意外な一致を私は内心、驚いていた。
「ついで、でもなかろうに、オーカーさんは続けて、ビッサビア様まで腐すんだ。たしか、こんな言い方だった。
『寝床で目の前に、俺という可愛い恋人が居るのに、だぜ。いつまでも、あのすかした野郎を惜しんでブツクサおっしゃるんだよ。セピイちゃんには、あいつの消息をつかませない。何としても自分が先に見つけ出してみせる、とか何とか息巻いて。いくらノリのいい俺でも、さすがに面白くねえや。
そもそも、こっちは、あの人が、あのぼんくらパウアハルトのおっかさんってところに目をつぶって、ご奉仕してんだぜ。いなくなった男よりも、そばに居てくれる俺の方が断然いい、くらい言ってくれても良さそうなもんじゃねえか。
正直、萎えちまうぜ』
なんて」
「な、萎えるって?」
「え。ああ、知らなかったか。じゃあ、この機会に覚えておきな。男のあそこが、しおれる。元気を失くすって事さ。
まあ、本来は他の物に使う言葉だったはず、と思うんだが」
「は、はあ。覚える、けど、使わないと思う」
「ああ、それでいいよ。知っておくだけで使わない方がいい言葉は、世の中には結構あるんだ。
話を戻すと、オーカーさんは酒で舌が滑らかになったのか、愚痴を交えて、いろいろと言い散らかしたね。
まず、私からお説教されるまでもなく、ビッサビア様とのお付き合いは、そう長くはならないだろう、と。どういうことかと思ったら、オーカーさんは、ビッサビア様がいずれマーチリンド家に帰る、と予想したのさ。
なぜかと言うと、新しくツッジャム城の城主夫人となったアン・ダッピア様。同じマーチリンド家の出身でありながら、アン様はビッサビア様をそっちのけで夫のジャノメイ様とイチャイチャしたがる。ビッサビア様の忠告を右から左に聞き流しておられたようだ。ほとんど母娘のような同族のお二人が、衝突しないようにお互いにこらえているだけ。そう、オーカーさんは見た。
実際、ビッサビア様は寝床でアン様に対する愚痴をオーカーさんに聞かせたみたいだね。『なだめて機嫌を直していただくのは、なかなか手間だったんだぜ』とか、オーカーさんは言っていた。
その話の流れで、ビッサビア様がおっしゃったそうだ。『もうツッジャムには自分の居場所は無いんだわ』とか『そろそろ実家に帰るべきかしらね』なんて。
それでオーカーさんは、探りを入れるつもりで言ってみたのさ。『その時は、このオーカーも貴女様にお供して、ヌビ家からマーチリンド家に移りましょう』とね。
するとビッサビア様は、微笑んではくださったようだが、返事は曖昧にぼかした、と。
オーカーさんは『そんなこったろうと思った』と、その時の気持ちを言っていたよ」
うーん、と唸ってから、私はハッとした。
「そ、それって、オーカーも本気で言ったわけじゃないってこと?お仕えする貴族家を替えるのは」
「ああ、本気じゃないよ。だから探りを入れると言うか、試しで言っただけなのさ。オーカーさんが言うには、ビッサビア様みたいに男を選べる立場のご婦人には、ありがち振る舞いなんだそうだ。『本気にして期待するようじゃ、その男が間抜けなだけだよ』とまで言っていた」
「でも、そうなると、オーカーは・・・」
「きつい言い方をすれば、ビッサビア様から捨てられるだろうね。しかし、それでビッサビア様を恨むほど、オーカーさんは陰気じゃないし。むしろ、最初から薄々予想していたんじゃないか、と私は思った」
「えっ。予想しながら、ビッサビアのお相手をしたってこと?」
「そう。へんな弁護になるが、オーカーさんとしては、ビッサビア様のお相手も城勤めの一つくらいに考えていたのかもね」
「ええーっ」と言ったっきり、私は続かなかった。この流れだと、城女中も危険だ、なんて話にされかねない。一旦、呑み込んでおく。
「まあ、オーカーさんはビッサビア様から捨てられても、そのままツッジャム城に残ればいいじゃないか、と私は思ったんだが」
セピイおばさんは、ため息をはさんだ。それは、何とも重たそうに聞こえた。
「オーカーさんは両手を頭の後ろに回して、背もたれに思い切りもたれて、天井辺りを見ながら言うんだ。『愛しのあの人がツッジャム城を出て行ったら、俺も出て行こっかなあ』って。
私は聞いたよ、ツッジャム城は居心地が良くないのか、と。オーカーさんの答えは『あんまり良くねえな』だった。
なぜって、ジャノメイ様とアン・ダッピア様、それとロンギノ様の、少なくとも三人は自分を良く思っていないだろう、と」
「あらら」と私。
「オーカーさん自身は、ジャノメイ様ご夫妻を嫌ったりはしていない、と言っていたよ。
でも、やっぱりと言うか、新奥方のアン様から警戒されたんだ、とさ。周りに人が居る時に『やらしい目で見ないでっ』とか。
オーカーさんだから、おどけて、その場を取り繕う事もできたけど、並の男だったら、侮辱だ、言いがかりだ、とかキレて、状況を悪化しかねないよ。そうならないように、受け流したところは、偉いんだが」
「アンとしては、自分の親戚であるビッサビアとオーカーの関係を知って、ふしだらとか思ったんじゃないかな。何事も無いかのように接するなんて、私がアンの立場でも、できないよ」
「まあ、普通は、そうだろう。
一方、ジャノメイ様も直接オーカーさんに辛く当たるような事はなさらないんだが、アン様に影響されるから、やっぱり警戒すると言うか、視線が冷たかったらしい。
それで私は、つい言ってしまったよ。『それなら行動を慎んで、信用を回復すれば』と。
そしたらオーカーさんは、お馬鹿な事を言い出してねえ。
『信用ってキツイな、セピイちゃんも。俺だって別に、ジャノメイ若の可愛いお嫁さんにちょっかい出すつもりなんか無いんだぜ。
そりゃあビッサビア様を若くしたようなアン様なら、妄想で頭いっぱいになっている馬鹿が山ほど居るだろうよ。でも、そんな馬鹿どもでさえ、わきまえてんだから。
まあ、俺に言わせりゃ、わきまえるとか以前に、ちょっかい自体をかっこ悪いと思うがね。
それより俺としては、若いお二人のお役に立ちたいのよ。
例えば、寝床でのお作法とかさ。ジャノメイ若は真面目だから、床上手とか、お世辞にも言えないはずなんだよ。そこで俺が、ちょちょっと教えて差し上げる。そうすれば、お二人とも、夜がもっと楽しく、充実したものになる事、請け合いだろ。この件に関しては結構、自信あんだけどなあ』
だって」
「やだ、もう。よく思われていないって自覚しているくせに、反省してないじゃない。
その調子じゃ、ロンギノとも合うはずがないわね」
「そう言っていたよ。
お互い初対面ではなかったらしいんだけど、オーカーさんに言わせれば、ロンギノ様はオペイクス様以上の堅物で話にならない、と。しかもオペイクス様と違って、遠慮無しに怒鳴りつけてくるから、オーカーさんの方でも大嫌いだとさ」
「やれやれって感じね。
あ、でも、オーカーの性格なら、その三人以外は、いくらでも仲良くなれるんじゃないの?それなら、別にツッジャム城を出なくても」
「私も、それを思ったさ。でもオーカーさんとしては、ちょっと違ったらしい。こんな言い方をするんだ。
『そりゃ若い連中と、じゃれようと思えば、いつまでも、じゃれていられるよ。実際、楽しいし。
でも本当にいつまでも、そんなことしているわけにも、いかねえじゃん。アズールもスカーレットも、おまけにヴァイオレットまで片づいたんだぜ。シルヴィアは一生独身で、歳食うだけでいい、なんて言っていたが、俺はそんなの御免だし』
なんて」
セピイおばさんはそこでまた、ため息というか、一度、目を伏せた。
「それからオーカーさんは、さらに変な方向に話を持っていったよ。『さすがに飽きた』なんて言うんだ」
「飽きた?」
「ヌビ家にお仕えする、ヌビ家に関わるのが飽きた、ってオーカーさんは言ったのさ。はっきりとね。
それで、聞き耳を立てていたらしい店の客がさらに遠のいたり、店から出て行ったり、したよ。足音もさせずに、ね」
私は数秒、絶句した。
「お、おばさん、それ、人に聞かれちゃまずいんじゃないの?」
「そりゃ、まずいよ。ヌビ家の領内で、ヌビ家の悪口を言ったも同然なんだから。私は、居なくなった客たちがよそで言いふらすんじゃないか、と気が気じゃなかった。
それなのに、オーカーさんの声の大きさは、そのまんまで」
ひえーっと私は声をもらした。おばさんが、やたら、ため息をつくわけだわ。
「とは言っても、オーカーさんだって、恩を忘れたわけじゃないんだよ。騎士に取り立ててもらった事は感謝している、と。オーカーさんと来たら、自分で言うんだ。
『顔の良さ以外じゃ、剣とか振り回すしか能の無かった俺が、だぜ。城詰めの騎士として羽振りを利かせたんだ。そりゃ楽しかったよ。お姉ちゃんたちとのお付き合いも含めてね』
なんて」
「でも、飽きた、と」
「そ。その上でオーカーさんは『どっか遠くに行きてえなあ』とも言っていた。
かと思ったら、不意に、背もたれから跳ね起きるように前のめりになって。私の顔を覗き込んで、言うんだ。『セピイちゃんも、そろそろ女中奉公に飽きたんじゃねえの?だったら、いっそのこと、俺と旅に出ちまおうぜ』とね。
これは全く予想していなかった言葉だったから、私は驚いて、固まってしまったよ。
オーカーさんは、そんな私に構わず、続けて言った。
『ソレイトナックなんて思わせぶりな、すかした野郎は、この際、忘れちまえよ。俺なら奴と違って、ずっとセピイちゃんのそばに居てやれるぜ』
ってね」
セピイおばさんは、そこで話を中断して、窓の方を見た。
あれっ、と思った私は、先を促してみる。
「で、おばさんはお断りしたんでしょ?」
「もちろん、断るには断ったが。
その前に一瞬、気持ちが揺れてしまったんだよ。ずっと、そばに居てくれる。それこそ、まさに私がソレイトナックに望むことだし、同時に、それが叶いそうにもない、と薄々感じ始めていた頃だ。
そんな時に『ずっと、そばに居る』なんて言われたら、心の中でグラッと来てね」
「だ、ダメじゃん」私は思わず声を大きくしてしまった。
「分かっているよ。ほんの一瞬さ。自分とオーカーさんが連れ立って旅をしている姿を想像したら、私なんかよりシルヴィアさんとの方が断然、似合っている。もっと言えば五人組で並べば完璧だよ。それで目が覚めた。
私はオーカーさんに、こう答えた。『まーた、そんなこと言って。シルヴィアさんに言いつけちゃうから』とね。
オーカーさんは途端に笑い出したよ。『やっぱ、ダメか』って、また背もたれに戻っていった」
そこでセピイおばさんが、また黙った。私も、うーんと唸ることしかできず、相づちも打てない。沈黙が数秒間。
「オーカーさんとの会話は、それでお開きさ。
店を出て、オーカーさんは私をメレディーン城の門の近くまで送ってくれたよ。
もう結構、暗くなっていたねえ。門の中の篝火でオペイクス様とノコさんが出て来る姿が見えた。ちょうど、私を迎えに行こう、と考えてくださったらしい。
それに気づいて、オーカーさんは私の背を軽く押した。
『よし、セピイちゃんの帰りは、ノコばあとオペイクスの旦那にお任せしよう。
俺は、ここらで引き上げるわ。
いろいろと、ありがとな、セピイちゃん。
君、かなり可愛かったよ』
そう言って、歩き出した。私の返事も聞かないで。背中を見せながら、頭の上で手を振っていた。
私は私で、何も言えなかった。何か言ってあげたいと思ったんだが。やっぱり何も言えなかった」
セピイおばさんは、また言葉が続かなくなった。
そこで私は思い切って「ちょっと呑もう」と提案してみた。そして、二人して一口ずつ呑む。喉を湿らせる程度である。
「そう言えば、お店の支払いは、どうしたの。オーカーは、おごってくれた?」
「ふふっ、細かいねえ。オーカーさんは粋な人だから、そこら辺は抜かり無かったよ。と言っても、二人とも話に集中しすぎて、一杯も呑み干していなかったけど。それでもオーカーさんは多めに払ったらしく、店主は目を丸くしていたっけ。『またのお越しを』が緊張気味で、かすれていたよ」
「会話に出てきたビッサビアやジャノメイの事を知っていたかな?店主は」
「多少は知っていただろうね。他の客たちも。登場人物全員を知らなかったにしても、私とオーカーさんがヌビ家の要人を話題にしている事くらいは気づいていたはずだ。
『またのお越しを』とか言いながら、本当に来てほしいと思っていたか、どうか」
セピイおばさんは、またも、ふふっと小さく笑った。
「でも、もういいや、と思ったよ。その店から噂が広まっても、正直にノコさんやオペイクス様に話すだけさ。会話の内容を洗いざらい話してしまおう。そう思いながら城門に入って、ノコさんたちに合流したんだ」
「そうだね。ポロニュースの時と違って、後ろめたい事とか無いんだし」
「ところが、さ。そういう時に限って、と言うか。ノコさんもオペイクス様も、私に聞いてこなかった。
それで私も考えてね。二点だけ報告した。ビッサビア様は、いずれマーチリンド家に戻るだろう、というオーカーさんの予想。そうなった暁には、ヌビ家から出て行こう、というオーカーさんの予定。
ノコさんもオペイクス様も数秒、黙って考えておられた。やがてオペイクス様がおっしゃったよ。『分かった。ジャッカルゴ様には、折を見て私から話そう』と」
セピイおばさんは、そこでまた一息だけ、はさんだ。
「その夜は、なかなか寝つけなかったよ。オーカーさんとの会話の内容をシルヴィアさんにも話しておきたい気がしたんだ。
そのくせ、どう話したものか、が考えつかない。シルヴィアさんがオーカーさんの話を避けているようにも思えてね。
女中部屋で横になっても、かえって目が冴えてしまった。それで、つい、何回もシルヴィアさんの様子を確かめたよ。少し離れたところで先に寝ていたシルヴィアさんの顔を、私は、そっと覗き込んだつもりだったんだけど。
とうとう本人に気づかれたね。シルヴィアさんは声をひそめて言ったよ。『セピイ。眠れないようなら、夜風に当たりに行きましょう』と。
シルヴィアさんは音も立たずに、ゆっくり体を起こして、扉に向かおうとする。私も他の女中たちに気をつけながら後を追った。ノコさんのそばを通る時、ノコさんが薄目を向けたような気がしたけど、暗くて、断定はできなかったよ。
シルヴィアさんは、私を城壁の上に連れて行った。オペイクス様の話を聞いた場所とは、また別のところでね。見張りの兵士も居るには居たが。シルヴィアさんが上手いこと牽制してくれた。『モテる男は、女の会話を盗み聞きしたりしないわよね』なんて」
「その兵士は大人しく引き下がってくれた?」と私。
「ああ、大丈夫だったよ。『ちぇっ。分かってるよお』なんて捨て台詞で」
私とセピイおばさんは、ニヤリとした。
「というわけで、ようやく状況が整ったんだ。私はすぐにでもオーカーさんのことを話したかったが、それじゃ、あまりにも唐突な気もしてね。
ちょっと迷っていたら、シルヴィアさんが先に口を開いた。
『今夜は三日月ね。月なんて、こんなにじっくり見るのも久しぶりだわ。
セピイは知ってる?西隣りのセレニアでは、三日月を紋章にした貴族家が何軒か在るそうよ。向こうの王家も、紋章に三日月を添えているからだって』
これを聞いて、私は正直に『知らなかった』と答えた。あんたも分かっているだろうけど、ここツッジャムでセレン人を見かける事は、ほとんど無いからね。みんな、知識としては、セレン人の存在を頭に入れているんだが」
「セレン人か。世間話とは言え、それも唐突だね」私には、シルヴィアが見張りの兵士だけでなく、セピイおばさんにも牽制してきたように思えた。
「だろ。だから、こちらも、もう唐突でもいいや、と思った。
私は、夕方、つまり、その城壁の上に来た時点から、ほんの数時間前にオーカーさんが現れた事を、シルヴィアさんに報告した。そして、呑み屋で少し話した事も。中でも、オーカーさんが、いずれビッサビア様から捨てられ、ついでにヌビ家を去るつもりである事を、ね」
「オペイクスにした報告と、ほぼ同じか。やっぱり、そこが要点だもんね」
「そう。ビッサビア様との浮いた話とか、どうでもいい事だし、私もシルヴィアさんに聞かせたくなかった。
もっともシルヴィアさんは、とっくに察していたけどね。『向こうで楽しくやっているんだろうと思ったら。結局、そう来たか』って。胸壁の凹みに両肘をついて、遠くを見ながら、つぶやいていた。
それからシルヴィアさんは振り向いて、私に尋ねるんだよ。『セピイは、あいつから誘われたんじゃない?一緒に旅に出よう、とか』ってね。
私は、見抜かれているな、と観念して、正直に話したよ。『シルヴィアさんに言いつける』辺りは言わなかったが。
シルヴィアさんは私の話を聞いて『断って正解』と言った。
『あいつもセピイを大事にするでしょうけど、良くて三年くらいね。その後は、あいつのことだから、旅暮らし自体に飽きてくるわ。城勤めに続いて。
それでセピイをツッジャムか、ここメレディーンに送り届けて、どこかに行ってしまうでしょう』
私は、このシルヴィアさんの言葉に驚いて、固まったよ。なぜなら私は、オーカーさんが『ヌビ家に飽きた』と言ったところは伏せて、シルヴィアさんには話していなかったんだ。それなのにシルヴィアさんは『城勤めに続いて』なんて言う。
だから私は探りを入れてみた。『オーカーさんは、城勤めに飽きた、とか言っていたんですか』と。
シルヴィアさんは『一度だけ』と答えた。『あいつは、あんなふうにしていても、仕事の愚痴とかは意外と言わないの。そんな暇があったら、女とおしゃべりしたい、とか思っていただけかもしれないけどね。でも、ツッジャム城への転属が決まる少し前に、一度だけ言っていたわ』と。
私は、すかさず聞いた。『飽きたと言った後に、オーカーさんは、シルヴィアさんを旅に誘ったんですね』
シルヴィアさんは、うなずいてから答えた。『そして私も丁重にお断りしたわ。だって実際に二人で旅に出たら、喧嘩ばっかりで、半年も持たないに決まっているんだもの』と付け加えた。
私は、あと少し喰い下がってみたよ。『シルヴィアさんに振られた後、オーカーさんはヴァイオレットさんを誘ったんじゃ』
すると、シルヴィアさんの答えは、こんなだった。『どうかな。二人のどちらも、そんな話をしていなかったし。そもそも、五人の中で一番家庭向きなのはヴァイオレット。そう言ったのは、オーカーなのよ。オーカーは、むしろ彼女を旅に誘わなかったんじゃないかしら』と。
それからシルヴィアさんは、こうも言った。
『もしオーカーから旅に誘われていたら、ヴァイオレットは、ついて行ったでしょうね。
でも、その前に、私が二人を引き止めるわ。わざわざ旅に出たりしないで、二人してメレディーンで暮らせばいい、と。それこそ、スカーレットとアズールからも、ヴァイオレットたちを説得してもらうわ。
でも結果は、あんたも知っての通り。ヴァイオレットはオーカーと違う道を選んで、私の心配は取り越し苦労で済んだ』
そこまで言ってから、シルヴィアさんは、また遠くに目をやった」
うーん。私は、また唸るだけで、言葉が出なくなった。なんだか、やり切れない。誰かを応援してやりたくても、できない。
「そこで、私とシルヴィアさんの会話が途切れたよ。でも、それも、ほんの数秒の事でね。シルヴィアさんは、もう一度、振り向いた。
そして言うんだ。『あんたも、私に話させてばかりで、ずるいわね。少しは自分の事も話しなさい。たとえば、ソレイトナックのどういうところが好きなの』と。
私は答えに困ったね。全然、予想していなかった質問だし、答えを用意していなかった。だもんで、やっぱり正直に答えるしかない。
『自分でも、よく分からないんです。あの人と知り合ってから、あの人がどんどん気になっていって。初めは、どちらかと言えば、冷たくて怖い人かと思っていたのに・・・。気がついたら、あの人の事を考えずには居られなくなっていました』
そう答えた後で私は、説明が足りていないかも、と不安になった。そこで、ベイジに登場してもらったよ。その時点でシルヴィアさんがベイジに会った事は無かったが、あえてベイジの例も話してみたんだ。ベイジが旦那さんを評して言った言葉。色男でも話し上手でもないけど、一緒に居ると落ち着く。そういう男の見方もある、と。
そしたら、シルヴィアさんは言ってくれた。
『いいわね、そういう考え方。私も同感だわ。本来は、みんな、そうあるべきかも。
あんた、いい友達、持ってるじゃない』
と、まあ、ありがたいお言葉なんだが、私は反射的に聞き返してしまったよ。『シルヴィアさんは?』と。
シルヴィアさんの答えは、こんなだった。『私は、その時その時の雰囲気に流されただけ。言うなれば、ノリよ。尼さんたちやノコさんから私が睨まれるわけが分かるでしょ』
そう言って、シルヴィアさんは笑みを見せたね」
セピイおばさんは、そこまで話すと、ため息はつかなかったが、遠くを見る目になった。
で、私から言わせてもらう。
「思い切り、はぐらかしたわね、シルヴィア。
本当は、おばさんがソレイトナックを意識したように、シルヴィアもアンディンが気になって、気になって、仕方なくなったんだわ。それこそ、アンディンに奥さんのキオッフィーヌが居る事は、百も承知で。好きになっちゃいけない、と思えば思うほど、意識してしまったんじゃないかな』
「言ってくれるね。たしかに、そんなところだろうよ。
そして私の問いかけを、オーカーさんに関するものと解釈して、シルヴィアさんは答えた。
お互いに、アンディン様のお名前なんか出すわけにはいかなかったから」
そして、また遠くに思いを馳せて、セピイおばさんは、ぼんやりする。メレディーンの方角を向いているのだろうか。
と思ったら、急に私の目を覗き込む。
「しかしプルーデンス。あんた、気づいているかい?」
「えっ、何が」
「おっと、これは私が飛ばしすぎたか。じゃあ、話を戻そう。
私はシルヴィアさんに何と返そうかと言葉を選んでいたら、シルヴィアさんから先に言われたよ。『よっし、おしゃべりも、これくらいでいいでしょう。明日に備えて、もう休むわよ』と。
シルヴィアさんは私の返事も待たずに、スタスタ歩き出した。見張りの兵士には『お勤め、ご苦労さま。付き合わせて、悪かったわね』なんて声を掛けて。
兵士の反応は早かったよ。『どっちか、ほんとに俺と付き合わない?』と来た。
もちろんシルヴィアさんは、相手にしなかった。『そうやって、がっつかなければ、いい男なんだけどね』だって」
「さすがにお姉様は一枚上手ですなあ」
「ああ、いいお手本を見せてもらったよ。
兵士は『へー、そりゃ、すんませんでした』とか返すのが、やっとだった」
おばさんと私は、ニヤリとしてしまう。
しばらくは、こんな調子だろう、と私は予想したのだが。
「それから女中部屋に戻って、私もシルヴィアさんも横になった。シルヴィアさんは、すぐに寝ついたね。ほんの数秒で、寝息をたてて。
もしかして私とは逆に、シルヴィアさんはすごく眠たかったのかも。悪かったなあ、自分も早く寝なきゃ、と思ったよ。
しかし、だ。いくら待っても眠気が来ない。むしろ、まだ目が冴える。店でオーカーさんと話して、シルヴィアさんとも立ち話をした直後だよ。自分でも気疲れしているはずと考えたんだが、一向に眠くならない。
おかしい。何か、おかしい。忘れている事、見落としている事があるような。
それで、その日一日を思い返したよ。そしたら、オーカーさんの顔が浮かんだところで、ハッとした。私は声が出そうになって、慌てて口を塞いだ」
セピイおばさんは、そこで話を中断して、私の目を見る。もう一度、私に尋ねているのだ。でもダメ。私は想像もつかないので、小さく首を横に振った。
セピイおばさんは、私とは逆に、縦に小さく首を動かす。仕方ない、と思ったか。
「オーカーさんはね、シルヴィアさんの気持ちに気づいていたんだよ」
え。私は、まずセピイおばさんが提示した解答を理解できなかった。言葉も出ない。と思ったら、すぐにハッとした。今度は、私がハッとする番になった。
「そ、それって、シルヴィアがアンディンを好きになっていた事に、オーカーは気づいていたと」
「そうさ。これは、あくまでも私個人の推測にすぎないがね。でも私は、もう、ほとんど確信しているよ。
私は改めて、オーカーさんの人となりを考えてみた。まず、陽気な色男さんである事。おしゃべり好きで、場を盛り上げるのが得意だ。その分、口が軽い人、と私は思っていた。
しかし逆に、オーカーさんがあまり話題にしない事がある、とも気づいてね。シルヴィアさんはそれを仕事の愚痴とかと言ったが、それだけじゃあない」
「あっ、まさか、ヌビ家の事?アンディン?」
「そう。
と言っても、全く言わないわけじゃないよ。ジャノメイ様に対する評論みたいに、失礼になりそうな、際どい軽口を叩く事もある。ほら、覚えているかい?オーカーさんがアンディン様の事を『話が分かるお方』とか言ったのを」
「あ、そういえば」
「そんなふうにオーカーさんがアンディン様たちを話題に取り上げることは、実は、ごくまれなんだ。
パウアハルトの悪口なんかは、遠慮無しに言いふらしていたのに。
ジャッカルゴ様に関して言及する姿なんか、とうとう最後まで見かけなかったよ」
「主君と、それに仕える騎士という立場の違いがあるから、普段から気をつけているってことはないかな?」
「それもあるだろうけど、にしては少なすぎるよ。
メレディーン城やツッジャム城に客として訪れた、他家の騎士は、必ずしも寡黙とは限らなかったんだ。お国自慢のついでか、自分の主君の業績を宣伝したりしてね。もちろん後々、主君の耳に入る事も期待していただろうよ。中には、リュート片手に、歌にしてみせた騎士も居たくらいさ。
私が女中として働きながら見聞きしたところじゃ、騎士たちが自分の主君について語らないように心がけている、なんて様子は、特に無かったね」
「なのに、オーカーがヌビ家に関して、アンディンに関して話した事は、数えるくらいしかない。それって・・・」
私は言いながら、逆にセピイおばさんの目を覗き込んだ。
「意識していたんだろうね。特に、アンディン様を。
シルヴィアさんの様子を見て、オーカーさんが気づいたのか。あるいはシルヴィアさん本人から告白を聞いたのか、は分からないよ。
いずれにせよ、オーカーさんはアンディン様を、ただ自分の主君というだけでは見られなくなったのさ。シルヴィアさんと直接の関係は無いにしても、シルヴィアさんの心をアンディン様が占めている。その事を、オーカーさんは認めなければならなかったんだ」
「うーん。
って、もしかして、その反動でオーカーは主君アンディンから口止めされても、ポロポロもらしていたのかなあ。ちょっと子どもっぽい仕返しのような」
「まあ、オーカーさん本人も内心は、後ろめたさとかは抱えていたと思うよ。
かと言って、オーカーさんがシルヴィアさんの事でアンディン様に喰ってかかったり、張り合うわけにもいかない。アンディン様は主君、オーカーさんはお仕えする側だ。
それに、あくまでもシルヴィアさんの片想いであって、アンディン様本人はご存じないんだから」
「でも、もうシルヴィアには振り向いてもらえない。となれば、いつまでもヌビ家に残っていても仕方ない。だから出て行こう、と」
「そんなところだろう、と私は結論したよ」
セピイおばさんは言い終わると、またしても葡萄酒を一杯注いだ。そして私も、もらう。でも、これって何のための乾杯だろう。失恋したオーカーを偲んでかな?
それにしても、オーカーがシルヴィアの片想いに気づいていたなんて。私は気づかなかったなあ。まだまだ修行が足りないということか。
さて、セピイおばさんの話の中で、シルヴィアとオーカーは一旦、退場となった。セピイおばさんが二人それぞれと話した夜から、大して日を開けずに、ジャッカルゴ一家が帰還したのである。
ジャッカルゴたちが都アガスプスに滞在したのは、一ヶ月ほどだったとか。アンディンのお舅さんたち、つまりジャッカルゴの祖父母や、アダム新王、ヘミーチカの両親、その他、要人たちの所を駆け足で回ったらしい。主城のメレディーンをずっと留守にするわけにもいかないから、一ヶ月くらいが限度だったのかも。党首って忙しいんだなあ、と改めて思った。
しかも人だけでなく、金品も動くのだ。お祝いの品を受け取ったり、お返しの贈り物をしたり。その額をセピイおばさんは言わなかった。主人ジャッカルゴから知らされなかったのか。知っていて、言わないのか。でも、それでいいと思う。私も聞くのが怖い。とにかく途方も無い金額だろう、とは予想している。
その甲斐もあってか、ジャッカルゴ一家の都滞在は、なかなかの成果を上げた、と言っていいだろう。
まず、アンディンのお舅さん、キオッフィーヌのお父さんの機嫌が良くなった。その場に居合わせた従者たちが後日メレディーン城の者たちに聞かせた話によると、このお舅さんの反応は、こんなだったとか。
『婿殿よ。わしは幸福すぎて、恐ろしいくらいだぞ。
考えてもみよ。今は、我ら敬虔な信徒が異教徒どもと聖地を獲り合わねばならんような乱世であろう。ヨーロッパの諸王がたが、どれほど苦労しておられることか。
そのような現世で、わしは平和に暮らし、孫どころか、曾孫にまで対面できた。
これを果報と言わずして、何と言おう。
わしは、この後、雷に打たれでもするのではないか』
キオッフィーヌの老いた父は、高らかに笑って婿であるアンディンの肩を叩いたそうだ。
この話を聞いて、私はいつものように意見してしまった。「なんか、素直な喜び方に聞こえないわね。雷なんて言わなくてもいいのに」
「たしかに、そうやって警戒する気持ちは、私も分かるよ。オペイクス様をからかった人だからね」とセピイおばさんも同意してくれた。「しかし、喜んでくれた事には変わりないさ。その意味では、やはり大きな成果だよ」
そしてセピイおばさんは、もう一つの大きな成果を話してくれた。新王アダムの反応である。アガスプス宮殿でジャッカルゴ一家を迎えた新王は、すこぶる上機嫌だったそうだ。まるで古くからの親友を迎えるような、何の屈託もない、手放しの歓迎と言っていいと思う。
アダム新王は自分の小指を赤ちゃんのナタナエルに掴ませながら、上ずった声で、こう言ったとか。『よおし、いいぞ、いいぞ、ナタナエル・ヌビ。その調子で、しっかり育つのだ。そして我が娘を迎えに来てくれ』
なんとアダム新王は、少し前に産まれた自分の娘と、まだ赤ちゃんであるジャッカルゴの息子ナタナエルを縁組しようと言い出したのである。
「えらい張り切り様ね。でも、ナタナエルには姉さん女房になるかな」
「と言っても、半年か、そこらだよ」セピイおばさんは答えながら笑う。
「ところで、アダム王に男の子は、いなかったの?お姫様はこれで分かったけど」
「ご嫡男は、まだだったね。だから、アダム王陛下はジャッカルゴ様が羨ましかった、と思うよ。
でも、プルーデンス。ここが大事なところでね。こういう時、できていない人だったら、羨むあまり、相手に何かと意地悪をしたりする事があるんだ。王様とか名のある貴族が自分の権限を使ってね。世の中を広く見渡せば、そういう例も少なくないよ」
「でも、アダム王は違うのね」
「そう。お父上である先王様が亡くなった時と同じさ。あの時、アダム王陛下は結婚とかお祝い事を控えさせず、むしろ奨励した。そして男子に恵まれたジャッカルゴ様に対しても、思い切り祝福して、自分の娘との縁組まで考えて。
アダム王陛下は本当に立派なお方だったよ」
「そんないい人が、かつて、このヨランドラの王様だったなんて嬉しいけど。その子孫が今のヘイロン王だと考えると、何だか愕然とするなあ」
私は何気なく言ったつもりだったが、セピイおばさんは数秒、固まった。
「ああ、そうだね。まったく、その通りだ。
そこら辺の事情は、また、おいおい話すよ」
セピイおばさんは私から目をそらして、自分の手元に視線を落とした。
あ、あれっ。私、何かまずい事、言ったのかな。今の国王ヘイロンを腐したのが、剣呑だったのかも。
私は急いで脳内をあさくって、別の話題を探した。で、パウアハルトを見つけた。たしか、アガスプス宮殿の近衛隊に加わっていたはず。こいつなら過去の人間だし、腐しても大丈夫だろう。
「そ、そういえば、パウアハルトが、ちょうど宮殿に居たんじゃない?ジャッカルゴやアンディンは会ってやったのかな?それともパウアハルトの方から挨拶に来るべきかしら」
「ふふ、よく気がついたね。そうだよ。パウアハルトはアガスプス宮殿の近衛隊、副隊長という肩書きを貰っていた。元から居た隊員を追い越して、そんな地位に就くことができたのは、果たして実力なのか、王弟グローツ様のお情けなのか。そこは推測するしかないが、ともかくパウアハルトは宮殿に居たんだ。
でも、自分からジャッカルゴ様たちに挨拶に来たりはしなかったよ。ジャッカルゴ様たちと目が合っても、口を歪めて、そっぽを向く。終いには、グローツ様のお供とか口実をもうけて、居なくなる始末だ。
従兄弟であるジャッカルゴ様の子を祝福しようなんて姿勢は、かけらも無かったとさ」
「つまり、人間ができていないってわけね」
「そういうこと」
セピイおばさんの同意は得られたが、おばさんの表情は晴れなかった。失敗したか。パウアハルトの奴め、威張りんぼのくせして、役に立たないんだから。
「パウアハルトにしてみれば、やっぱりツッジャム城を取り上げられた事を根に持っていて、取り上げた張本人のアンディンたちには会いたくもなかったか」
「でも、その割には都での生活を謳歌していたようだよ。女を囲っている、と噂されていた。しかも一人じゃなくてね。今週は城下町の商人の娘、来週は郊外の小貴族の娘、といった具合に」
「無責任さは父親譲りってわけか」
「まったくだよ。他の貴族や平民たちからも、笑われたり、冷ややかな目で見られたりしていただろう」
そんなこんなの都での話は、城主ジャッカルゴ一家の帰還後しばらくは取り沙汰された。同行した使用人、ヘミーチカを世話した女中、そした護衛の兵士たちなど、話したがる人間は幾らでも居る。居残り組も土産話に飛びついたに違いない。
時には、あまり言いふらしてはいけない内容も多少あったかもしれないが、まずは景気のいい話である。噂の当事者であるジャッカルゴも、話に花を咲かせる者たちを大目に見たんじゃないかな。セピイおばさんの話を聞きながら、私は、そう推測した。シルヴィアやオーカーの事情はともかく、やはりヌビ家には勢いがある。
その勢いは、ジャッカルゴ一家の帰還後も続いたと言うべきか。メレディーン城内で都アガスプスの話がようやく減ってきた頃、またしても喜ばしい事があった。イリーデが無事、出産したのである。
「これも嬉しかったねえ」
と言って、セピイおばさんは目を細めた。
「あんたに何を聞かせたいかって、その時のブラウネンの様子だよ。
ブラウネンったら、お産に苦しむイリーデの枕元でオロオロしっぱなしでね。見かねたお姑さんから部屋の外で待つよう何回も勧められたのに、結局、戻ってくるんだ。『イリーデだけにきつい思いをさせたくない』とか何とか言って。
赤ちゃんが産まれたら産まれたで、わんわん泣き出すし。それで、実のお母さんから叱られていたよ。『こういう時、男は役に立たないんだから、せめて静かにしてなさい』なんてね」
「って、セピイおばさんも立ち会ったの?」
「そうだよ。当日、私はへミーチカ様やノコさんに断りを言って、メレディーン城下のイリーデの生家に駆けつけたんだ。全くの赤の他人だが、私も彼女の親族と一緒に、彼女の世話を手伝ったよ。へミーチカ様に結果を報告したのも、この私さ」
セピイおばさんの表情に、ようやく明るさが戻った。
きっと当時も、こんなふうに我が事のように喜んで、セピイおばさんはイリーデたちを祝福してあげたんだろうなあ。私も聞いていて嬉しい。一度はセピイおばさんがイリーデに辛く当たって泣かしてしまった事もあったけど、お産のお手伝いをさせてもらえるくらいに関係が改善するなんて、やっぱり、ありがたい事だ。聞き手の私も安心できる。もしかしたら、セピイおばさんとしては罪滅ぼしの気持ちもあったかもしれないけど、それでもいい。いい事には変わりないんだから。