紋章のような

My name is Samataka. I made coats of arms in my own way. Please accept my apologies. I didn't understand heraldry. I made coats of arms in escutcheons.

自作小説「塔の上のセピイ  〜中世キリスト教社会の城女中の話」第十六話(全十九話の予定)

第十六話 忍び寄る病魔

 

「プルーデンス」

 セピイおばさんの表情が、また変わった。微笑んではいるのだが、少し固いというか、元気が無いような。ええっ?せっかくイリーデたちのおかげで、おばさんの表情が晴れたと思ったのに。

「どうだろう。今夜は、ここくらいにしておかないかい?」

「へ?どうして。もっと遅くまで話してくれた事もあったじゃない?」

「ああ・・・そうだね。たしかに、そうなんだが」と、何だか歯切れが悪い。

「それとも、またキツい話になるの?」私も身構えてしまう。

 セピイおばさんはすぐに答えなかった。言葉を選んでいる。

「あの人、モラハルトの時とか、ヴィクトルカ姉さんやヒーナ様、パールさんの話ほどじゃないんだが。

 これからヌビ家は下り坂に入るんだよ」

 私もウッと一瞬、詰まった。

「ま、まあ、正直、いい事づくめと言うか、景気が良すぎるような、とは思っていたけど。そっか、そうよね。いい事ばかりのはず、ないもんね。

 でも、おばさん、聞かせて。私も知りたい」

 セピイおばさんは、深く息をついた。

「あんたの言う通りだよ。私としたことが、今さら何を怖気づいてんだか。あんたに教えておきたいと思って、始めた話なのに。それに、もったいつけても、事実は変わらないんだ。

 よし、もう少し続けよう。

 ヌビ家が下り坂になるのはね、アダム王陛下が亡くなったからさ」

 また私は固まってしまった。

「えっ、えええ〜。何で。早すぎるじゃん」思わず、声も大きくしてしまう。

 それを咎めもせずに、セピイおばさんは話を進めてくれるのだが。

 アダム新王の死の前に、パウアハルトの戦死の話が挟まった。セピイおばさんがよくよく思い出して時系列に並べると、こちらの方が先らしい。王弟グローツの指示で、ヨランドラ北西部、つまり湖岸地域に派遣されて、ラカンシアから押しかけて来る海賊、というか湖賊どもと戦ったのだ。

「なかなか奮闘してくれたらしいよ。ラカンシアの野蛮な連中を何人も湖に叩き込んだとか。でも、やはり船での戦には慣れてなかったのかねえ。最後は流れ矢に当たってしまったそうだ」

「うーん。国土を守るために戦ってくれたんだから、名誉の戦死である事は認めるんだけど」

「そう。『だけど』と言う者が多かったよ。『嫌われ者がちょうどよく戦死してくれた』なんて露骨な声が、メレディーン城内でも、よく聞こえたもんさ。

 しかしバチが当たると言うか。後々このパウアハルトの死が、ヌビ家にとって不利に作用することになるんだからねえ。

 しかし、その辺の事情も、おいおい話そう」

「ビッサビアとモラハルトは悲しんだかな?親として」私は聞かずにはいられなかった。

「そこは分からないよ。どちらの反応も伝わって来なくてね。伝令や密偵たちも、もう、そういう情報を拾って来なかった。

 代わりでもないが、パウアハルトが都で囲っていた女たちの話が伝わって来たよ。ヌビ家から、幾らか渡したらしい。一族のパウアハルトが世話になった礼金とか、見舞い金とかいう名目だろうけど」

「それって、もしかして」

「ああ、実際は口止め料とか、手切れ金ってことさ。もっともジャッカルゴ様は『多少、噂が広まるのは仕方なかろう』と諦めておられたけどね」

「おばさん。パウアハルトが囲っていた女の人たちって、子どもが居たかな?」

「そういうふうに噂する者もいたよ。でも、そこも、はっきりとは分からなかった。ジャッカルゴ様だって、わざわざ、そんな事を説明しないし。すでに産まれていたのか、まだお腹の中だったのか。いずれにせよ、ヌビ家から貰った金で何とかしたんじゃないかねえ」

 うーん、と私は唸る。またしても。またしても、きな臭くなってきたぞ。

「さて、アダム王陛下の話に入るよ。パウアハルトの戦死の報が入ってから数週間して、喜ばしい事があった。今度はアダム王陛下からメレディーン城に書簡が二通、届いたんだ。

 書簡の一つは、パウアハルトの死を悼み、軍功を讃えるもの。もう一つは、イリーデとブラウネン夫妻の赤ちゃんを祝福する内容だった」

「賊討伐で知り合って以来、アダム王はブラウネンのことも覚えていてくれたんだね」

「そう。それでジャッカルゴ様は、イリーデとブラウネンの一家をメレディーン城に呼んで、王陛下の書簡を手渡した。ついて来たブラウネンのお父さんなんか、書簡を受け取る手がぶるぶる震えていたもんさ。

 パウアハルトには悪いが、城内に居合わせた者たちは奴の事なんか忘れて、赤ちゃんと、その両親となったイリーデとブラウネンを歓迎したよ。ヘミーチカ様もナタナエル様を抱っこして来られて、赤ちゃん同士の対面が実現した。みんな、笑顔だった。

 忘れもしない、そうやって、みんなで幸せを共有していた、まさにその時さ。顔を引き攣らせた伝令がジャッカルゴ様に駆け寄って、耳打ちしたんだ。

 途端に、ジャッカルゴ様が硬直したね。で、血相を変えてブラウネンに近づくや『しばし書簡を借りるぞ』とおっしゃって、それを凝視なさる。

 当然、ブラウネンは『どうか、なさいましたか』と尋ねたよ。しかしジャッカルゴ様の返事は数秒、遅れた。『いや、何でもない。気にするな』なんて書簡を返したんだが。

 ジャッカルゴ様は一度、ふらりと、その場を離れた。ヘミーチカ様が、まだイリーデたちと談笑しておられたのに。

 おそらくジャッカルゴ様は書斎に入るおつもりだったんだろうが、結局はしなかった。通路で城の代表格の騎士様や使用人頭なんかと数分ほど立ち話したと思ったら、すぐに広間に戻って来た。

 で、ジャッカルゴ様は、居合わせたみんなにアダム王陛下の崩御を伝えたんだ。手短かに。

 そして、こう厳命しなさった。

『とにかく、王陛下が亡くなった事については一切、言及するな。世間話などで耳にすることがあっても、その時は聞き役に徹しろ』

 低い、抑えた声でおっしゃって、広間が静まり返ったのを覚えているよ。

 続けてジャッカルゴ様は、イリーデとブラウネン一家に、帰って、ゆっくり過ごすように促した。そして、ご自身は夜にでも都アガスプスに向けて出発できるよう、段取りを始めた。

 イリーデたちは言われた通りに大人しく退散して、メレディーン城内は、にわかにざわつき出したね。私ら女中や使用人たちは、着替えのお召し物とか、ジャッカルゴ様の急な外出に必要な物をかき集めるべく、城内を行ったり来たり。兵士たちも馬の用意なんかで忙しなかったよ。

 そして旅装が整うと、ジャッカルゴ様は晩餐も召し上がらずに、メレディーン城から飛び出して行った。お供は、ほんの数人だけ。赤ちゃんのナタナエル様と奥方ヘミーチカ様は、私ら城詰めの者たちに預けた。出る直前に『オペイクスを急いで呼び戻せ』と言い残して」

「えっ、オペイクスは出かけていたの?」

「ああ、そうだった。また話が前後したね。オペイクス様は、お里のナクビーと、パールさんの墓参りのためにロミルチ城を回る予定だったんだ。おそらくオペイクス様は、ジャッカルゴ様たちの帰還とイリーデの出産を見届けてから、墓参りに行こうと考えたんじゃないかね。

 オペイクス様を呼び戻しに行った伝令は、すれ違いを心配したようだが、ありがたいことに合流は手間取らなかったよ。オペイクス様は最初の目的地であるナクビーから、まだ移動していなかったんだ。

 それでオペイクス様はロミルチ城行きを中止して、メレディーンに戻って来てくださった」

「うーん、パールのお墓参りは延期か。ちょっと、かわいそう」

「仕方ないさ、緊急事態だ。

 とにかくメレディーン城はオペイクス様も加わって、警戒体制に入ったよ。前回のジャッカルゴ様が一家で都に行った時と同様で、伝令たちがヌビ家領内をひっきりなしに往復した。でも、それだけじゃない。密偵たちだよ。顔も合わせた事もない、多くの密偵たちが、他家の領内に忍び込んで、不穏な動きがないか探るんだ。

 もっとも、他家の密偵もヌビ家領内に入っていただろうから、お互い様だけどね。

 ちなみに、アズールさんもシャンジャビ家の領内とかに派遣されていた」

「オーカーも、また、やって来た?」

「あの人は来なかったよ。噂では、ビッサビア様の使者として、マーチリンド家のスボウ城とツッジャム城の間を何回か往復していたという話だ」

「な、何だかメレディーン城どころか、ヨランドラ全体がざわついているみたいね。

 やっぱり、王様が亡くなった直後って、反乱とか起こりやすいのかな?」

「ああ、ありがちだよ。世界を広く見渡せば、そんな例が幾らでもあるだろう。

 と言っても、あのお優しいアダム王陛下の治世に不満を持つ者たちが存在するなんて、私には、いまいち想像できなかったんだが。

 それに、ね。たとえ国内が良くても、外から他国が攻めてくるなんて事もある」

 うーん。私は唸りながら、顔がこわばってしまう。「いろんなことを心配しなきゃならないんだね」

「そう。あらゆる事態を想定する。そして構えておく。それが、守るってことさ。守るものが国でも、家族とか仲間とかでも、自分自身でも、だよ。

 あんた、マルフトさんのナイフは持っているね」

「う、うん」私は慌てて懐から、それを取り出してみせた。

「よし、上出来だ。

 じゃあ、話を続けよう。ジャッカルゴ様なんだが、この時の都滞在は、城詰めのみんなが予想したほど長くならなかった。そろそろ帰還するとか、事前に手紙を寄こすのも面倒だったのかねえ。ある朝、出発した時と同じ人数で、城門の前に現れたんだ。

 慌てて出迎えた私らは、みんな目を丸くしたし、当のジャッカルゴ様たちも何だかバツの悪そうな顔をなさって。喜んで駆け寄ったヘミーチカ様に、ジャッカルゴ様が一言。『ほとんど仕事にならなかった』と。

 これを聞いて、何人かの男たちが『あ〜』と間の抜けた声を出したよ。オペイクス様も、声までは出さなかったが、やっぱり困った顔をしていた」

「えっ、何。その一部の連中は予想がついたってこと?」

「そうらしい。しかも、あまり良くない予想が、ね。

 とにかく私ら女中や使用人たちは、ジャッカルゴ様とお供の人たちを休ませようと、食堂にお連れした。

 ジャッカルゴ様ったら、ヘミーチカ様とナタナエル様に会いたくて夜通し馬を飛ばして、お疲れのはずなのに、朝食の進みが遅くてねえ。話を何回もはさんで、パンとか、お椀を持つ手が止まるんだ。

 ジャッカルゴ様の話で、都の状況や、アガスプス宮殿の様子が大体分かったよ。ジャッカルゴ様の表情が晴れない理由も、ね」

 セピイおばさんが主人ジャッカルゴから聞いた話によると、犯人、というか原因はグローツだった。急死したアダム王の、すぐ下の弟グローツ。喪主はあくまでも残された王妃だが、義弟にあたるグローツは、彼女を何かと労わりつつ、同時に、亡き兄王の代役も果たしたのである。

 と言えば、聞こえは良いのだが。『実際は、残された王妃と彼女の親族が政務に関与できないように、王弟グローツが割って入ったんじゃないのか』と言うのが、話を聞かされた者たち全員の意見だったらしい。

 もちろん使用人も兵士も、後日ジャッカルゴが居ないところで、そんな噂をしたのだ。主人ジャッカルゴの前では憚られるし、ジャッカルゴ自身も、グローツの名前を軽々しく口にしたりはしない。

「しかし」とセピイおばさんは続ける。

「ジャッカルゴ様も内心は、同じ意見だったろうよ。

 そもそもグローツ殿下だって、たった一人で宮殿を、いやヨランドラ全体を切り盛りできるわけがないんだ。大臣だの役人だの、手伝わせる人材が必要だろ。

 そこは当然、残された王妃様も、アダム王陛下が生前に任命した官僚たちを頼りにするおつもりだったはずさ。

 ところが、だよ。グローツ殿下はそれら官僚たちを押し退けるように、別の集団を宮殿に引っぱり込んだ。どこの連中かって、レザビ家だよ。前にも言った通り、グローツ殿下はレザビ家の娘を娶っていた。で、奥さんの親族であるレザビ家を優遇して、宮殿の仕事を回してやったってわけ」

「露骨な依怙贔屓ねー」と私はジャッカルゴの替わりに、ぼやいてしまう。

「ああ、まさしく依怙贔屓だよ。そして、とやかく意見することはできない。何たって、相手は王弟様なんだから。

 しかも、程なくして王位に着かれた。亡き兄王の跡を継いで、戴冠式をそそくさと済ませて、ね。と言っても、少し先の話だが」

「うーん」と私は大きく唸る。

「やっぱりメイプロニーがグローツの奥さんに収まるべきだったのかなあ。そしたら、レザビ家じゃなくて、ヌビ家が宮殿で幅を利かせることができたのかしら」

「って、あんたはそれに賛成かい?」

「大反対。どう考えても、グローツが良い人とは思えないもん」

「私もだよ。ジャッカルゴ様が苦労なさっている姿を見た後でも、私は、あまり考えたくなかった。メイプロニー様がグローツ殿下の奥方だったら、なんて。とは言え、当時は、もうグローツ王陛下か」

「それにしても、グローツかあ。よりによってグローツが次の王様に収まるなんて」

「あんた、気づいているかい?このグローツ王が、今のヘイロン王のお父さんだよ」

「えええっ」私は、また声が大きくなってしまった。離れ全体が揺れたか、と自分でも思ったほど。腰も、ちょっと浮いた。

「そ、そういうこと。前のアダム王と今のヘイロンが同族だなんて、どうも信じられなかったのよねえ。そうか、グローツの子どもか。そりゃ血も涙も無く、育つわけだわ」

「ちょいと。そろそろ声の大きさに気をつけとくれ。いくら林の中の離れでも、油断ならないよ」とセピイおばさんから、とうとう注意されてしまった。

「また話が先走ったが、ジャッカルゴ様の都滞在中の事情に戻ろう。

 とにかくジャッカルゴ様はアガスプス宮殿に上がって、群臣の一人として先のアダム王陛下の葬儀や次のグローツ王陛下の戴冠式を手伝おうと申し出たんだよ。しかし、そうしたくても、ほとんど入り込む余地が無かった、と。さすがにグローツ新王もジャッカルゴ様を邪険に扱ったりはしなかったけど、やんわりと、そして必ず遠慮する。『穏便に、だが断固として拒絶された』と。ジャッカルゴ様は、そう、おっしゃっていた。

 同行した従者の一人も、ぷりぷりして言っていたねえ。『グローツ新王の後ろで、レザビ家の役人たちやレザビ家出身らしい坊主どもが行ったり来たりしていたんだが。奴ら、こちらをチラ見しながら、ニヤけていやがった』って」

「いやらしいわね、レザビ家って。マムーシュを仲間にしていただけでは飽き足らず」

「ああ。話を聞いた私も、ヒーナ様の事を思い出して、改めて腹が立ったよ。

 でも宮殿でのジャッカルゴ様には、腹を立てている暇なんか無かった。それより、何か少しでも、できることを探さないと。それで宮殿内でウロウロ、モジモジしたんだが、やっぱり見つからない。颯爽とした、いかにも貴公子らしいジャッカルゴ様が、そんな事までしなきゃならなかったなんめ。

 そこまでして気がつくのは、グローツ新王とレザビ家が宮殿を掌握したという事実を再確認するような事だけ。

 例えば、マーチリンド家だよ。宮殿には、ビッサビア様の兄であるマーチリンド家党首と、その従兄弟、つまりアン・ダッピア様のお父様も駆けつけていた。前にも説明したが、マーチリンド家は王家のしきたりや行事について詳しいからね。こんな、王様の崩御なんて緊急事態には大抵、宮殿からお声が掛かるわけさ。ところが、そんなマーチリンド家の者たちでさえ、王の間の隅で苦い顔をしていたとか。

 ジャッカルゴ様が小声で挨拶すると、相手も小声で、ぼやいたよ。

『レザビの者たちが分からないことを聞いてきたら、教えてやったし、段取りに間違いがあれば、指導もしてやった。

 ところが、それらが済めば、用無しと言わんばかりに、彼奴ら、こちらに見向きもせぬわ』

『新興の貴族家のくせに、と言いたいところだが。グローツ王陛下の姻戚とあっては、無視もできん』

 なんて、二人して口々に、ね。

 そんなふうに寄り集まっていたら、ついにレザビ家の党首から近づいてきたよ。

『おお、これはこれは、ヌビ殿。賊討伐の戦以来ですな。お変わり無いようで、何より。

 あの時は、我らレザビ家を、今は亡き先王様に紹介していただくなど、ヌビ殿には何かとお手数をおかけしましたなあ。

 しかし今回はご安心めされ。あれ以来、我々も向上に努めました。甲斐あって、一番上の娘がグローツ王陛下に見初められるまでになりましたぞ。

 此度の葬儀と戴冠式の準備についても、こちらのマーチリンド様から、すでにご指導いただきました。全て、滞りなく進んでおります。

 よってヌビ殿もマーチリンド様たちも、後は我らレザビ家にお任せあれ。さらなる問い合わせで煩わせたりは、もう、しませぬゆえ。葬儀と戴冠式には、ゆるりと参列なされませ』

 とか何とか、一方的に長々としゃべったんだとさ」

「うーん、やっぱり、いやらしいっ。グローツとの関係をひけらかして。

 しかも、アダムの方は名前を省略したように聞こえたんだけど、私の気にしすぎかしら」

「いや、あんただけじゃないよ。居合わせたジャッカルゴ様の従者たちも、後で同じようなことを言っていた。『だからレザビ家の連中は信用ならない』とね」

「つくづく面白くないなあ。グローツはともかく、レザビ家だけでも、なんか、ちょっと懲らしめてやりたい」

「みんな、そう思ったさ。ジャッカルゴ様でさえ、王の間ではレザビに注意しようかと思ったくらいだからね」

「てことは、何か、突っ込めるところが見つかったの?」

「見つかると言うか、ずっと目について気になっていたところだよ。さっき、連中がニヤついていたって言っただろ。アダム王陛下が亡くなったってのに、そんな弛んだ態度だったら、それこそ不敬じゃないか」

「それもそうだわ。言ったれ、言ったれ」

「でも、ジャッカルゴ様は注意しなかったそうだよ。何だか負け惜しみみたいで、言いにくかった、と。

 代わりにでもないが、レザビ家の連中には、マーチリンド家の党首が釘を刺してくれた。もっとも、グローツ新王に伝わるのを警戒して、だいぶ加減した言い方だったようだがね」

「ちぇっ。物足りないなあ」

「おや、舌打ちなんかするのかい?」セピイおばさんは、すかさず、そして穏やかに私をたしなめた。

「そんなんじゃ、城勤めは務まらないよ。

 とは言え、貴族でも男どもだったら、舌打ちする者は少なくないか。

 しかし想像してごらん。城主夫人とか貴婦人たちが舌打ちするところを。そんな話、聞いた事が無いだろ。せっかくの美人が台無しだからね。

 そういえば、オペイクス様やアンディン様も、舌打ちするところなんか見た事も無いよ」

 はぁい、と私は大人しく降参する。やっぱり私に城女中は無理、なんて方向に話が流れたら困るからだ。それに言われてみれば、たしかに、とも思う。

 セピイおばさんは、城女中のことは言わずに、話を続けてくれた。

 ジャッカルゴと従者たちは仕方なく、アガスプス宮殿を退出して、城下町にある父親アンディンの屋敷に逗留した。アダム王の葬儀と新王グローツの戴冠式を、そこで待たせてもらったのである。

 その間にジャッカルゴは、妻ヘミーチカの両親の屋敷へ挨拶に行ったり、宮殿の要人や大司教などに会ったりもしたとか。『せっかく都に来たのだから、できるだけのことをしておきたい』というのが、ジャッカルゴの方針だったらしい。

 しかし、そこまでして実際に会えたのは、ほんの数人だけ。あっという間に葬儀と戴冠式の日を迎え、ジャッカルゴは宮殿の外でも大して収穫を得られなかった。強いて言うなら、自分の両親、妻の両親の健在を確認できた事くらいか。

 戴冠式の後もジャッカルゴは、しばらく様子見を考えた。が、結局は諦めて、メレディーン城に引き揚げたのである。

 

 帰還したジャッカルゴがセピイおばさんたちに聞かせた話によると、アダム王の葬儀とグローツ王の戴冠式は何とも地味なものだったらしい。華美な演出は、ほとんど無し。よって、臣民の代表たる貴族たちに余計な負担が強いられる事も無かった。

 また、亡き兄アダム王の方針を踏襲して、グローツ王も国中で結婚などの祝い事を奨励。臣民に遠慮させたり、我慢させたりもしない。

 それはそれで良いことなのだが。

 話を聞きながら、私はグローツを信頼する気にはなれない。セピイおばさんの表情も、そんなふうには見えない。

「アダム王の方針と言えば」私は、ふと気になって質問をはさんだ。「アダム王は遺言とか残さなかったの?」

「いい質問だよ、プルーデンス。遺言は無かった。それくらい、アダム王陛下の死去が急だったってことさ。

 さっき私は、ジャッカルゴ様がアダム王陛下の手紙を検めたという話をしただろ。ブラウネン夫妻の赤ちゃん誕生を祝う内容の。ジャッカルゴ様がおっしゃるには、その文面には、死期が迫っているという自覚らしき表現は微塵も無かったそうだ。おそらくアダム王陛下は、自分が死ぬことになるとは予想もしていなかったんだろう」

 セピイおばさんは、そこまで言って、ため息をついた。

 

 メレディーン城に戻って、せっかく妻子と再会を果たしたジャッカルゴも、こんな調子では手放しで喜べなかったのだろう。浮かない顔のまま、過ごしていたらしい。同時に、密偵たちを各地に走らせて、国内の動きに耳をそば立てながら。

「次の事態が起こったのは、たしかアダム王の葬儀、ジャッカルゴ様たちの帰還から、さらに三ヶ月か四ヶ月くらい、だったような」とセピイおばさんは言う。

 その日は天気が良かったそうだ。なのに、なぜか赤ちゃんのナタナエルは、やたらクズっていた。母親のヘミーチカは赤ちゃんの機嫌を直そうと、外城郭の開けた場所に出て、陽の光に当ててやった。赤ちゃんのナタナエルは、ようやく、つかまり立ちを始めた頃。しかし、その日は上手くいかなくて、すぐに座り込んだ。それで、さらに機嫌が悪くなる。

 母子のそばには、もちろん、リブリュー家から連れてきた女中も控えていた。

 そこへ父親、ジャッカルゴもやって来た。そして『交代しよう』と妻に声をかける。ジャッカルゴは赤ちゃんを高い高いしてやると『あまり母さんを困らせるんじゃないぞ』と言い聞かせた。

 それは穏やかな声だったのに、赤ちゃんのナタナエルは泣き声を大きくした。

『やれ、叱られたと思ったか。実際、俺は、これからお前をよく叱るだろう。

 でもな。この父も、よく、お前の爺じから叱られたのだぞ。それこそ、この前も都でだ』

 井戸の水汲みか何かでそこに居合わせたセピイおばさんは、このジャッカルゴの言葉を耳にして、つい聞き入ってしまった。前の党首アンディンが、長男で現党首のジャッカルゴをどんな理由で叱ったのか。なるほど、気になるところではある。

 何かと思えば、レザビ家の件だった。都アガスプスの両親たちの屋敷に逗留した際、ジャッカルゴは父アンディンに少々こぼしたのだ。『レザビ家の連中にちょっと言ってやろうかと思ったが、マーチリンド家の党首に先を越された』と。

 これに対して、アンディンは『迂闊』と言うのである。彼の言い分は、こうだ。

『ヒーナの事を思えば、悔しいのは分かるが、今はそこを考えるな。レザビ家に負けてやる、くらいに思え。

 なぜなら我々は、グローツ王陛下の傾向をまだ把握できておらん。レザビ家と事を荒立てた場合、新王陛下がどのような反応をなさるか。少なくとも、無条件で我々の肩を持ってくださる、などとは期待せぬ方がよいだろう』

 主人ジャッカルゴの口から、このアンディンの考えを聞いて、セピイおばさんなど、居合わせた者たちは皆、うーん、と唸った。

「ヘミーチカ様とリブリュー家からの女中は、ともかく」とセピイおばさんは言う。「他の者は、みんな考えていたはずだよ。死んだパウアハルトのことを、ね」

 そう、パウアハルトだ。アンディンもジャッカルゴも、グローツと密な関係を築けている、とは言い難い。ヌビ家でグローツにもっとも接していたのは、パウアハルトだった。そのパウアハルトは、すでに戦死している。肝心な時に居ない。セピイおばさんが先に「ヌビ家にとって不利に」と言っていたのは、この事だったわけか。

「まさか、と思うけど」と私も言わずにはいられなかった。「グローツは、こうなるのを見越して、パウアハルトを海賊、じゃなかった湖賊の討伐に行かせたのかな?ゆくゆくはヌビ家を突き放すつもりで」

 セピイおばさんは苦笑するような、それでいて絶句するような、何とも複雑な表情で私を見つめ、すぐには答えなかった。

「実は、兵士とか騎士様とか一部の男たちが、あんたと同じ推測をしていたよ。

 しかし真相は分からないままさ。グローツ王が本音をさらすわけないだろ。ジャッカルゴ様でも確かめようのない事だよ。

 しかも。ラカンシアの湖賊という他国人も関わっているんだ。グローツ王に何らかの意図があったとしても、ラカンシア人たちが都合よく合わせてくれるなんて、ほぼないよ」

 そ、それも、そうか。私は言葉に詰まって、唸ることも相槌を打つこともできない。

「城詰めの誰も言葉に出さなかったけど。嫌われ者のあの人が、後から惜しくなるなんてね」

 セピイおばさんは、つぶやくように言って、私から目をそらした。言葉に詰まるのは、私だけじゃない、ということか。若き日のセピイおばさんも、当時のメレディーン城の人々も。

「とにかくジャッカルゴ様や、ヌビ家を切り盛りする幹部がたは、パウアハルトに頼らずにグローツ王陛下と向き合わなければならなかったんだ。

 そんな大人たちの不安を察知したのか、赤ちゃんのナタナエル様は、ますますぐすってね。おしっこを漏らしちゃって、ジャッカルゴ様は降参だよ。ヘミーチカ様たちに赤ちゃんを返した。

 ヘミーチカ様のそばに居た女中が言うには、ジャッカルゴ様の袖にもおしっこが染みたようなんだが。ジャッカルゴ様は怒ったり騒いだりせずに、赤ちゃんを優先するよう、静かに促す。

 そんな時さ。伝令がジャッカルゴ様に駆け寄ったよ。一応、赤ちゃんを刺激しないように足音に気をつけていたけど」

「えっ、また?」

「そう、まただよ。しかも、伝令は前回と同じ人でね。小声かつ早口で、まずジャッカルゴ様に謝っていた。それで、また似たような悪い報せなんだ、と私は推測したよ。居合わせた他の人たちもピンと来ただろう。

 それは実際、悪い報せだった。なんとキオッフィーヌ様のお父様、つまりアンディン様のお舅さんであり、ジャッカルゴ様にとってはお祖父様にあたるお方が亡くなった、と」

「えっ。アンディンのお舅ってことは、かつて宮殿でオペイクスをからかった、あの」

「そう。アダム王陛下の前の王様の時に、王弟の一人だった方だ。だから、亡くなったアダム王陛下や次のグローツ王陛下には、叔父にあたる」

 うーん、と私は思い切り唸ってしまう。

「オペイクスとの因縁を考えると、同情する気にもならないし、多分アンディンも苦手意識があったと思うけど。都合良く、なんて言うと、バチが当たるかしら?パウアハルトの時みたいに」

「そうだねえ。今、振り返ってみれば、バチが全く当たらなかった、とは言い難いような。そこは私の話を聞きながら、おいおい考えておくれ。

 とにかく、これでジャッカルゴ様は、また忙しくなったよ。しかもアダム王陛下の時と違って、今回は奥方のヘミーチカ様と赤ちゃんのナタナエル様を伴って、都に行かなきゃならない。

 同時にロミルチ、ツッジャムの二城や領内の各地との連携も大事だ。ナモネア家の三男に嫁いだメイプロニー様にもお祖父様の死去を伝えなきゃならない。そこで、また伝令たちの出番さ。

 一方、私ら女中は、またしてもジャッカルゴ様一家の旅装を準備して差し上げるべく、城内を行ったり来たり。兵士や使用人たちも、厩や城門を何往復もして、馬車とかの用意をしていたよ。

 そんな間にも、ジャッカルゴ様はオペイクス様をつかまえて、改めてメレディーン城で待機しているように言いつけていた。『今回は自分の指示があるまで遠出してくれるな』と。

 そんなこんなで準備は、あっという間に完了したよ。緊急ってことで焦りもしたけど、前回のアダム王陛下の際に経験済みだからね。みんな、へんに慣れて、段取りが良かった。

 それでジャッカルゴ様は、日暮れ前には都アガスプスに向けて出発しようとした。もちろん私ら女中は、お見送りのために、ヘミーチカ様の馬車について行ったよ。

 そうやって大勢が城門から出たら、だ。門前の大通りを騎馬が二組、砂ぼこりを上げながら突進してくる。同じヌビ家の紋章衣なんだが、近づいて来た顔に見覚えがあった。なんと、ベイジの旦那さんとお店の使用人だよ。ベイジの旦那さんは声を先に飛ばして、私に頼むんだ。『ご党首様を引き止めてくれ』って。

 それで私もジャッカルゴ様に声を掛けて、ジャッカルゴ様も他のみんなも、ベイジの旦那さんを待った。

 ベイジの旦那さんは転げ落ちんばかりに下馬して、ジャッカルゴ様に駆け寄ったよ。で、息を切らせながら言うんだ。『どちらにお急ぎか存じませんが、一つだけ報告させてください。ロンギノ様が倒れましたっ』て」

「ええーっ、ロンギノまで」私は、またしても声を出してしまった。

「お名前を聞いた途端、オペイクス様や男連中も同じようにざわついたよ。

 そこまでの事態と予想していなかったんだろう。ジャッカルゴ様も慌てて馬から降りて、ベイジの旦那さんの肩をつかんで問い詰めた。何の病気かは分からないが、ロンギノ様は急に体調を崩したらしい。ジャッカルゴ様が『危ないのか』と確認すると、ベイジの旦那さんは一度つばを呑み込んで『半々かと』なんて答える。ジャノメイ様が呼び寄せた医者が、そう言っていたそうだ。

 ジャッカルゴ様は何とも苦しそうに顔を歪めたね。そりゃ、そうだよ。お祖父様のために家族で都に急がなければならない時だ。ロンギノ様に申し訳ないが、王族の一員でもあるお祖父様を優先せざるを得ない。

 ジャッカルゴ様はオペイクス様を呼び寄せて後を託したよ。『自分が都に居る間に、ロンギノの容態がどうにも厳しくなったら、ツッジャムに走ってくれ』とね。

 逆にベイジの旦那さんには、とりあえずメレディーン城に泊まって、翌朝から急いでツッジャム城に戻るように命じた。すぐに引き返せと言うのも、さすがにかわいそうだし。道中もいずれ暗くなれば、ヌビ家の紋章衣も見えにくくなって、潜んでいる盗賊どもに脅しが効かなくなるからね」

「はっ、そうか。そのためにジャノメイが紋章衣を貸してやったのね」

「そういうこと」

「で、今度はジャッカルゴが、弟ジャノメイへの言づてをベイジの旦那さんに頼んだと」

「そうなんだよ。ジャッカルゴ様はお祖父様の死去を伝えながら、付け加えた。『兄弟を代表して自分が葬儀に参列するから、ジャノメイはツッジャム周辺に目を配りつつ、ロンギノの看護に専念してくれ』とね。

 ジャッカルゴ様は、ナモネア家に居る妹のメイプロニー様、ロミルチ城の従兄弟二人にも、似たような指示を送るべく、それぞれに伝令を走らせたよ」

「てことは、オーデイショーも息子たちにロミルチ城を譲っていたと」

「そうさ。飲み込みが早いよ、プルーデンス。

 もう、王家からのお嫁さんたちもロミルチでの生活に慣れている頃だ。そろそろ、お嫁さんのどちらかがご懐妊じゃないか、なんて話題になっていた。

 しかし、それは、ともかく。ジャッカルゴ様の一家は慌ただしく都に向かったよ。

 私ら女中はベイジの旦那さんと使用人を食堂に連れて行って、夕食を提供した。

 旦那さんは緊張していたね。メレディーン城に長居するとは予想していなかったんだろう。おまけに、さらなる用事を仰せつかったもんだから、それを忘れないように気を張っていた。もっとも『事が事だけに、わざわざ羊皮紙とかに書き留めなくても覚えられる』とも言っていたよ。

 逆に使用人は、若さも相まってか、興奮気味でね。出てきた料理を喜んだり、メレディーンまでの道中でヌビ家の紋章衣がどれほど役に立ったかを演説したり。メレディーン城の女中や使用人たちを相手に忙しなくしゃべって、まあ盛り上げてくれたよ」

「ヌビ家と見れば、盗賊どもも絡んでこなかったか。さすがね」と私は感心してしまう。

「賊じゃなかったが、よその貴族が道を譲ってくれたとさ。『蛇じゃないけど、獣とか他の生き物の紋章衣を着た貴族が二回。花や武器だけの紋章衣の貴族が三回』だったかねえ。使用人さんとしては、普段は自分が貴族に道を譲ってばかりだから、よほど嬉しかったんだろう」

 そう言って、セピイおばさんは少し微笑んだが、すぐに表情を引き締めた。

 

ヨランドラ人貴族の紋章 狼と三日月、投げ戦斧

 

ヨランドラ人貴族の紋章 薔薇など

 

ヨランドラ人貴族の紋章 鞘入りの剣と花(彼岸花か?)

 

「逆にベイジの旦那さんは、オペイクス様と静かに話し込んでいた。オペイクス様から、ロンギノ様やツッジャム城の様子を詳しく尋ねられたんでね。

 ベイジの旦那さんの説明は、大体こんな感じだったよ。

 まず、旦那さんと使用人が定期訪問でツッジャム城に顔を出すだろ。品物も持参して。そしたら、ツッジャム城の城内がごった返すというか、ざわざわしていたと。

 女中も使用人も『薬がどうの』とか『お湯を沸かして』とか『もっと柔らかい毛布は無いのか』とか言い合いながら、右往左往。

 ジャノメイ様から指示を受けた、何人かの伝令が厩へ急いだり。かと思えば、城門から自分の脚で飛び出したり。

 奥方アン・ダッピア様も、監督役のビッサビア様も、深刻な顔でジャノメイ様のそばに居たようだ。何か小声で、ジャノメイ様と話し合っていたとか。

 仕方ないので、ベイジの旦那さんは通りかかった使用人の一人を捕まえたよ。そして、店の品物を届けに上がったことを報告したんだ。

 すると、使用人は早口で答える。『ロンギノ様が倒れたんで、それどころじゃない。荷車は、隅の方に寄せておけ』とね。

 そのやり取りに、ジャノメイ様が気づいてくださったのさ。そしてメレディーンへの使いを頼まれたと」

「ううーん。何だか、メレディーン城の中と似たような状況ねえ」私は首を傾げたくなった。

「もちろん、示し合わせたわけでもないよ。

 話を聞いたオペイクス様は、おっしゃった。『ジャノメイ様が送り出した伝令たちは、城下町や近郊の医者を呼びに行ったのか。あるいはロンギノ様の親族の元に向かったのか。とにかく、あちこちに使いを出す必要があって、ツッジャム城では人手が足りなくなったのだろう。それで君を、こちらメレディーンに寄越した。

 その様子では、ジャッカルゴ様が言われた通り、ジャノメイ様はツッジャム城を離れない方がいいな。もし君の報告を聞いても、まだジャノメイ様がお祖父様の葬儀に参列するべきか悩むようであれば、君からも居残りをお勧めしてくれ。その際に、私やジャッカルゴ様の名前を出してもいいから』なんてね。

 ベイジの旦那さんも真剣な顔で『承知しました』と答えていたよ」

「ベイジの旦那さんは、頼まれ事が増えちゃったね」と私。

 何気なく言ったつもりだったが、セピイおばさんは、目を見開いて反応した。

「そうだ。あんたの言う通りだよ。その後も、ベイジの旦那さんに頼み事が増えるというか。

 あの時、私は気を効かせたつもりで、ブラウネンに声を掛けていたんだ。ちょうど彼がメレディーン城に居合わせたんでね。彼の奥さんのイリーデは私の里帰りに同行して、ベイジの旦那さんたちとは顔見知りだろ。私はブラウネンを連れて来て、ベイジの旦那さんと使用人に紹介した。

 ブラウネンから『旅行中、妻が世話になりました』と礼を言われ、旦那さんと使用人は恐縮していたよ。若い使用人の方は、ブラウネンがイリーデの夫と知るや『いーなー、いーなー、あのお姫様と結婚できるなんて』とか、いつまでも羨む。んだもんで、雇い主であるベイジの旦那さんに軽く叩かれていた。

 それはいいんだが。ブラウネンも調子に乗るでもないだろうに、イリーデと赤ちゃんを連れて来よう、とか言い出してね。

 それを聞いて、オペイクス様が『あっ』と声を上げて、ベイジの旦那さんの肩をつかんだ。『た、たしか、セピイの里帰りで君の家に厄介になった時、君の奥さんもお腹の子に気をつけていたな。今は、どうしている』

 ベイジの旦那さんは驚きながらも、答えた。『失礼ですが、騎士様。あれから三年は経っております。うちの子は、もう歩き出して、少しですが、言葉も発するようになりました』と。

 オペイクス様は続けて、旦那さんたちの両親たちの状況を確認した。ありがたいことに、旦那さん自身の両親も、ベイジの両親も健在だったよ。

 それで安心するかと思いきや、オペイクス様は、今度はブラウネンに同じことを尋ねた。こちらの親たちも四人全員、変わりなかった。

『そ、そうか。良かった』と言いながら、オペイクス様は力が抜けたみたいに、ドスンと椅子に座り直した。しかし言葉のわりには、顔が青ざめていて、とてもじゃないが良さそうに見えない。

 私もブラウネンも勢い込んで、オペイクス様にお尋ねしたよ。『どうかしましたか』と。

 オペイクス様は私らの顔を見回して、だいぶ迷っておられたけど、意を決して、声をひそめて、おっしゃった。

『こ、これから私の見解を君たちに話すが、あくまでも私個人の極端な考えで、間違っているかもしれない。だから君たちは、頭に入れておくだけで、決して口外しないように。気をつけて聞いてくれ。

 私は・・・病が流行っている、と思う』

 オペイクス様のこの言葉に、私らだけでなく、食堂全体が静まり返った」

「そ、それって、ヨランドラ全体に流行り病が出た、とオペイクスは言っているの?」と私も目をむく。「しかも周りの人も聞き耳を立てているじゃない」

「ああ。オペイクス様のお言葉は明らかに、この国全体を指していたね。だから、みんな内容の大きさに驚いて、絶句していたよ。オペイクス様の上役にあたる、城の代表格の騎士様も、いつの間にか、すぐ後ろに立っていた。

 それに気づいて、オペイクス様は上役さんに謝った。『勝手な発言をしてしまいました』と。

 しかし上役さんの反応は、こんなだった。『謝るくらいなら、皆に根拠を話せ。何か思い当たる節があるのだろう』

 それでオペイクス様が話してくださったのが、ナクビーの様子だった」

「えっ、ナクビー?ヌビ家の領内じゃないでしょ」

「そうだよ。話があっちこっちに飛ぶように聞こえるかもしれないが、よく思い出しておくれ。アダム王陛下が亡くなった時、オペイクス様はナクビーに里帰りしていただろ」

「はっ、そうだった。それでパールの墓参りを我慢しなきゃならなかったよね」

「そう。オペイクス様がロミルチ城まで回れなかったのは、お里であるナクビーの町で用事が増えたからなんだ。

 また少し話が前後するが、まずナクビーの町に着いたら、ここ数年で知人が何人か亡くなっている事が分かった。パールさんを何かと助けてくれた、あの、ボジェナさん。オペイクス様のお母様。それと、一緒に一揆を戦ってくれた人も何人か。

 お母様の死去は、例によって弟さんからではなく、親切な住民たちから教えてもらったそうだ。さすがにお墓で手を合わせようかと思ったけど、オペイクス様は後回しにしたよ。ボジェナさんの方を優先しようと。ご家族を訪ねて、お墓に参った。そして、その墓地で、一揆に共闘してくれた人たちのお墓も、一つひとつ回ったんだと。

 そうやってナクビーに滞在していた時に、別の不幸事が起きたよ。元一揆勢の一人が、息子さんを病気で亡くしたんだ。オペイクス様からすれば、大切な戦友の息子さんだからね。オペイクス様は、そのまま葬儀に参列して、ご家族を慰めた。なんでも、まだ二十歳にもなっていない若者だったらしい」

「な、なんか人が亡くなりまくっているわね」私は思わず、口をはさんでしまう。

「ちょいと、まだ終わってないよ。

 葬儀のミサの後、ナクビーの住民たちとオペイクス様は、棺と共に墓地に向かおうとした。すると、その道中で、別の住民が駆けつけて、騒ぐんだ。誰とこの子どもが亡くなった、と」

「ええーっ」

「しかも、こちらの場合は、ほんの五、六歳。その子の葬儀にも参列しようと、オペイクス様は滞在を延ばすことを考えた。そしたら、さらに別の子どもが危篤だとか知らされて。

 そんなこんなでオペイクス様が驚いているところへ、メレディーン城からの伝令が駆けつけたわけさ。オペイクス様はナクビーの仲間たちに詫びながら、メレディーンに戻ったんだよ」

「い、一体どうなっているの。

 あっ」

「だからオペイクス様は流行り病を心配したのさ。

 まあ厳密に言えば、アンディン様のお舅様もボジェナさんも、そしてオペイクス様のお母様も、結構なお歳だったはずだ。寿命と言っても、おかしくないだろう。しかしアダム王陛下やナクビーの若者、子どもたちは、どう考えても早過ぎる。それぞれ、もっと人生があっただろうに」

「となると、オペイクスが流行り病を心配しても、おかしくないわね。周りの人たちも納得したんじゃない?」

「それが納得どころじゃなかった、と言うか。

 オペイクス様が話し終えると、女中たちの中から『あのう』と遠慮がちな声が聞こえた。皆が注目すると、本人は手もあげていたよ。へミーチカ様がリブリュー家から連れてきた女中さんだ。『私からも、よろしいでしょうか』と言うから、オペイクス様も上役さんも『どうぞ』と促す。で、今度は彼女からも話を聞いたんだが。

 内容は、要するにリブリュー家の状況でね。

 へミーチカ様の従兄弟さんが亡くなっていたよ。それが、よりによって前のアダム王陛下が亡くなって、ジャッカルゴ様が都に滞在していた時だ。へミーチカ様はメレディーン城で、夫であるジャッカルゴ様の帰りを待たなきゃいけない。だから、里帰りして葬儀に参列、というわけには、いかなかった。ヘミーチカ様は、仕方なく手紙を送ったよ。

 すると、その返事が届いて、そこには、また別の人の死が記されていた。なんと今度は、その女中さん自身の親戚だった。地元の小貴族に嫁いだ、お姉さんの子ども。やっと十歳になったばかりだったそうだよ」

 ううーん、と私は、またしても唸ってしまう。

「だから、まだ終わっていないって。

 その女中さんの話が終わると、さらに別の手が上がるんだ。たしか、メレディーン城の兵士と、女中が一人ずつ。『言われてみれば、俺の従兄弟も最近、死にました。先月です』『私のところは、叔父が一人、亡くなりました。まだ中年の域で、老年と言うには少し早いと思います』

 これらの報告で、また食堂は静まり返るんだよ。それでいて、みんな、妙にそわそわしていた。その中には、自分も言うべきかと迷っている顔が幾つか、あったね。

 オペイクス様と上役さんは、まずへミーチカ様づけの女中さんに礼を言ったよ。『貴重な証言に感謝する』と。そして改めて、みんなに口止めしたんだ。心配なのは山々だが、その時点では、あくまでも推測に過ぎないから。

 それでもオペイクス様と上役さんは、とにかく二つのことを決めたよ。薬の確保と、医者たちとの連絡を密にすること。ジャッカルゴ様が居られたら、そう指示なさるはずだからね。

 翌朝、ベイジの旦那さんは使用人を引きずらんばかりに、大慌てで帰っていった。急いで、奥さんのベイジや家族の無事を確かめたかったんだろう。

 そんな後ろ姿を見送りながら、オペイクス様はブラウネンに忠告するんだ。『しばらくは、イリーデや赤ちゃんを含め、ご家族を城に連れて来ない方がいいかもしれない』と。

 ブラウネンは絶句していたけど、明らかに納得していたね」

 そこまで話してから、セピイおばさんは深いため息をついた。

 

「な、なんか。ヌビ家が下り坂、どころじゃないわ。ヨランドラ全体が大変な事になっている、としか思えない」

「そうだねえ。あの頃は、暗雲立ち込めると言うか、不安で仕方なかったよ。

 ある時なんか、シルヴィアさんがオペイクス様と上役さんをつかまえて言うんだ。『アンディン様ご夫妻をこちらにお呼びして、静養していただくのは、どうでしょう。こちらメレディーンより都の方が、病が流行っているように思えます』と。

 そしたらノコさんが、すかさず割って入った。『おやめ、シルヴィア。あんたもアンディン様の性格を分かっているだろ。一度決めた事を、やっぱり、なんて撤回なさるようなお方じゃないんだ。この城をジャッカルゴ様に任せたからには、アンディン様が足を踏み入れることも、口をはさむことも、もう無いよ』

 オペイクス様の上役さんも『そうだな、ノコの言う通りだろう。アンディン様もキオッフィーヌ様もたしかに心配だが、ご本人たちが動くまい』とか同意していた」

「さすがにシルヴィアも、シュンとしたかな」

「かもしれないけど。シルヴィアさんは、ほとんど顔に出さなかったから、私とノコさんみたいに事情を知っている者以外は、誰も気づかなかったはずだよ」

 セピイおばさんの推測に、私はシルヴィアがちょっと可哀想に思えてくる。アンディンへの気持ちは応援できないけど。

 それにしてもヌビ家は、やはり名家だ。セピイおばさんの話によると、オペイクスたち幹部は薬の類を確保しながら、領内各地の役人たちに調査と報告もさせたのだ。

 何を調べるのかというと、薬が必要でも買えないような、貧しい世帯の数。そして、薬の値段を吊り上げようと買い占めに走る商人どもの数と位置。貧しい領民には役人や使用人たちを通じて、薬を届けさせ、同時に強欲な商人どもを取り締まるわけである。

 ありがたい事だ。これでこそ領主だ、と私は思う。ちなみに、ここ、山の案山子村でも、薬を分けてもらった家が何軒かあったそうだ。

 うちは村長の立場として、遠慮したけど。セピイおばさんのお父さん、つまり私の曾祖父は、この時に死んだ。風邪をこじらせたかと思ったら、どんどん食欲が無くなって、寝たきりになったそうだ。ベイジ夫妻が医者と役人を伴って、薬を届けに来てくれたのに。病床の曽祖父はそれを受け取って礼を言ったものの、すぐに付け加えた。

『自分は歳だから、死ぬのは仕方ありません。いずれ死ぬ自分に薬を使うより、子どもたち、若い者たちに使った方が良いでしょう。薬は、親族の子どもに譲ります。

 お役人様も、どうか、ご了承くださいませ。若城主様にも感謝しております』

 この曽祖父の遠慮というか気づかいにより、セピイおばさんの従姉妹、曽祖父から見て姪の一人が生きながらえた。その人は結婚して、小さい子が居たんだとか。

 さらに、もう一人。セピイおばさんのお兄さんのお嫁さん、つまり私たちのお婆ちゃんの甥っ子にも薬が行き渡って、助かった。

「死んじゃったのは残念だけど、そんな人が自分のひいお爺ちゃんだなんて、誇らしいよ」

「あんたのひいお爺ちゃんが言うには『薬を使っても、結局、寿命でお迎えが来る』と。

 私としては、残される母さんが可哀想な気もしたよ。でも、兄さんと義姉さんがついていると思えば、安心もできた。兄さんたちの子である、あんたたちのお父さんも、よちよち歩きで母さんを慰めてくれたようだし。

 って、この母さんは私の母さんだよ。あんたたちのお母さんであるミリーじゃなくて、あんたたちのひいお婆ちゃんだからね」

「ふふっ、ややっこしい」

 私とセピイおばさんは、それで少し笑うことができた。

 ちなみに、この曽祖父の配慮を、ツッジャムの若き城主ジャノメイも褒めてくれたそうだ。

「私はそれをオペイクス様から伝え聞いたよ。

 続けてオペイクス様は、おっしゃった。『おそらく、このヨランドラの各地で、同様の行為が他にもあったに違いない』とね」

「ナクビーでも居たかな?ひいお爺ちゃんみたいに薬を譲った人」

「居たんじゃないかねえ。案外、ボジェナさんが亡くなったのは、そんな事情かと思ったよ」

 私は、また唸ってしまったが、それまでとは違って、感心した上でのことだ。ああ、ナクビーが隣り町だったら、ボジェナさんの墓参りに行くのに。

「ところで、薬を買い占める商人って、ほんとに居たの?」

「ああ。信じたくないだろうが、居るんだよ、これが。しかも一人や二人じゃない。一人捕まえても、しばらくして、また別の奴が出てくる始末さ。情けない話だよ。

 念のため言っておくけど、メレディーン城でオペイクス様たちから口止めされた人たちだって、外でぺらぺらしゃべったりは、していないんだよ。事が事なんだ。城詰めのみんなが、流行り病だなんて言いふらすはずがない。罰を受けるとか、どころじゃない問題と分かっているんだ。

 それなのに、悪徳商人どもときたら。アダム王陛下の死を伝え聞いたり、周囲で人が亡くなるのを見たりして、ピンと来るのかねえ。本人たちは商売のつもりかもしれないが、薬の値段が吊り上がって、買えなくなる平民たちにとっては、たまったもんじゃないよ。

 そうそう。オーカーさんも、アズールさんも、それぞれの任地で、そんな奴らを現行犯逮捕してくれてね」

「へえ、ちゃんと貢献しているじゃない」

「それはシルヴィアさんが言っていたよ。やれやれ、あんたがシルヴィアさんに会えたら、結構、気が合ったかもね」

 また二人して笑えた。

「アズールさんったら、シルヴィアさんと奥さんのスカーレットさん相手に、長々と愚痴ってねえ。久しぶりにスカーレットさんをメレディーン城に連れてきたのに、だよ。

 何が不満なのかと思えば、オペイクス様や上役さんたちに褒められたのが『余計だ』と。市場とかで商人が薬の値段を吊り上げる現場を押さえたのはいいんだが、本人にしてみれば、大した事じゃないらしくてね。『あんな、小悪党とも呼べねえような、ど素人を縛り上げても、自慢にもならねえよ。賊討伐とか戦じゃねえんだから』だって。

 おまけに、ツッジャムから伝わってきた、オーカーさんの手柄より一件少なくて、それがまた面白くなかったらしい」

「ええーっ。騎士様ともなると、街のゴロツキなんか、目じゃないってことかしら」と私も、珍しく色男さんたちを褒める気になる。

「城の兵士や使用人たちが言うには、悪徳商人たちも用心棒めいた男どもを引き連れていたようだけどね。それもアズールさんに言わせれば『見掛け倒しもいいとこ』なんだとさ」

「ふふーん。そこまで言うアズールやオーカーは一応、顔だけじゃなかったってわけね」

 セピイおばさんは、とうとう声を上げて笑った。

「あんたも手厳しいじゃないか。その調子だよ。そうやって男を吟味しておくれ。そしたら、私も安心だ」

 

 続けてセピイおばさんは、他の男たちの活躍も聞かせてくれた。

 一人は、ヴァイオレットの旦那さんである。メレディーン郊外の役人として、貧しい家庭に薬を配って回る方だった。

 もう一人は、こちらツッジャムの人。ヴィクトルカの旦那さんで、色男オーカーが悪徳商人と用心棒を捕まえる際に加勢してくれたんだとか。

「これが残念なことに、噂の域を出ないんだ。ベイジの旦那さんがツッジャム城で仕入れた話は、こんな感じさ。

 まず買い占めの現場で、オーカーさんが商人に待ったをかけるだろ。それで商人の用心棒たちとオーカーさんの小競り合いになるんだが、そいつらの首領らしい大男がオーカーさんを背後から羽交締めにしようとしたよ。そこに割って入って、防いでくれた人が居たと。

 オーカーさんとちょうど似たような背格好の青年で、外套を着込んでいたけど、少しはだけた時に、紋章衣らしき色が見えた。

 目ざとくて好奇心旺盛なオーカーさんのことだ。気になって仕方なかったんだろうね。商人たちを縛り終えると、オーカーさんは慌てて、その御仁を引き止めた。

 相手は、オーカーさんがヌビ家の紋章衣を着ているのを見ると『貴殿に比べれば、自分など下級の貴族です。名乗るほどでもありません』なんて、そそくさと退散しようとする。

 オーカーさんは粘ったよ。『教えてもらえなかったら、若城主ジャノメイ様に報告もできねえし、上役のロンギノ様からも叱られるに決まっている。下手すれば、ロンギノ様は病床で頭に血が上って、容態が悪化するかもしれねえ』とか、あれこれ言い募って。

 しかし、相手の方も遠慮をやめないんだ。『貴殿の上役の方がご病気なら、なおのこと私などで煩わせてはいけません』と。

 で、オーカーさんは知恵を絞った。『よし、分かった。どうしても名乗らねえんなら、それでもいいや。ただし代わりに、おたくの紋章衣を見せてくれよ。ちらっとでいいから。後は、こっちで勝手に調べさせてもらうぜ』なんてね。

 根負けした相手の方は、オーカーさんの言う通りに外套の前を開けて、紋章衣を見せてくれたよ。遠慮するだけあって、そこには、たしかに蛇も他の生き物も描かれていなかった。しかし左半分だったか、竜巻らしい線の集まりが描かれていてね。もう半分は、真ん中に花が一輪だけ。オーカーさんも珍しいと思い、由来を聞きたくなったよ。でも、その方は人混みに紛れて、去ってしまったそうだ」

「私も覚えているわ。花嵐の紋章でしょ。その話を旦那さんから聞いたベイジも、ヴィクトルカを思い出したのね。そして、オーカーに助太刀した人は彼女の旦那さんだろう、と推測した。

 でも、それなら、ヌビ家の騎士であるオーカーに対して、何だか、よそよそしいような。ヴィクトルカと旦那さんは、ヌビ家に縁組してもらったはずなのに。

 あ。もしかして、結婚後にヴィクトルカの事件を知って、ヌビ家に騙されたような気になっている、とか」

 自分で言っておきながら、私は嫌な気分になった。

「よく気がついたよ、プルーデンス。あまり楽しくない話だが、女は、そうやって気をつけなければならないんだ。男に対して、ね。残念ながら。

 あの頃は簡単に里帰りってわけにはいかなかったから、ツッジャムに居るベイジとは手紙でやり取りして、その問題についても話し合ったよ。もちろん私もベイジも、ヴィクトルカ姉さんの旦那さんが事件のことで姉さんを責めるような人じゃない、と思いたかった」

「そのためにスネーシカが念押ししてくれたんだもんね」私は、言いながら手を握りしめる。

「何とか、確かめられないかな。ヴィクトルカの状況」

「やってみたよ。ベイジに手紙で伝えたんだ、もうロンギノ様かジャノメイ様にお頼みするしかない、と。それでベイジ夫妻がツッジャム城に上がると、療養中ながらロンギノ様が話を聞いてくださった。

 また話が前後するが、実はジャノメイ様はツッジャム城を留守にしていたんだ」

「えっ、ロンギノの病気とかで、あまり動かない方が良かったんじゃ」

「うむ。そこは、また後で話すよ。

 とにかくロンギノ様は、私やベイジの懸念を理解してくださった。ロンギノ様も、姉さんの事件をご存じだったよ。あの人、モラハルトの部下として耳にしたのかもしれない。

 その上、ロンギノ様はヴィクトルカ姉さんの嫁ぎ先もご存じだったんで、使用人や兵士を何回か派遣してくださってね。こっそり物陰から覗かせたが、とくにヴィクトルカ姉さんがいじめられているような様子は無かった。どちらかと言えば、旦那さんはヴィクトルカ姉さんをよく気づかっていたとか」

「ふーむ。人の目に気づかなくても、そんな調子なら、大丈夫よね?」

「ああ。ロンギノ様も、そう言ってくださったそうだよ。ベイジからの手紙に書いてあった」

 セピイおばさんの答えに安心して、私の肩から力みが抜けた。

「それにしても、オーカーに助太刀したのは、やっぱり、その人じゃないの?」

「私も、そう思ったんだけどねえ。本人は、どうしても認めなかったらしい。

 ロンギノ様から派遣された兵士は、もう思い切ってヴィクトルカ姉さんの旦那さんに声を掛けた。自分の身分やオーカーさん、ロンギノ様との関係を説明してから、お勧めしたんだよ。『ツッジャム城に上がって、ジャノメイ様からご褒美を貰ったらいい』と。

 しかしヴィクトルカ姉さんの旦那さんは、承知しないんだ。『人違いです。自分が褒美をいただくわけには、まいりません』って。

 ロンギノ様の兵士は仕方なく、ツッジャム城に帰った」

「うーん。謙虚を通り越して、やっぱりヌビ家を避けているような気がする」

「そこはロンギノ様も、病床で感じておられただろうけど。こういう、悪くもない人に無理強いするようなロンギノ様でもないよ。助太刀の件は結局、うやむやになった。

 私とベイジは、とりあえずヴィクトルカ姉さんの近況を知ることができて、良しとしたよ」

 疫病や薬買い占めの商人は嫌だけど、なるほど、そこは思わぬ収穫だ。

「あっ。そういえば、オーカーの手柄がアズールより一件多かったのは、その人のおかげなんじゃない?」

「ああ、考えてみれば、そうだね。私も、そう言ってアズールさんをなだめればよかったか。

 いや、結局シルヴィアさんは、どちらにも手加減しなかっただろう」

 セピイおばさんは、そう言って笑った。

 

「ちなみに、ね」とセピイおばさんは話を続ける。「私はこの、ヴィクトルカ姉さんの旦那さんのことを、オペイクス様に話してみたんだ」

「オペイクスの意見も聞きたかったんでしょ」と私も合いの手を入れる。

「その通り。

 ただし、旦那さんのことを話すためには、その前にヴィクトルカ姉さんの事件についても話さなきゃならない。ヴィクトルカ姉さん本人の了承も無く、だ」

「だからこそ気をつけて話さなきゃならない。だけどオペイクスなら分かってくれるもんね。ぺらぺら言いふらすような人じゃないし」

「そう。実際オペイクス様は、真剣に私の話を聞いてくださった。私が語るヴィクトルカ姉さんと旦那さんの話を。

 はじめ、オペイクス様の表情はあまりにも固くて、怒っているように見えなくもなかった。でも、だんだん眼差しが緩むというか。終いには微笑んでいるように見えたよ。

 オペイクス様の意見は、こんなだった。

『私は、その人に結構、期待するなあ。ロンギノ様の見立て通り、奥さんを責めたりはしていないだろう。

 そりゃあ、奥さんの辛い事情を知らされて、行き場の無い怒りを持て余している最中かもしれない。

 でも、オーカー君の話だと、旦那さんは、一風変わった紋章衣を着ていたんだろ。私は、そこが要点だと思う。さらにセピイの話では、花嵐とかいう、その紋章は、旦那さんの生家のものではなく、奥さんの生家のものじゃないか。

 つまり、旦那さんは自分を主張するのではなく、奥さんの存在を主張している。奥さんを肯定しているんだ。奥さんに、どんな辛い過去があろうとも。

 私は、その気持ちが分かる、と言うか、共感するなあ。人の気持ちが分かるとか、簡単に言うべきではないかもしれないが。大いに感心するし、興味がわく。

 とは言え、向こうが、こちらヌビ家を避けているようであれば、どうしようもないが』

 ってね」

「話した甲斐があったわね、セピイおばさん」

「ああ、私は嬉しかったよ。ヴィクトルカ姉さんと旦那さんは辛い思いを秘めているだろうけど、ここにも、あなた方を分かってくれる人が居ますよ、と。あなた方の味方が居ますよ、と声を大にして叫びたかったね」

「よかった。やっぱり、オペイクスは頼りになるわ。アンディンが彼をヌビ家に引き入れて、大正解よ。

 しかもオペイクスは、自分の姓エクテじゃなくて、パールの姓であるアヴュークを名乗っている」

「覚えていてくれたか」

「もちろん」

「ありがとよ、プルーデンス」

 微笑んでくれたセピイおばさんの目は、少し濡れているように見えた。

 

 それから話は、またジャッカルゴに戻った。セピイおばさんを含む、城詰めの者たちが留守番に専念している中、彼の一行がメレディーン城に帰還したのである。実は、オペイクスたちが考えた流行り病の説をふまえて、伝令が彼らを追いかけるように走った、という事情もあった。党首一家を都アガスプスに長居させるわけにはいかなかったのである。

 帰ってきたジャッカルゴは、都アガスプスでの出来事を少しずつ、城詰めの者たちに語った。

 まずは、葬儀の状況。かつては王弟の立場でもあった祖父の葬儀だが、先のアダム王の時と同様、長引いたりはしなかった。グローツ王をはじめ、王族たちが取り仕切って、そそくさと済ませたからである。アンディンとジャッカルゴのヌビ家父子は、ただ参列しただけ。手伝ったり、口をはさんだりするような機会は、またしても無かった。

 葬儀の後にジャッカルゴ一家は、妻ヘミーチカの両親の屋敷も訪れている。それで幼いナタナエルは、母方の祖父母と再会できた。加えてジャッカルゴからも、妻ヘミーチカの従兄弟の死についてお悔やみを伝える事ができた。

 都の要人たちを訪問して回る事は、今回ジャッカルゴは、しなかった。伝令から勧められた事もあるし、前回のアダム王の時と違って、グローツ新王の戴冠式のような別の行事も無いのだ。病の感染を心配しながらでも、わざわざ居残ってするような事ではない。

 代わりでもなかろうに、珍事というか、予想外の再会があった。

「ジャッカルゴ様は何とおっしゃったんだったかねえ。だいぶ忘れかかっているけど。たしかジャッカルゴ様のご一家がヘミーチカ様のご両親のお屋敷を辞して、アンディン様たちのお屋敷に戻る時だったような。

 おそらくジャッカルゴ様は騎乗して、ヘミーチカ様と赤ちゃんのナタナエル様は馬車の中。それにお供の兵士たちが、そばについていたんだろうよ。

 そしたら都の大通りの反対側から、やたら視線を送ってくる御仁があった。誰かと思えば、マーチリンド家党首の従兄弟さんだよ。ほら、ジャノメイ様の奥方、アン・ダッピア様のお父様でもある。前回のアダム王の時に続いて、またもお会いしたわけさ。

 と思ったら、すぐ後ろからジャノメイ様本人も出てきて、横に並ぶじゃないか。さらにはジャノメイ様のすぐ後ろに、外套で頭から爪先まで、すっぽり身を包んだ女性らしい姿もある」

「ええっ、それって」

「アン様。夫婦揃って、そこに居られたんだよ」

「ツッジャムに居ないと思ったら、夫婦で都に来ていたのね」

「そうなんだよ。ベイジの旦那さんが戻った時には、もう都に向かって出発した後だったらしくてね。

 何でこうなったかは、アン様のお父様がジャッカルゴ様に説明した。通りの往来を止めて、ジャッカルゴ様たちのところに歩いて来てね。もちろん、お供も連れて。

 きっと、止められた都の住民たちは注目しただろうよ。ヌビ家とマーチリンド家という、二つの名家が向かい合うんだから。

 ジャノメイ様は気を利かせて、お舅さんに言ったそうだ。『兄には自分から説明しましょうか』と。

『いや。マーチリンドを代表して、私から話そう』とお舅さんは答える。

 で、そのままジャッカルゴ様に事情を話すんだが。それが、いたって普通の声量だったと。もう、通りすがりの都人たちが聞き耳を立てても仕方ないと、あきらめたんじゃないかねえ。

 で、お舅さん、アン様のお父様がジャッカルゴ様に話したのは。なんと、まあ、マーチリンド家党首の急死だった」

「またぁ?」

「そう、まただ。

 前のアダム王の葬儀の後、マーチリンド家の党首と従兄弟さんも、自分たちの居城スボウに戻ったよ。しかし党首の方は体調を崩して、あっという間に寝込んでしまったと。後から伝わってきた噂だと、どうやらマーチリンド家の党首は吐血したらしい。この時は都の人通りの中だから、さすがに従兄弟さんもそこまで言わなかったようだが」

「ず、随分ときつい急変の仕方ね」

「ああ、マーチリンドの家中は大騒ぎだったろう。

 しかも、この党首の跡継ぎが若すぎた。党首が再婚したんだったか、事情は忘れたけど。跡継ぎの子は、たしか、やっと十歳になったか、ならないか、と聞いたよ。ビッサビア様から見れば、甥っ子にあたる。

 その上、マーチリンド家にとって悪い事が、もう一つあった。急死した党首には男兄弟が居なかったんだ。若くして兄と弟を亡くして、党首になったはいいが、後は姉であるビッサビア様だけ。それでマーチリンド家では、党首の従兄弟たちを招集して、若すぎる跡継ぎを補佐する男手を確保したのさ。

 ちなみに、アン様のお父様、ジャノメイ様のお舅さんは、そんな従兄弟たちのまとめ役だったらしい。元々、党首の片腕のような存在だったんじゃないかねえ。

 とにかくマーチリンド家では、党首亡き後の舵取りに、ジャノメイ様のお舅さんをはじめ、幹部たちが頭を悩ませたわけだ。そして方針を決めた。しばらくは公表しないでおこう、と。

 一方、娘婿であるジャノメイ様には事情を話した上で、口止めした。親子の絆を尊重して頻繁に娘に会わせてくれるジャノメイ様を信頼しての事だよ。

 これに対してジャノメイ様は、お舅さんのお手伝いを買って出て、都まで同行した。そしてアン様は、そんなジャノメイ様について行くと言って聞かなかった、というのが専らの噂だ」

「ジャノメイとしては、かわいい奥さんのアンを都の男たちの視線に晒したくなかったんでしょうね。だから、外套なんかでガチガチに固めて」

 私が言うと、セピイおばさんは苦笑した。

「おそらく、その通りだろうけど、あんたもジャノメイ様くらいは手加減してあげな。オーカーさんたちじゃないんだから」

「それにしても、その、アンのお父さんとしては、娘婿のジャノメイに手伝ってもらうような事があったの?」

「多少は、あったようだよ。宮殿のごく一部のお偉いさんにだけ、党首の死を報告したり、その関連で面倒な手続きを隠れてしたり、とか。付き合いのある司教や修道院長のところも密かに訪問してね。それがダメなら書簡で知らせる、なんて事も。宮殿近くのマーチリンド家の屋敷では、家財の片付けを少々と、党首の遺品の回収なんかもしたとか。

 どれも、だいぶ後になってから、ベイジの旦那様がジャノメイ様本人から聞いた話だよ」

「ふーん。ん?

 ところで、アンのお父さんやマーチリンド家の幹部たちは、党首の死を公表しないつもりだったんじゃ」

「それが、都でジャッカルゴ様を見かけて、観念したんだとさ。党首が死んでしまっている事に変わりはないだろ。いつかは公表しなければならない。時間の問題だ、とアン様のお父様も分かっておられたんだ」

「やっぱり、そうよねえ」と私も頷く。

「加えてアン様のお父様としては、ヌビ家の新党首たるジャッカルゴ様に一言、言いたくもあった。それで、わざわざ都の大通りをまたぐようにして、自分からジャッカルゴ様たちに近づいてきたのさ」

「えっ。何か文句でも言うの」

「じゃなくて、断りだよ。アン様のお父様はジャッカルゴ様に断りを入れたんだ。近々ビッサビア様をマーチリンド家に呼び戻したい、と。亡き党首の若すぎる跡継ぎを補佐するために、人員を増やしたかったそうだ」

「ふーむ。ある意味、オーカーの予想が当たった事になるわね。

 それでジャッカルゴは、何と答えたの。ヌビ家党首として」

「何って、ダメだなんて言うような話でもないよ。ジャッカルゴ様やアンディン様から見れば、ビッサビア様は裏で密偵たちを操っていた前科者だ。そんな人がヌビ家を出て行ってくれるのなら、どうぞどうぞってところさ」

「そういえば、そうか」

「というわけで、両家の立ち話は手短かに済んで、解散となったよ。

 ちなみに男たちが話している間に、ヘミーチカ様とアン様も、話ができたようでね。アン様は赤ちゃんのナタナエル様を抱っこして、ちょっと騒いだとか。『やだ、この子ったら、私からもお乳をもらいたがってる』なんて言って。後々、笑い話になっていた」

「それ、居合わせた従者たちが、後で言いふらしたんでしょ。

 なんだか、かつては王弟だった人が死んだ事なんて、忘れそうな話ね」

「でも、不謹慎ってほどでもないだろ。アン様にしてみれば、夫であるジャノメイ様のお祖父様が亡くなったってだけで、どうしても馴染みは薄いからね。

 ジャノメイ様にしたって、生前のお祖父様とちょくちょくお会いするってほどでもなかったそうだ。ジャッカルゴ様も、おそらく、そうだろう」

「となると一番悲しんだのは、やっぱり娘であるキオッフィーヌか。

 ところで、おばさん。私、思ったんだけど、ジャノメイの立場が、なかなか微妙なんじゃない?アンの生家マーチリンドと自分の生家ヌビの板挟みになって」

「よく気がついたね、と言いたいところが」セピイおばさんはニヤリとした。

「ジャノメイ様本人は、私らが心配するほど悩まなかったようだよ。

 これも後になって、耳にしたんだけどね。ある時ジャノメイ様が、兄であり、党首でもあるジャッカルゴ様に、こんなふうに告白したそうだ。

『僕は正直、家など、どうでもいいと思っている。ヌビでも、マーチリンドでも。

 大事なことは、ただひたすらに、アンのためになるか、どうか。それだけだよ。いくら財を増やして、領土を広げても、アンのためにならないようなら、何の意味も無い。もちろん、彼女を養うためにそれらが必要というのであれば、話は別だけど。

 だからね、兄さん。もしヌビ家とマーチリンド家が仲違いするような事があれば、僕はツッジャムの城も配下の者たちも全て兄さんに返して、一人でアンについて行くつもりだ』

 とね」

「ふふーん。自分にとって何を優先すべきか、前もって考えて、決めていたのね。

 でも、聞かされたジャッカルゴは怒らなかったかな?」

「怒るも何も。ジャッカルゴ様は苦笑したんだと。もうすでに、ジャノメイ様は意固地になっているようなもんじゃないか。叱ったり、説得しようとしたりしても、無駄だと分かっておられたのさ。

 さらに言えば、ジャッカルゴ様は推測したそうだよ。『さては、ジャノメイは、奥方であるアンのお父上にも似たようなことを宣言したのだろう』と」

「てことは、結局ジャッカルゴも、弟ジャノメイの気持ちを充分、理解していたのね。

 そもそもジャッカルゴだって、奥さんのヘミーチカの生家リブリューとこじれたくなかったでしょうし」

「そういうこと。事情は同じさ。

 そして私ら領民も、その方が平穏な暮らしができるってわけ」

 セピイおばさんは、そう付け加えて、盃にちょっとだけ口をつけた。