第十三話 戦(いくさ)の話
翌朝、私は寝坊した。セピイおばさんがわざわざ私の父さんと母さんに根回ししてくれると思うと、あまり寝坊したくなかったけど。
おばさんが父さんと母さんに話をつけるとしたら、朝、二人をつかまえるしかない。そのために、おばさんは私を送り出した後、そのまま寝ずに起きていたのでは。そう予想すれば、のうのうと寝坊なんて、申し訳ない。
それに私としても、オペイクスの物語はあまりにも衝撃的だったのだ。どうせ寝付けないに決まっている。私は、オペイクスとパールの事を考えながら起きていよう。そういうつもりだったのだが。
気がつけば、正午になっていた。結局、寝てしまった。何だか恥ずかしい。
こんな時間まで誰も起こしに来なかったという事は、やはりセピイおばさんが父さんたちに根回ししてくれたのだ。仕方ない。私は畑に行って、父さんを探す。
弟がすれ違いざまに、私をずるいの何のと言うが、無視。私は父さんに謝りながら、セピイおばさんの様子を探る。
父さんは私を叱るどころか「何だ。もう少し寝ていた方が良くないか」と来た。せっかくの気づかいだが、今の私としては嬉しくない。オペイクスとパールを知り、そのためにセピイおばさんに夜更かしさせた、今の私としては。
幸いな事と言うべきか、セピイおばさんは根回ししてくれた後は「自分も寝る」と宣言して引っ込んだらしい。
私は腹をくくって、父さんと母さんに踏み込んで確認した。私とセピイおばさんが夜更けに長話をした。その内容を、セピイおばさんから何と聞いているか。
父さんは、ちょっと困った顔をして「女同士の大事な話、と聞いたぞ」と答えた。そして同意と助けを求めるべく、母さんに目配せした。
母さんも「セピイおばさんから教わるのはいいけど、あまり遅くならないようにね。おばさんを早めに寝かしてあげなさい」と言う。私は大人しく了解する。
半ば予想していた反応だが。果たして父さんと母さんは本当に内容を知らないのか。父さんたちはオペイクスとパールの事を知らされていないのか。いや、セピイおばさんも、そこまで話していないのかも。気になるところだが、踏み込むのも、この辺りまでか。
それより気になるのは、これで父さんと母さんに気づかれたんじゃないか、という事だ。夜な夜なセピイおばさんを訪ねて、話を聞くという、私の習慣。せっかく、ここまで話が進んだのに。今さら邪魔されたくない。
なので、私の習慣に対して、父さんと母さんがどう思っているか、それこそ確認したいのだが。下手に聞いて、藪蛇になるようじゃ話にならないし。となると、やはり踏み込むのは、この辺りまでか。
私は父さんたちに断りを言って、畑を出た。「家に戻って休め」という父さんのありがたい言葉が追いかけてきたが、私は返事もせずに家と反対方向に足を進めた。
べつに、父さんたちにムカついたわけでもない。ふてくされたわけでもない。その場所が頭に思い浮かんで、行かずにはいられなくなったのだ。
天気の良い午後で、暑くも寒くもない。呆れるほど、のどかで、馬鹿みたいに平和。それは感謝すべきなんだろうけど、今はとてもそんな気分になれない。ちょっと苛立つような、歯がゆいような、何となく不満。と言うか、納得がいかない、何一つ。
私は、そこに座り込んで、頭の中をぐるぐるさせている。結論なんか出ない。言いたいことが山ほどあって、それらがつっかえて、何度も同じことを考えてしまう。面白くない。
不意にルチアたちが声をかけてきた。彼女たちなりに私を心配してくれたらしい。まさしく友達だ。
なのに、私は素っ気ない態度で彼女たちに帰ってもらう。「悪いけど、私は今、お参りしているから。このお墓に眠っているのは、私の家族がすごくお世話になった人なの」
それ以上の説明はしない。ルチアたちも空気を読んで、尋ねてこない。ルチアたちは帰っていった。
明日、会ったら、気まずいかな。でも今は、一人になりたい。私だって、物思いにふけることくらいあるのだ。
で、私は考える。自分は、なんて幸せなんだろう、と。なんて恵まれているのだろう。ぜいたくしているつもりはないが、食うに困らない環境ではある。守ってくれる親族も、気にかけてくれる友人たちも居る。ああ、何たる幸福。改めて思い知らされた。
なぜ私は恵まれているのだろう。私なりに考える。そして結論した。運が良かっただけだ、と。たまたま村長の娘として生まれた。自分で選んだわけでもない。何か世の中に貢献して、神様や王様とかにご褒美として、この境遇をいただいたわけでもない。この境遇を失うとしたら、恐ろしすぎて考えられないけど。なぜ今があるかと考えれば、それは運が良かっただけ。どう考えても。
でもパールは?パールとオペイクスは?なぜ二人は幸せになれなかったの。二人が何をしたって言うの。何の罰なの、これは。
私はセピイおばさんから二人の物語を聞きながら、ずっと思っていた。二人には幸せになってほしい。この二人こそ、幸せになるべきだ。そう願った。心の中で祈ってもいた。
でも神様は叶えてくれなかった。何が神様よ。大っ嫌い。
まさか神様は、ペレガミやビナシスを許せ、なんて言うんじゃないでしょうね。嫌よ、許せない。絶対に許せない。あんな人でなしどもは地獄に堕ちるべきよ。人じゃないのなら、この人の世から居なくなれ。
イエス 様は自分を十字架にかけた連中を許したかもしれないが、私はイエス 様じゃない。て言うより、イエス 様も本当に連中を許したのかな?気がしれない。
そんなことより、パールとオペイクスだ。私は、神様が二人を救ってくれる事を望む。パールとオペイクスが、せめて天国では結ばれてほしい。今度こそ二人が幸せになるべきだ。そのために神様が協力してくれなかったら、もはや神様じゃない。教会に通うのも、やめてやるんだから。
「ここに居たのかい」
不意にセピイおばさんの声が降ってきた。
おばさんは、そのまま私の隣に座る。
「マルフトさんなら分かってくれると思って」
私が答えると、セピイおばさんは私の頭を抱え込んで、自分の顔のそばに引き寄せた。そして頭を撫でてくれる。
「そうだね。分かってくれるだろう。
メレディーン城では、マルフトさんもオペイクス様とすれ違っていたかもしれない。私も、よく思ったよ。オペイクス様とパール、二人揃って、マルフトさんと出会っていたら、どんなに良かっただろう、と」
「天国では会えているよね?」
「ああ、それでこそ天国だ。でなければ、天国の意味が無い」
良かった。私はセピイおばさんを誇りに思う。マルフトさんもオペイクスもパールも、聞こえたよね。あなた方がおばさんを味方してくれたみたいに、私たちもあなた方の味方です。
神様も今度こそ、しっかりやってね。頼んだわよ。
セピイおばさんは言った。「今夜は離れに来るのを控えなさい」と。
「やっぱり、父さんたちに気づかれたかな?」
「半々だね。気づかれていなくても、用心に越したことは無いよ」
おばさんの答えを聞きながら、私も、ちょっと想像した。いつか父さんと母さんに告白する自分を。(実はセピイおばさんから、いろんなことを教わっていたんだ)父さんと母さんは、どんな顔をするだろう。そして、それは、いつのことやら。私が結婚する時かな?
セピイおばさんは「夜が使えない分、このまま、ここで話をしようかね」と言った。「マルフトさんに聞いてもらうのも、いいだろう」とも。セピイおばさんは墓地を見回して、私たち以外に人が居ない事を確かめた。
まずセピイおばさんは、昨夜の話で言い漏らした内容を付け加えた。
一つは、オペイクスのその後である。オペイクスは結局、独身で通した。主君であるアンディンやキオッフィーヌが何度か縁談を持ってきても、最後まで首を縦に振らなかったのだ。気づかいと分かっていても。
オペイクスはセピイおばさんたちに、ぽつりと言ったそうだ。『パールが遺した言葉に反している事は自覚している。でも、できない。彼女を忘れたり、彼女から意識が離れたりしたら、もう、それは自分じゃないんだ。そんな男は、オペイクス・アヴュークではない。私はオペイクス・アヴュークで在り続けたい』
そしてオペイクスは、エクテ家を名乗らなくなった。たった一人でアヴューク家を名乗って。事あるごとにパールの墓参りをして。そうすることに、オペイクスは人生を費やした。
もう一つは、アンディンのお舅さんにあたる王弟の事。
「前に話しただろ。ヒーナ様の件で、ヌビ家とシャンジャビ家がもめて、王弟様の一人が乗り込んで来た、と。実は、それがアンディン様のお舅さんだったのさ。王家としては、その王弟様をヌビ家担当と決めていたようだ」
加えてセピイおばさんが推測するには、ツッジャム城を訪れた王様の甥御さんは、キオッフィーヌの兄弟じゃなかろうか、との事だった。まだセピイおばさんがツッジャム城で女中をしていて、モラハルトもまだ信用できていた頃の話を、私も思い出した。モラハルトは『さすがに骨が折れる』とか、ぼやいたそうだが。おばさんの推測通りなら、相手は王族というだけでなく、実兄の義兄弟だったかもしれないわけだ。
いろんなところで繋がるなあ、と私は改めて認識した。
こうして補足は済んだ。
続いてセピイおばさんが話題にしたのは、やはりブラウネンである。主君アンディン父子に呼ばれて、どんな話になったのか。それは、なかなか判明しなかった。ブラウネンが婚約者であるイリーデにさえ話そうとしなかったのだ。『今は言えない。でも、いつか必ず話すから、それまで待って』を繰り返して。
イリーデとブラウネンの仲が険悪になったのではない。むしろイリーデはブラウネンを案じて、頻繁に話しかけるようになった。オペイクスの体験談を聞く前とは、すっかり逆になった気がする。
とは言え、ブラウネンがそれまでの仕返しとしてイリーデを冷たくあしらった、というのとも違う。おそらく余裕が無かっただろう。若き日のセピイおばさんやシルヴィアたちは、そう推測した。オペイクスの体験談を聞いた翌日、つまり党首父子に呼び出された翌日から、ブラウネンは、おかしくなったからだ。
四六時中、目を見開き、体を強ばらせて、歩くのも、ぎこちない。周囲に人が多くても少なくても、である。心配したイリーデやセピイおばさんが『大丈夫?』と声をかけると、ビクッと体を震わせる。返事をしても、たどたどしく、イリーデに向ける笑顔も引きつる。額に汗をかいている事すらあった、とか。セピイおばさんは「汗どころか泣いているように見えた」と言う。きっとイリーデにも同じように見えたんじゃないか、と私は聞きながら思った。
明らかに異常だ。これではイリーデやセピイおばさんたちに、心配するな、と言う方が無理だと思う。
だからこそ、ブラウネンが党首父子から何と言われたのか。そこが気になるところだが。なぜかブラウネンは、それを誰にも話さない。
若き日のセピイおばさんも分かっていた。イリーデでさえ聞き出せないのなら、自分が探りを入れても無駄だ、と。
でもセピイおばさんは気にしてしまう。イリーデも何度となく、セピイおばさんに相談してきたし。
となると、助けが必要で、すぐに思い浮かぶのは、やはりオペイクスだ。しかし。
「私はイリーデがオペイクス様をつかまえるのを手伝ったよ。以前と違って、オペイクス様もイリーデから逃げ回ったりしないから、手間取らなかったがね。
しかし、いくらお聞きしても、オペイクス様の歯切れが悪いんだ。『自分もアンディン様たちから事情を聞いていないから、答えようがない』とか。あの方にしては珍しく、ぐずぐず言い訳ばかりしているように聞こえたよ」
「でもオペイクスは、ある程度、予想がついていたんじゃない?」と私も思わず、口をはさんだ。
「あんたも、そう思うかい。だから私も、つい問い詰めてしまったよ。『本当はご存知なんじゃないですか』とね。ちょっと失礼だったが。
それでもオペイクス様は、私を叱りもしなけりゃ、教えてもくれないんだよ。オペイクス様の返事は、こんなだった。『本当に知らないんだ。だから、きっと、私や他の者に聞かせられないような重 要な用事があるんだろう』と。
そんなわけで、イリーデも黙ってブラウネンを見守るしかなかった。
そうこうしているうちに、晩餐の後でブラウネンがアンディン様たちに呼び出される事が、三回、四回と繰り返されてね。
そのうちの何回めだったか。戻って来たブラウネンを見かけたと思ったら、物陰で吐いていたよ。体のあちこちに擦り傷みたいなものが見えたし。私は慌てて駆け寄って、背中をさすってやったんだが・・・やっぱりブラウネンは、事情を話してくれないんだ。それどころか『この事はイリーデには黙っていて』と来た。私は、どうするべきか分からなくて、困ったよ」
「セピイおばさん」私は、またしても話に割り込んだ。そうせずにはいられなかった。
「アンディンたちは、わざと晩餐の後でブラウネンを呼んでいるんじゃないの?そして、吐きたくなるほどの話か何かをして、ブラウネンに耐えさせているんじゃ」
「気がついたか。私も、そう思って、オペイクス様にお尋ねしたよ。で、やっぱり教えてくださらなくて。
でも、これで少し、推測を具体的に絞ることができた。アンディン様たちはブラウネンに、ただ話をしていたのではない。何か稽古のような、行動を伴うことをしているのだろう、と」
「まさか、ブラウネンをいじめている、わけないよね」
「親子で?あんた、お二人がどんなご身分か、忘れたのかい?押しも押されもせぬ名家の、ご党首様とご子息だよ。お二人とも、そんな暇じゃないんだ」
「だよねえ。
でも、息子のジャッカルゴだっけ。もしかしてイリーデに横恋慕していたり、なんて事、ない?」
セピイおばさんは少し、ニヤリとした。
「考えたねえ。でも外れたよ。ジャッカルゴ様は婚約者が居られて、その頃は式が間近に迫っていたんだ。
ちなみに、お相手は、どこの方だと思う」
セピイおばさんから顔を覗き込まれて、私は考えた。
「シャンジャビ家じゃないよね。マムーシュの件で向こうを許すにも、もう少し年月が要ると思うし。
ビッサビア のマーチリンド家だって、父親のアンディンとしては嫌なはず。おばさんに密偵 をさせるくらいなんだから。
となると、ナモネアか、どっか」
「プルーデンス。よおく私の話を思い出しておくれ。ちゃんと前触れがあったんだよ」
セピイおばさんはニヤリとしてみせるが、私は首をかしげてしまう。
「前触れって。ビナシス家でもないでしょ。あんまり、お勧めもしたくないし」
「それはオペイクス様の話に出てきただけ。私は、ほとんど接点が無いよ。
やれやれ、忘れたのかい。密偵 の件を思い出したところまでは良かったんだが」
「えーっと。ポロニュースとかいう奴から、メレディーン城に出入りする貴族に目を光らせるよう言われたんでしょ。
・・・あっ。リブリュー家の騎士っ。あ、あれって、もしかして」
「やっと思い出してくれたか。そう。あの、ヴィクトルカ姉さんの生家ジルフィネンと縁があった騎士様だよ。
アンディン様がおっしゃるには、あの騎士様は目くらましを務めていたらしくてね。マーチリンド家をはじめ、いろんなところの密偵 どもがどこで覗き見して、聞き耳を立てているか分かったもんじゃないんだ。そこでリブリュー家の竜巻の騎士様が、思わせぶりな動きを見せる。密偵 どもは騎士様の跡をつける。その裏では本物の使者が、アンディン様とリブリュー家の間を行き来したってわけさ。
おかげでアンディン様とリブリュー家の党首は、それぞれのご子息と姫様の縁組みを、他家から邪魔されずに落ち着いてまとめる事ができたよ」
「なんだ。ポロニュースの奴、おばさんに偉そうな事を言っといて、まんまと引っかかっているじゃん」
「ああ、所詮アンディン様には敵わなかったのさ。もっとも私が引っかかったせいで、ポロニュースがそれに巻き込まれた、とも言えるが」
「いいのよ、それで。おばさんが一回くらい、ポロニュースを騙したって、バチは当たらないわ」
「そうしとくかねえ」
セピイおばさんは、くすくす笑った。
「話がそれたけど、とにかくジャッカルゴ様がイリーデに横恋慕ってのは、あり得ないよ。
お相手のヘミーチカ様とは、ジャッカルゴ様がアガスプス宮殿で修行中の頃に出会ったそうだ。ジャッカルゴ様ときたら、オペイクス様と似たようなことをおっしゃったよ。『都での生活は謳歌 するどころか、緊張の連続で、ずっとピリピリしていた』と。そんな中、ヘミーチカ様と出会って、心が大いに安らいだそうだ。
ヘミーチカ様の方でも思うところがあったようでね。花嫁修行として、リブリュー家の屋敷から宮殿に通って、王妃様や姫様たちの侍女を務めたりしていたんだが、華やかな事ばかりじゃなかったらしい。まあ、オペイクス様が宮殿に上がった時の体験を聞いた後では、さもありなん、と私も思ったよ。
おまけに、威張りんぼの貴族たちが言い寄ってきたりしてね。シャンジャビ家か、ナモネア家か知らないが。そんな事がある度にジャッカルゴ様が助けてくれた、と。それが一度や二度じゃなかったとか。ヘミーチカ様は頬を赤らめて、私らに話してくださったっけ。
そう、ヘミーチカ様。懐かしいお名前だよ。お料理が得意で、よく苺とかベリーの類で焼き菓子を作っておられた。メレディーン城に詰める全員に振る舞ってくださる事も、しばしば。メレディーン近郊の貴族に嫁入りする予定の娘たちは、ヘミーチカ様に習いに来たもんさ」
セピイおばさんの視線は、マルフトさんのお墓を通り越して、草むらの小さな花々に注がれた。
ほお、と私は息をもらしてしまう。
「何だか、すごく理想的だわ。大貴族の御曹司と令嬢の縁組ってだけでも、すごいのに。ちゃんとお互いの気持ちがこもっているなんて。まるで、お伽話みたい」
「あんたのその言葉で思い出したよ。お二人の結婚前の事だ。ジャッカルゴ様がヘミーチカ様をメレディーン城に連れて来られてね。
ノコさんが事前に私ら女中一同を集めて、言ったよ。『あんたたち、しっかりご挨拶しなさい。けっして忘れるんじゃないよ。今日、リブリュー家から来られる予定のヘミーチカ様は、次の奥方様だからね』と。
そうやって知らされた時点で、娘っ子たちはそわそわしていたんだが。実際にお二人をお迎えしたら、まあ、そわそわじゃ済まなかった。イリーデと同い年か、もっと下の娘たちは、お二人にうっとり見とれて、仕事が遅くなっていたよ。それでノコさんが度々、叱らなきゃならなかった」
「お姉様方は?」
私の言い方に、セピイおばさんは声を出して笑った。
「お姉様方か。
言っとくけど、シルヴィアさんたちは、ヘミーチカ様と同世代だよ。そもそも、ジャッカルゴ様もオーカーさんもアズールさんも含めて、ほとんど同い年だったろう。
ヴァイオレットさんは苦笑する、というか、ため息をついていたねえ。『敵わないなあ』って。要するに、あんたと同じ感想だよ。
スカーレットさんはスカーレットさんで、ぼやいてねえ。あの人が言うには、ジャッカルゴ様がメレディーン城に顔を出す度に、視線を送っていたそうだ。それが見事に反応が無かったんだと。『まったく、つれない事にかけては、ジャッカルゴ様も、あんたのソレイトナックに負けず劣らずなんだから』だとさ。私にからんだって、どうしようもないよ」
「でも、スカーレットはアズールが焼きもちを焼いてくれるんだから、いいじゃん。
って、そういうことか」
「そういうこと」
私とおばさんの笑い声が、マルフトさんのお墓や草むらに溶けていった。
「でもイリーデは、新しい奥方様になるヘミーチカと上手くやっていけるのかな?ブラウネンを心配して、ジャッカルゴやアンディンを恨んだりしたんじゃない?」
「また冴えてきたじゃないか、プルーデンス。その通りだよ。
初めてヘミーチカ様をお迎えした日、私ら女中たちの中で、イリーデだけが顔を強ばらせてね。そう、ブラウネンと似たような表情になっていたんだ。
しかも、ジャッカルゴ様が何かの拍子にヘミーチカ様から離れた瞬間に、イリーデは、すかさずヘミーチカ様のそばに駆け寄った。小声、かつ早口で自己紹介だよ。そして、ジャッカルゴ様が夜な夜なブラウネンを呼び出す事情をご存知ないか、聞き出そうとした。
しかしヘミーチカ様の方は、戸惑うばかりさ。イリーデとブラウネンの事はジャッカルゴ様から聞いていたかもしれないが、夜中の会合までは知らされていなかったんだよ。まあ、ジャッカルゴ様も、そこまで話す必要は無い、と思うだろうからね。
ほんのちょっとの会話とは言え、ヘミーチカ様とイリーデの間に気まずい空気が流れた。
居合わせた私は、急いで考えようとしたよ。二人の間をどう取り繕うか、と。しかし、私が思いつく前に、声がかかって。
それはノコさんじゃなくて、キオッフィーヌ様だった。私もイリーデも、びっくりしたよ。キオッフィーヌ様はイリーデをなだめて、ヘミーチカ様には『私に任せて』と断りを入れた。
その上で、キオッフィーヌ様はイリーデに提案したんだ。『あなたの両親に頼んで、生家で晩餐会を開いてもらいなさい。そしてブラウネンを招待するのです。彼を一晩、泊めてあげれば、本人から、ゆっくり話を聞けるでしょう。それに、その夜はジャッカルゴも、うちの人もブラウネンを呼び出せなくなります』とね。キオッフィーヌ様は続けて『私から、あなたの両親に言いましょうか?』とまで言ってくださったよ」
「一晩」
思わず、つぶやいた私は、すぐに後悔した。セピイおばさんから顔を覗き込まれたのである。その目が笑っている。う、迂闊だった。
「気になるかい?」
「う、ううん。べつに。それより話を続けて」
私はできるだけ平静をよそおったつもりだったが、例によってセピイおばさんは、ニヤニヤしている。
「まあ、順番で言うと、晩餐会の後で二人がどんなやり取りをしたのか、が分かったのは、ちょいと後だ。今度はブラウネンだけじゃなく、イリーデも話さなくなったんだよ。第三者 にすぎない私は、大人しく待つしかないさ。
しかしブラウネンから話を聞き出せたらしく、イリーデも以前ほど騒がなくなったね。ブラウネンを心配して、顔を曇らせてはいたが。
そして、ついにジャッカルゴ様とヘミーチカ様が結婚した。なんとアガスプス宮殿のそばの大きな教会堂でね。王陛下や王家の方々が直々に段取りしてくださったんだ。
もちろんアンディン様とキオッフィーヌ様、そしてヘミーチカ様のご両親にあたるリブリュー家の党首夫妻も出席したさ。でも、それだけじゃない。シャンジャビ家とか、ナモネア家だとか、名だたる貴族家が、それぞれ代表を送り込んで、ジャッカルゴ様たちに祝辞を伝えたよ。都は、すっかりお祭りになったそうだ。
メレディーン城に詰めている者たちでも、駐在騎士の代表格であるお偉いさんとか、ノコさんとか、何人かがアンディン様たちにお供したね。その中でも女中とか兵士とか若い連中は、戻ってきてから、しばらくは、ちやほやされていたっけ。居残り組が何度も土産話をせがんだのさ」
「って、セピイおばさんも居残り組?」
「ああ、私もオペイクス様も、お姉様方も色男の騎士さんたちもね。
結婚を控えたイリーデとブラウネンはアンディン様たちに同行する、と思われたんだが。都に向かう前日に、アンディン様がブラウネンに確認したんだ。『共に都に行って、ジャッカルゴたちの式を見て、自分たちの参考にするか』と。ブラウネンは遠慮したよ。イリーデを多くの貴族の男たちに晒したくない、という理由でね。それでアンディン様も同行を強制しなかったし、むしろブラウネンの警戒心を誉めていたよ。
代わりなのか、イリーデと同い年とか、さらに年下の娘がたしか三人ほど、キオッフィーヌ様にお供したね。それで結婚式の当日は、ヘミーチカ様の着替えを、リブリュー家の女中たちに混じって、お手伝いしたとか。
結婚後、ジャッカルゴ様とヘミーチカ様はそのまま、しばらくアガスプスの城下町にあるリブリュー家の屋敷に残った。アンディン様たちだけ、先にメレディーン城に帰還したんだ。
そして、しばらくしてジャッカルゴ様たちも戻って来られると、またブラウネンが、晩餐の後で呼び出されていた。ブラウネンとイリーデは目を合わせると、小さくうなずくだけ。ブラウネンは何も言わずに食堂を出て行ったねえ」
セピイおばさんは、そこで一度、話を区切った。そして、ふーっと息をついた。おばさんの視線が、さらに遠くの森や空に飛んでいるような。
「さて、イリーデとブラウネンが二人きりで、どんな話をしたのか。気になるだろうが、今しばらくは我慢するんだよ。あんたが想像している通りの浮いた話だからね。マルフトさんには聞かせられないじゃないか」
「そ、想像だなんて、べつに、してないけど」と私は何とか反論してみたが。セピイおばさんには効かないらしく、目が笑っている。
と思ったのだが。
「順番で言っても、まだ先に話さなきゃいけない事がある。そっちは、浮ついたどころか、きな臭い話でね。戦(いくさ)があったんだよ。
マルフトさんには申し訳ないが、こちらにはお付き合い願おう」
セピイおばさんは手を伸ばして、マルフトさんの墓石である十字架を撫でた。マルフトさんに謝っているのだろうか。でも、何となく、マルフトさんは分かってくれるような気がする。
セピイおばさんは、まずジャッカルゴの動向から話を続けた。彼は、新婚ほやほやながら、いちゃつくために都に残ったのではなかった。そのままアガスプス宮殿に通って、王族たちとの会議に出席していたのである。
当時、王様たちは戦を計画していた。ヨランドラ北東部を荒らす賊どもの討伐。そのために王子の何人かに軍を持たせて派遣しよう、というのである。
「さすがに賊ごときでは、王様自身が腰を上げるわけ、ないか」と私はこぼしてしまった。高貴な方々には賊ごときであっても、私ら庶民にとっては、いい迷惑であり、とてつもない恐怖なのだ。という意味で言ったのだが。
セピイおばさんは首を横に振った。「ちょっと外れたねえ。王族の方々だって、いろいろと抱えている事があるんだよ。それこそアンディン様やジャッカルゴ様もね」
これを聞いて私は、ちょっと驚いた。まったく予想していなかったのである。
「そんな問題あったっけ、て顔しているね。あるよ。後継者の育成。次の、若い世代を成長させる事だよ。
若さは活力であり、素晴らしいことだが、経験も必要じゃないか。若さだけが取り柄じゃ、向こう見ずの馬鹿のままだよ。場数を踏んで、せっかくの若さを活かす要所をつかまなければ、意味が無いんだ。
それは、どんな分野でも言えることさ。私らが普段やっている畑作りやお料理、お裁縫でもね。さらには、王族や貴族たちがする戦(いくさ)でも」
私は、あっと声をもらした。「それって、もしかして」
「分かっただろ。王陛下は王子たちに経験を積ませたいのさ。アンディン様も、跡継ぎであるジャッカルゴ様に経験を積んでほしい、と望んでおられる。そしてジャッカルゴ様自身も、経験を積む必要を認識していた。『それで焦っていた』とおっしゃったよ」
「戦(いくさ)の場数を踏む、ってこと?」私は念押しながら、自分の言葉にどぎまぎした。
「そう。へんな言い方だが、戦(いくさ)に慣れなきゃいけないんだ。騎士様や貴族の男たちは、ね。そのために、賊どもの討伐は絶好の機会、というわけ」
「殺し合いに慣れなければいけないってこと?貴族の男たちは」私は、さらに念を押した。
「そうだよ。慣れなければ、生き残れない。やられる側にされてしまう。領地や領民を守るなんて、夢のまた夢だ」
私は絶句して、セピイおばさんの横顔に見入る。でも、これで、話が少し見えてきた気がした。
セピイおばさんは、今度は、討伐軍について話を進めた。本来なら、賊の討伐は地元の貴族が果たすべき仕事である、と。
貴族は普段、領民たちに威張り散らして税を取り立てる。それは、見返りとして治安維持に努めて領民の生活を守る、という前提があるからこそ、世間に認められている特権なのだ。
ペレガミ家は、その責務を果たすどころか、オペイクスやパールをはじめ、領民たちを脅やかす側に回った。だから、その座から引きずり下ろされたのである。
今回のヨランドラ北東部の貴族たち、領主たちは、ペレガミ家ほどではなく、ちゃんと賊に対処しようと試みたのだが。結局、王家に救援を求めた。
王様たちは彼らを叱らなかった。
「他の賊や反乱だったら、『腰抜け』だの『泣き言を言うな』だの叱責されて、援軍を送ってもらえなかっただろう」
とセピイおばさんは言う。
しかし王様たちは、そうしなかった。むしろ北東部の貴族たちの要請に応えて、シャンジャビ家をはじめ、主だった貴族家に招集をかけたのだ。それでヌビ家からは、次期党首のジャッカルゴが出席した。
「何それ。ただの賊じゃないってこと?」
「そう。賊の背後にいろいろと余計な加勢をする連中が居る、と噂されたんだよ。東隣りのフィッツランドと、北東のワイスランドさ」
「えっ」
私は驚いたまま、言葉が続かなかった。は、話がデカ過ぎる。他国が絡んでくるなんて。王様たちが重臣 たちを集めて、つまり国を挙げて対応しようとするわけだわ。
「幸いな事に、フィッツランドとワイスランドは連携していなかったよ。あそこも昔から仲が悪いからね。それぞれ別個で、ヨランドラ北東部の賊や不平分子をけしかけていたんだ。
連携して同時に複数の場所で騒がれたら、ヨランドラは軍隊をそれだけ小分けにして派遣しなきゃならないところだったよ。まあ、神様のご加護か、それほどの事態にはならなかったけどね」
ただし、とセピイおばさんは説明を続ける。
「ヨランドラとしては、少なくとも三方面には軍隊を分けて展開させる必要があった。賊どもと対決する主戦場と、フィッツランドとの国境付近。ワイスランドとの国境付近。
この三カ所が同時に戦闘状態になって、そのうち一カ所でもヨランドラ軍が負けたら。つまり、隣国のどちらかに出し抜かれるようであれば、その状態から国土を取り返すのは、至難の業だ。むしろ、ずるずると侵略を許してしまう可能性が高い。だから三カ所を同時に、しっかり押さえる必要がある。
さて、ここで質問だ、プルーデンス。あんたが派遣されるとしたら、三カ所のうち、どこが一番嫌かい」
またしても、セピイおばさんが私の目を覗き込む。考えてみたが、おばさんの意図が読めない。降参だ。
「一番いい、じゃなくて一番嫌な所?」
「そうだよ」
「てことは、三カ所のうち、大抵の人が嫌がるような、だから一番嫌がられる所があったってことね」
「そこまで読めたんなら、質問を替えよう。みんなが嫌がるのは、三カ所のうち、どこだい」
「賊が暴れている主戦場ね。それぞれの国境付近は、まだ相手国の関与が確定したわけじゃない。だから、まずは睨み合いで、すぐに戦闘になるとは限らない」
「正解。
では続けて、次の質問。宮殿での会議に出席したジャッカルゴ様は、三つの現場のうち、どこに手を挙げたと思う」
さすがに私も、もう分かった。
「主戦場。あえて他の貴族家が嫌がる所を買って出たんだわ」
「よおし、よく見抜いた。ちゃんと、ついてきたね、プルーデンス」
セピイおばさんに褒められて、私は身が引き締まる思いだ。
セピイおばさんの解説は続く。
当時の王様は息子、王子たちに戦(いくさ)の経験を積ませたかった。中でも、次の王となる予定の長男には必須科目と言える。だから王様は、あえて長男の王子アダムを主戦場に放り込むつもりで、そのことを会議で発表した。
そこへ、すかさずジャッカルゴが申し出たのである。『アダム殿下には、我らヌビ家がお力添えしましょう』と。
王様は、もちろん、この申し出に満足した。ジャッカルゴの話によると、王様は目を細めて、しきりにうなずいたらしい。
ではシャンジャビ家など、他家の代表は、どんな反応だったか。どの貴族家も、それぞれ党首か、その弟などが会議に参加して、いずれも宮殿の常連である。当然、場馴れしていて、感情なんか、ほぼ顔に出さない。だからジャッカルゴ・ヌビの申し出を聞いても、すましていたようだが。
『では、当家は第二王子のグローツ殿下と共に、ワイスランドに睨みを効かせましょうぞ』
『おお、シャンジャビ殿がそうおっしゃるなら、当家は第三王子、ラング殿下をフィッツ人どもの策略からお守りします』
などと、主戦場より、国境付近ばかりを選んだ。
もっとも、どの貴族家も一カ所にしか手勢を送らない、というわけではない。この討伐作戦に参加すれば、王子たちに自分たちを売り込む機会が得られるのだ。それは、つまり将来の王様や王弟たちに、自分たちをより良く印象づける機会である。戦闘の危険を承知でも、参加しない手は無い。
だから、どの貴族家も結局は、三つの現場に自分たちの手勢を送ったのだが。
違うのは、その振り分け方。
たとえば、ある貴族家の主力は、フィッツランドとの国境付近、第三王子ラングの軍に加わる。で、予備の兵力で、主戦場と、ワイスランドとの国境付近にあたる。
また別の貴族家では、主力をワイスランドとの国境付近、第二王子グローツの元に向かわせ、予備の隊を賊への直接対決と、フィッツランドに対する警戒に参加させる。
とにかく三人の、どの王子との接点も確保しておく、という貴族家の工夫である。比重の置き方に違いはあるけれども、次期国王である第一王子アダムを蔑ろにしたわけではない。一応、自家の幹部が別働隊を率いて、第一王子の元に馳せ参じるのだから。
そんな中、ジャッカルゴのヌビ家だけは主力を使って、つまりジャッカルゴ自身が軍勢を率いて、第一王子の賊討伐に助勢しようと言うのである。
「そして、その戦(いくさ)にブラウネンも参加させて、自分と一緒に経験を積ませる。ジャッカルゴは、そんな計画を練っていたのね」と私。
「そういうこと。だいぶ読めてきたようだね。
ちなみに、ヌビ家も別働隊を出したよ。
ロミルチ城で修行したジャノメイ様とオーデイショー様のご子息二人の部隊が、フィッツランドに対峙する陣に加わった。第三王子ラング殿下を、ジャッカルゴ様の弟と従兄弟たちが担当したわけさ。
こちらツッジャム城からは、パウアハルトの隊が出陣した。ぐっと北東に進んで、ワイスランドの動きを注視しながら、第二王子のグローツ殿下のお相手を務めた」
「おばさん」私は、例によって話の腰を折る。どうしても気になったのだ。
「その、アダムとか、グローツとかって、もしかしてキオッフィーヌの従兄弟にあたるんじゃない?それにしてはキオッフィーヌより、その息子のジャッカルゴに歳が近いように聞こえるんだけど」
「ああ、いいところに気がついたね。私も言い忘れていたよ。
数年後に王位を継いだアダム殿下が、たしかジャッカルゴ様の一つ年上。したがってグローツ殿下とラング殿下は、さらに若い。
何でこんな年齢層になったかと言うと、当時の王陛下が再婚していたんだ。先のお后様とその王子二人が、病気とかで早々と亡くなってね。その王子たちは十歳にもならなかったそうだよ。そして、後添えのお后様がアダム様からラング様までを産んだ。そのお后さまは、キオッフィーヌ様の一つ、二つ上というだけだったらしい」
「つまり当時の王様は、自分の姪であるキオッフィーヌと大して歳の変わらない女を再婚相手に選んだってこと?」
「そう」
「え〜」私は顔をしかめてしまう。なんか、今のヘイロン王と負けず劣らずの気がして、とてもじゃないが共感できない。
セピイおばさんは、私の反応に少し笑った。
「まあ、あんたが王陛下に幻滅するのは勝手だが。
当時の王陛下としては、歳を取った後でもうけた息子たちを早く一人前にしたい、戦(いくさ)に対応できるようになってほしい、と焦っていたのさ。それで、同じ悩みを抱えるアンディン様と足並みが揃った。
だからアンディン様がヌビ家の党首として自ら出馬しなくても、王陛下はアンディン様を責めなかったよ。
さっきも言ったように他家は党首自身か、少なくとも党首の弟が宮殿の会議に出ていた。そんな中、跡継ぎの息子を寄越したのはヌビ家だけでね。他家の中には、そこを突いてヌビ家を悪く言う者も居たそうだ。『重臣 としての責務を、若すぎるご子息に押しつけるとは、王陛下の招集に対して誠意を持ってお応えしているとは思われませぬ』とかね。要するに、いつの世も、ここぞとばかり足を引っぱる輩が居るわけだよ。
でも、王陛下には通じなかった。むしろアンディン様の意図を察してくださったんだ。もしかしたらキオッフィーヌ様が、伯父にあたる王陛下に断りを入れてくれていたのかもしれないね、事前に」
ふうん、と感心するようで、私の中には、また一つ気になる事が生じた。
「また、ちょっと話がずれるけど。早く亡くなったお后様とか、幼い王子たちって、本当に病気だったの?」
「おや、そう来たかい。これは、よく気がついた、なんて褒めないよ。周りに気をつけてから口にする、と言うより、まず、口にしない方がいい。今あんたが、へんな推測をしているんなら、特に。
そもそも、昔のお后様たちの死因なんか、私らが知ったところで、どうにもならないだろ。
だから、あんたの推測は、今ここで忘れなさい。間違っても、よそで口に出したりするんじゃないよ」
セピイおばさんが目を細くして、私を睨んだ。うへっ、しくじった。私は大人しく了解するしかない。
「おしゃべり好きな女中たちでも、そんなことは一度も話題にしていなかったよ。王子たちの中で、容姿が一番いいのは誰か、とかは幾らでも議論していたが」などと言いながら、セピイおばさんは、そおっと周囲を見回す。「私だってポロニュースにこき使われて、すっかり懲りたんだからね」
ありがたいことに人影は、近くの林の中にも見当たらなかった。
そしてセピイおばさんの話は、戦(いくさ)そのものに移った。
次期党首ジャッカルゴがアガスプス宮殿の会議に参加している間に、実は出陣の準備が少しずつ進められていた。息子より先にメレディーン城に帰還したアンディンが、城詰めの全員に武器や兵糧の用意を命じたのである。
若き日のセピイおばさんを含む女中たちは、食べ物の日持ちが良くなるようにしっかり火を通したり、梱包して荷車に積み上げたりと、にわかに忙しくなったらしい。騎士や兵士たちの紋章衣や旗の綻びを直すのは、普段からやっているので、すぐに完了したとか。
兵士や使用人など、男連中も武器の刃先を研ぎ、矢を増産した。騎士も鎖帷子のほつれを直し、馬具の強度も改めて確認した。弓と、その弦も。
物資の手配などのために、使用人たちも頻繁に城から出かけては、戻ってきた。それに合わせて、荷車や馬車の出入りも格段に増える。時には兵士どころか、オペイクスやオーカーなどの騎士が出向く事も。その傍らで、党首父子の間を何度か使者が往復したらしい。
そんな中、若き日のセピイおばさんは女仕事だけでなく、汚れ仕事も率先してこなしたのだ。イリーデと同い年の女中のために、古い旗にくっついていた虫と格闘し、スカーレットに代わって晩餐用の鶏を絞め、ヴァイオレットをかばって機嫌の悪くなった馬をなだめた。御曹司の結婚という慶事 を忘れるような忙しさだった、とセピイおばさんは思い出し笑いをした。時にはノコに見つかって、依頼主ともども叱られた事もあったようだ。
「イリーデとブラウネンは、どうだったの」
「それは良い質問。ちょうど言おうと思っていたところだよ。
やれ洗濯だ、片付けだ、と城内を行ったり来たりして、外城郭の隅の方まで行く事があった。前に洗濯物を干していたところとは、別の場所だよ。そこを通りかかった時に、人の気配がした。
私は物陰から、そおっと先の方を覗いた。イリーデとブラウネンが壁際に並んで座って、話をしていたんだ。
ブラウネンの手には手綱とか馬銜とか馬具の類があって、手入れの途中だったらしい。でもイリーデの言葉を聞きながらで、ブラウネンの手が止まりがちだったよ。
イリーデは自分の膝を相手の膝に寄せて、一方的なくらいに語り続ける。こちらの手には、何かの小袋だ。イリーデが話しながら袋の中から草を引っぱり出すのが見えたから、薬草だと分かった。
さてはイリーデがブラウネンに薬草の説明をしているのだろう、と私も予想がついたよ。つまりイリーデとしては、ブラウネンにそれを使わせたい」
セピイおばさんが、そこでまた私の目をじっと見る。
「やっぱり、ブラウネンの従軍が決まっていたんだわ。で、イリーデなりに気づかって、薬草を彼に持たせようとした。
う〜ん、二人の仲が修復したのはいいけど、イリーデは心配だったでしょうね」
「そうなんだよ。私は、これで奥方様に報告できそうだ、とホッとする反面、二人が不憫に思えてねえ。
一応、奥方様だけでなく、オペイクス様の耳にも入れておいたんだが。オペイクス様も少し顔を曇らせたよ。『辛いだろうが、これも二人が積まなければならない経験、越えなければならない壁だ。でも、あの二人なら、きっと越えられる。さらに言えば二人は、まだまだ幾つもの壁と遭遇する事になる』とおっしゃった」
ふ〜む、と私は唸った。
「その見守り方は偉いんだけど、オペイクスはイリーデが惜しいとか思わなかったのかな?」
途端にセピイおばさんの口元が、ぐんにゃりと歪んだ。
「やれやれ、何を言い出すかと思えば。あの方は、そんな度量じゃないよ」
うへっ。またしても。少し持ち直したと思ったのに。私は首をすくめた。
「まあ、戦(いくさ)の前準備については、これくらいにして。
ジャッカルゴ様が、花嫁であるヘミーチカ様を伴って、ようやくメレディーン城に帰還した。結局お二人の都での滞在は、一カ月に及んだんじゃないかね。
戻ってからも、ジャッカルゴ様は忙しないと言うか。父君であるアンディン様と何度も書斎に籠り、かと思えば、城内を回って騎士や兵士たちのところに顔を出し、さらには城下町に何回も出かけて。シルヴィアさんたちがオーカーさんたちから仕入 れた情報によると、ジャッカルゴ様は城下の豪商たちや司教、郊外の修道院 の院長なんかと会っていたらしい。もちろん向こうも、すぐさまメレディーン城に挨拶に来たよ。
で、お戻りから、わずか三日後くらいだったかね。ついに出陣だ。メレディーン城の正門前の通りに、隊列を組んだのさ。
メレディーン城の騎士たちの代表であるお偉いさん、つまりオペイクス様の直属の上役さんが声を張り上げ、その度に兵士たちが慌てて、あっちに走り、こっちに走り、する。数名の騎士様たちも、そのあおりで自分たちが乗っている馬を片側に寄せたり、前に詰めたり。
もちろん、その周りには町人たちが、わんさか群がって見物していた。中には近くの建物の、上の階どころか、屋根に登るまでして眺めている連中も居てね。
そしたら騎乗した騎士様の一人がそいつらに声をかけたんだ。『おい、そこの屋上の将軍ども。的になっても良いなら、そうさせてもらうぞ』
屋根の上で当人たちがキョトンとしているうちに、その騎士様は、いつの間にか弓に矢をつがえていた。屋根の町人たちは、真っ青になって大慌てだ。そのうちの一人が奥の階段かどこかに落ちる騒ぎになって、地上の町人たちを笑わせていたよ」
「それって、騎士とか、さらに言えばヌビ家みたいな大貴族の一同を、高い所から見下ろす形になるんで、不敬として怒られたのかな?」
「同じ質問を、私もシルヴィアさんにしたよ。そしたら、シルヴィアさんより先にオーカーさんが答えた。不敬というのも、もちろんだが、密偵 とかに対する警戒の意味もある、と。
『軍事の問題なんだから、どっかに密偵 どもが潜んでいるに決まってんだよ。しかも、そいつら全員を見つけ出すのは、まず不可能。半分も把握できればいい方でね。だったら、せめて牽制くらいしたいだろ。それで、あの兄さんは周りに見せつけるように、ちょいと派手めの演出をやってみせたわけさ。
そもそも、こういう場では、俺ら騎士にしろ兵士にしろ、みんな神経質になるからな』
ってね。
これにアズールさんが続けた。『そう言う俺ら自身も、よく、よその城下町に紛れ込んだもんよ』と。
『それで今回は、二人とも声がかからなかったの?』と聞いたのは、ヴァイオレットさんだったか。
それで色男さんたちが散々ぼやいて、シルヴィアさんやスカーレットさんが適当に突っ込みを入れて。もっともスカーレットさんは、アズールさんの身を案じて、彼が従軍しないで済んだ事を内心、喜んでいただろう」
「あれっ、二人は隊列に加わっていなかったの?」
「ああ、私らと同じ、見送る側さ。その場では話題にならなかったが、オーカーさんとアズールさんは、ジャッカルゴ様から、あまり良く思われていなかったみたいなんだ。
と言うより、ジャッカルゴ様は、シルヴィアさんたちを含めて五人まとめて敬遠している節があった。って、シルヴィアさんの推測なんだがね。いつだったか、シルヴィアさんが言っていたよ。
『きっと、ジャッカルゴ様の都での生活は、私らが想像するより、はるかにピリピリしていたんでしょうね。
そんな中、時折りメレディーンに帰郷してみたら、私ら五人が、くっついたの離れただの、騒いでいる。ジャッカルゴ様からすれば、私ら五人がチャラチャラしているように見えたに違いないわ。
それでジャッカルゴ様としては、同い年のオーカーたちには期待できない、と判断した。そして次の世代に期待しよう、と。ブラウネンは、その代表なのよ』
そうだ。シルヴィアさんは、ため息混じりに洗い物をしながら話してくれたんだった」
「まあ、次期党首としては、もう少し真面目さが欲しかったんでしょうね。
で、オペイクスも頼りにした、と」
私の問いかけに、セピイおばさんは一瞬、固まった。
「頼り。そう、まさしく、ジャッカルゴ様はオペイクス様を頼りにしていた。だからこそ、この時の戦(いくさ)には加えなかったよ」
「えっ、どういうこと。矛盾しているように聞こえるけど」
「オペイクス様が居たら、ジャッカルゴ様もブラウネンも、つい頼ってしまう。それでは経験を積むために従軍する意味が薄れる、とジャッカルゴ様は断ったんだ。
オペイクス様としては、ジャッカルゴ様の護衛やブラウネンの援護のために自分が行かねば、と思いつめていたようだが。
というわけで、メレディーン城の騎士の中でも、オペイクス様と色男さん二人は居残り組だったのさ」
ふうむ、と私は、また唸ってしまう。
「でも、ブラウネンは連れて行かなければならない、と。イリーデが、ちょっと、かわいそうな気がしてきたわ」
「ああ、実際、かわいそうだったねえ。あの娘は取り乱したんだ。
ブラウネンは隊列でも前の方で、しかもジャッカルゴ様からヌビ家の旗を持つよう言いつかっていた。こちらツッジャムどころか、メレディーンの城下町で旗持ちをして出陣なんだよ。この片田舎の男たちだったら、口をあんぐり開けて羨ましがる話さ。
見送りに来たイリーデの両親は、ただでさえ娘の美貌が自慢なのに、彼氏もそんなだから、そわそわしてねえ。しきりにブラウネンの両親に話しかけるんだが、こちらは感激して涙ぐんでいた。
ところが、イリーデとしては、ありがたくなかったんだろう。突然、隊列の中央で騎乗しているジャッカルゴ様に突進していった。
そこでは、ちょうどヘミーチカ様が馬のそばからジャッカルゴ様に言葉をかけておられるところだった。そこへ割り込んで、ジャッカルゴ様の脚にすがりつかんばかりに訴えたんだよ。『どうかブラウネンを連れて行かないでください。お願い』と。見ようによっては、イリーデがヘミーチカ様を押し退けたようにも取れるから、私は心臓が止まるかと思ったよ。
もちろん私もシルヴィアさんも、すかさず現場に急行してイリーデを引き離そうと思った。後ろでノコさんが怒鳴るのも聞こえたからね。
だが私らより先に、下馬したブラウネンが駆けつけた。えっと思って、さっきまでブラウネンが居た辺りを見たら、ブラウネンの同僚の若い騎士が旗を預かっていたよ。
やっとたどり着いた私とシルヴィアさんは、イリーデの肩をつかもうとして、ちょっと困った。すでに彼女が訴える先はブラウネン本人に移っていて、ブラウネンがイリーデを捕まえると言うより、イリーデがブラウネンの両腕を掴んで泣いている。
ヘミーチカ様も泣きそうなお顔で立ち尽くしてねえ。きっと、ご自分をジャッカルゴ様側の人間として、自責の念にかられたんだろう。シルヴィアさんが小声で『どうか、お気になさらないで』と何回か言ったんだが、伝わったかどうか。
なんて私らがうろたえている間に、ジャッカルゴ様が下馬していた。で、両腕を大きく広げて、ブラウネンとイリーデの肩の上に置いた。
そして、こんなことをおっしゃった。
『二人とも、よく聞いてくれ。俺を恨んでいいから、頼むから聞いてくれ。
まず、今回の出陣は王陛下からのご命令によるものではない。俺の独断で、こちらから買って出たものだ。
だから俺がそんな決断さえしなければ、俺はここでヘミーチカと居られるし、お前たち二人も離ればなれにならないで済む。イリーデの言うように、今からでも遅くないかもしれない。
しかし、だ。今回、俺は考え直さない。ブラウネンも連れて行く。そう、本人の意志を無視して、俺が強制するんだ。
だから、イリーデは俺を恨んでいい。遠慮なく恨みなさい。
ただし、同時に考えてくれ。今ここで、二人で考えてくれ。
今回の戦いは、たしかに避けようと思えば、避けられる。だが、戦いがいつも避けられるとは限らない。むしろ、避けられない場合が圧倒的に多い。戦い、争いというものは本来、向こうから勝手にやって来る場合が、ほとんどなんだ。
だから今回の戦いを避けても、いつかまた必ず戦いが起こる。そして、その時は、おそらく避けられないだろう。
しかも、だ。その時は、もう俺の親父や叔父貴たちも居ないかもしれない。お前たちの両親も。ロンギノやオペイクスたちだって、そうだぞ。居ても、病いや老いに伏せって、加勢を頼めない事態も充分あり得る。
つまり、俺一人でヘミーチカを守らねばならないとしたら。ブラウネンも一人でイリーデを守らねばならないとしたら。そんな日が、いつか必ず来るぞ。絶対に、だ。
その時、神や先祖を恨んでも、何の意味も無い。心構えができていない、準備ができていない奴が悪いんだ。
俺は、そんなふうになりたくない。ブラウネンにも、なってほしくない。そして俺は、ヘミーチカを守り通して、人生を全うする。ブラウネンもイリーデを守り通すべきだと思っている。
もう分かるな、二人とも。そんな将来の戦いに比べれば、今回は、ほんの小手調べにすぎないんだ。この程度の戦いをこなせないようでは、これから先の戦い、敵に太刀打ちなんかできない。そうならないように、俺もブラウネンも行く。俺とヘミーチカが一緒に暮らしていくために。お前たち二人が一緒に暮らしていくために』
そこまで言って、ジャッカルゴ様は改めてイリーデに約束した。必ず、ブラウネンを連れて帰る、と。
『俺たちだって、遊びに行くわけでも、面白半分に人を殺めにいくわけでもない。生き残るために行くんだ。
ブラウネンも、この戦いを乗り切って、お前さんとの活路をきっと見出す。そして、お前さんの元に帰って来る』
それからジャッカルゴ様はヘミーチカ様に『行ってくる』と言って、再び騎乗した。
それをお手本にするように、ブラウネンも同じ言葉をイリーデに捧げ、彼女を私らに預けて隊列の持ち場に戻っていったよ。
そして隊列が進み出した。ヒュドラ の紋章衣に身を包み、同じくヒュドラ の紋章の旗をなびかせて、ヌビ家の主力の軍団が戦場に向かうんだ。
途中でジャッカルゴ様がサッと手を上げたと思ったら、それでメレディーン城の城壁の上辺りを差した。
『親父殿っ、留守を頼む』
ジャッカルゴ様が声を張り上げて、城壁の上に居たアンディン様が軽く手を上げて答えた。奥方キオッフィーヌ様、少し離れてオペイクス様の姿も、そこにあったよ。
お三方とも、きっと、そこから見ておられただろう。ジャッカルゴ様がイリーデとブラウネンに語りかけていた様子を」
ううむ。私は、また唸る。唸るだけで、何も言えない。
「私らは、そのままブラウネンとジャッカルゴ様を、隊列を見送った。
そしたら、やっと駆けつけたノコさんが、後ろから言った。
『イリーデ、めそめそするんじゃないよ。出陣の度に泣いていたら、きりがないだろ。
それにヘミーチカ様だって、辛いのを耐えておられるんだ。あんただけじゃないんだよ』
それでイリーデと目が合ったヘミーチカ様は、彼女を慰めるように優しく微笑んで。
そんな二人をそばで見ていたら、私は、つい言ってしまったよ。
『大丈夫です。ジャッカルゴ様もブラウネンも、きっと帰って来ます』
きっと、きっと、って、あんまりいい言葉じゃないが。思わず、言葉が出たんだ。
これを聞いて、ノコさんがニヤリとしたよ。『ほほう、顔を明るくして、何か予感でもするか。ならば説明して、ヘミーチカ様とイリーデを安心させてあげなさい』
で、私は言わせてもらった。
『実は私も、結婚を約束した相手を見送った事があります。その人と、私は未だに再会できていません。
でも、だからこそ思ったんです。今回のお見送りは、私の時と全然違っている、と。
あの時あの人を見送ったのは、私を含めて、ほんの数人だけ。しかも、早朝に人目を避けるように彼は出発しました。
それに比べれば、今回は段違いです。ジャッカルゴ様もブラウネンも、こんなに大勢の人に見送られて、しかもお味方が列を成すほど。
何もかも異なっているから、結果も私の時と異なるに違いありません。二人とも、生きて帰って来ます。私には、そうとしか思えません』
私は、いつの間にか夢中で話していたから、早口になっていたかもね」
「おばさん」
呼びかけたものの、私は言葉が続かなかった。セピイおばさんはソレイトナックと再会できないまま、今、私の隣りに居る。
「やっぱり、そんな反応になるか。私は二人を励ますつもりが、結局しんみりさせちまったよ。気が利かないねえ。
それでノコさんが、ため息をついてから言うんだ。『失礼しました、ヘミーチカ様』
でもヘミーチカ様は首を横に振った。『いいえ、ノコ。セピイは貴重な話をしてくれたんです。おかげで私は、あの人を待つ心構えができました。イリーデも、そうでしょ?』
イリーデは、小さい声だったが、はい、と答えた。
『では、男の人たちが早く帰りたくなるよう、私たち女は料理の腕磨きでもしましょうか。みんなも手伝ってくれますね』
ヘミーチカ様が笑みを見せて、イリーデも今度は、はっきりと返事をしたよ。
そして私たちは城内に戻っていった。
そうだ、思い出した。歩きながら、シルヴィアさんが私を抱き寄せて、頭を撫でてくれたんだった」
セピイおばさんの眼差しは、またマルフトさんのお墓を通り越して、遠くに向かっていた。
セピイおばさんは一息入れてから、続きを話してくれた。
それによると、メレディーン城からジャッカルゴの部隊が旅立った頃、ヌビ家としては、他にも動きがあった。言うまでもないが、ロミルチ城と、こちらツッジャム城である。
ロミルチ城からは、城主オーデイショーが息子二人と甥のジャノメイに、騎士や兵士たちを添えて送り出した。
ツッジャム城からは、パウアハルトの部隊が出陣。ちなみに、パウアハルトはロンギノを同行させなかった。彼を煙たがったのである。ロンギノは仕方なく、留守番を務めるしかなかった。父親のモラハルトが、ちゃんと見送りをしたかどうか。ちょっと気になったが、私はもうセピイおばさんに聞かなかった。
とにかく、ヌビ家の三部隊が動き出した。しかも合流せずに、そのまま、それぞれの持ち場に向かったのである。それは、部隊間に伝令を行き来させれば事足りるという意味でもあり、それぞれの王子の元にできるだけ早く馳せ参じて印象を良くするという狙いでもあった。
ヌビ家の戦士たちは、その道中で他の貴族家の部隊と遭遇する事もあったらしい。ジャノメイのロミルチ隊、パウアハルトのツッジャム隊に、どんな交流があったか。そこまでは、セピイおばさんも詳しくなかった。しかし少なくとも、ジャッカルゴ率いるヌビ家本隊には、あった。
その時は皮肉なほどに恵まれた晴天で、ジャッカルゴたち一同は予定通り、東に進んでいた。隊列の前の方に居たブラウネンはすぐには気づかなかったが、途中で後方から追いすがる部隊が現れた。ヌビ家の旗や紋章衣を視認した上での行為である。しかも自分たちの隊から使者らしき騎馬が飛び出してきて、ジャッカルゴ隊の後続に声をかけてきた。それを受けた後続の騎士も、すぐさま馬を飛ばして、主人ジャッカルゴに報告する。
後方に出現した部隊は、レザビ家だった。そのレザビ家の党首が、ジャッカルゴと馬を並べて語らいたい、と言う。わざわざ止まって会談し、着陣を遅らせるまでもない、と。ジャッカルゴは同意して、それを自家の騎士に伝えさせた。すると、まもなくレザビ家の党首とその従者二人ほどが、自分の隊をジャッカルゴ隊の後ろに残して、騎馬で駆け上がってきた。
レザビ家の紋章 右上部分で、シャンジャビ家の蛇を二匹、組み合わせている。
で、二人は、ヌビ殿、レザビ殿と呼び合い、型通りの挨拶から始めたのである。それから他愛ない世間話に入るのだが。主にレザビがさも楽しそうに明るい口調で話し、ジャッカルゴの方は相槌を打つことが多かったようだ。ジャッカルゴから話題を振る事は、ほとんど無かった、とか。
だろうな、と私もセピイおばさんの話を聞きながら、思う。ヒーナの事を忘れたのか、と私だったら真っ先に言ってしまいそう。しかしジャッカルゴは、そうしない。名家の次期党首としては、まだ溜めて、様子見しなければならないのだ。
レザビの楽しいおしゃべりには、だんだん棘、というか影のようなものが滲んできた。元のシャンジャビ家に対する悪口が話中に挟まるようになったのである。
そして、ようやく本題に入った。第一王子アダムの陣に着いたら、自分を、レザビ家を王子に紹介してほしい、と。自分たちレザビ家だけで王子にご挨拶したのでは、何かと印象が弱い。だから、ヌビ家から取り次いでほしい、というのである。
ジャッカルゴより少し年上の、おそらくオペイクスの方が歳が近いであろう、レザビ家の党首は、こうも言った。『どうか、貴家の威光に頼らせていただきたい』と。やたら親しげな笑みを浮かべて、である。
ジャッカルゴは、すぐに承諾した。いや、快諾した、と言っていいだろう。
その上で『ところで』とジャッカルゴは話題を振ったのだ。『貴家に、かつてマムーシュなる御仁が居られませんでしたかな?実は、我が従姉妹が、その御仁に嫁いだのですが』
途端にレザビは目を輝かせた。『おお、そのような奇縁がヌビ家との間にあったとは、光栄ですな。自家のことながら、寡聞にして知らなかった我が身を恥じるばかり。いや、お恥ずかしい。いや、嬉しい』とか声を弾ませた上で、従者の片方を自分の隊に戻らせた。言うまでもなく、部下たちにマムーシュの事を確認させるためである。
「とんだお馬鹿さんだったみたいね」とうとう私は我慢しきれずに口をはさんだ。
「ああ、こんな連中を味方として戦わなければならないなんて、ジャッカルゴ様も内心げんなりしていただろうよ。まあ、敵味方に分かれなかった事は、ありがたいと神様に感謝するべきなんだろうが。もしかしたら、オペイクス様やロンギノ様に言わせたら、こういう気苦労も戦(いくさ)には付き物なのかもね」
私は続けて、セピイおばさんに念を押した。他の貴族家も、このレザビ家と似たようなものだったのか、と。おばさんも、そこまでは断定しなかった。ただ、レザビ家がジャッカルゴを嫌な気分にさせた事だけは確からし い。若き日のセピイおばさんたちにまで伝わるほどだから。
「でも、まあ、頼もしいお味方もあったよ。レザビ家の後で、ヘミーチカ様の叔父にあたるお方がリブリュー家の部隊を連れてきてくれたんだ。しかも、その方の腹心が、例の竜巻の騎士様さ」
「へへぇ、それは、お手並み拝見ですな」
私が生意気を言うと、セピイおばさんは笑ってくれた。
ジャッカルゴ隊が何日かけて戦場に着いたのか。そこは、セピイおばさんも分からなくなっていた。ただ、目的地の手前で王子アダムの隊とも合流できたので、遅参を免れた事は確かである。
陣に集結した各部隊の内訳で目立ったのは、やはりシャンジャビ家だ。その数、二百人強。
ヌビ家も、次の国王である王子アダムへの忠誠を示すために、ジャッカルゴが百九十人近くを確保して、弟ジャノメイと従兄弟パウアハルトには、それぞれ百五十人弱で我慢させたのだが。それでもシャンジャビ家には、わずかに及ばなかった事になる。
しかし、ジャッカルゴは狼狽えたりしなかった。何のことはない。妻へミーチカの叔父が率いるリブリュー隊を足せば、シャンジャビ家の人数を百人以上は軽く上回るのである。
その他では、ナモネア家やマーチリンド家が、やはり百人以上で目立つ方。マーチリンド家の隊を指揮していたのは、ビッサビア の従兄弟にあたる男だったとか。
レザビ家も百人近くだったらしい。この新興の貴族家は、兵力のほとんどを王位継承者である王子アダムに割いて、第二王子、第三王子には、もう兵士を送る余力が無かったそうだ。ジャッカルゴが尋ねてもいないのに、向こうの党首がぺらぺらとしゃべったのである。要するにレザビ家は、王位継承者の王子に賭けたのだ。
後は、チャレンツ家、ビマー家などがそれぞれ小隊を派遣してきた。
あの派手なトカゲの紋章、ビナシス家も。ビナシス家の指揮官は、かつてオペイクスが仕えた党首とは別の男、親族の一人だったようだ。オペイクスとヌビ家との一件で、党首から何か言い含められていたのか、ジャッカルゴには挨拶程度で、特に接触 して来なかった。
さて、これら全てが今回の、賊討伐に乗り出す第一王子アダムの軍勢である。合計で千人を少し超えた、という。小娘で戦(いくさ)に詳しくない私には、賊相手に千人という配置が妥当なのかは、分からない。
しかも、その賊たちの背後で隣国が動いていると覚悟すべきだなんて。
第二王子、第三王子の軍勢も、どうやら一千人前後だった、とか。
となると総計、三千人の大動員。これはヨランドラ国の兵力のほぼ三分の一らしい。セピイおばさんが、ここだけ声をさらに小さくして教えてくれた。「まあ、貴族の男たちには常識で、隠している意味も無いんだろうが。私ら庶民としては、口にしない方が身のためだよ」とも。
セピイおばさんは続けて、タリンの他の国々の兵力についても教えてくれた。フィッツランド、ワイスランド、ラカン シアは一万人以上。ヨランドラより兵士が少ないのは、西隣りのセレニアだけ、とか。何だか悔しいような。ちょっと不安になってくる。
「軍事力についての講義は、これくらいにしておこう」
セピイおばさんは、そう言って話をジャッカルゴ隊の動向に戻した。
レザビ家も陣に到着してすぐに、王子の従者などに申し出て、記録などしてもらったのだろう。それとは別に、ジャッカルゴは改めて王子アダムに、この新興の貴族家を紹介した。
初日の夜である。酒をガバガバ呑んで油断するなどはできないが、一杯ずつくらいなら、と王子など主だった者たちだけ、口を湿らせていた。その王子の両側をシャンジャビ家の幹部などが固めていたのだが。
そんな席に、ジャッカルゴはレザビ家の党首を連れて行ったのである。どんな顔していたのやら、と私は内心、思った。だけなのだが。
私は口に出してはいないのに、セピイおばさんは言うのだ。「おそらく、すさまじく冷めた表情をなさっていたと思うよ。お父様、アンディン様ゆずりの、ね」と。
「えっ。何で私の考えがわかったの?」
「分かったんじゃなくて、予想しただけだよ。あんたが気になるだろうって」
とにかくジャッカルゴは王子アダムに、レザビ家について説明した。それは、レザビ家とヌビ家に関係が生まれるきっかけとなった、従姉妹ヒーナとその夫マムーシュ・シャンジャビについての説明でもあった。二人の不幸な結婚。夫マムーシュの暴挙。
ジャッカルゴの話の途中で、シャンジャビ家の幹部は『それは』と言いかけたものの、ジャッカルゴの次の言葉で続けられなくなった。『私の発言に、何か事実に反する事がございましたかな?』
もう、その時点でレザビ家の党首は青い顔をしていただろう。もしかしたら、言葉には出さないでも、視線だけでシャンジャビ家の男たちと、マムーシュの罪をなすり合っていたのかも。(シャンジャビ家が、ろくでなしを押し付けてくるから)(レザビ家が勝手に奴を引き取ったんだろうが)なんて心の声が聞こえてきそう。どっちも、どっちだ。
そしてジャッカルゴは、こんなふうに締めくくったらしい。
『しかしアダム殿下。私は、わざわざ恨み言をお聞かせしようと、こんな席を設けたのではありません。それは殿下の貴重なお時間を奪う、失礼な行為に当たる。私自身も、楽しくも何ともありません。
しかも、この国難 の時に。フィッツ人やワイス人が暗躍しているやもしれず、そのためにグローツ殿下にもラング殿下にもご足労願っている、この時に。このジャッカルゴ一人がジャンジャビ殿やレザビ殿にわだかまり を持っているようでは、とても殿下のお役には立てない。むしろ足を引っぱり、国難 を悪化させるでしょう。
私、ジャッカルゴは今日、そのことに気づいたのです。殿下。今日、貴方様に久方ぶりにお会いして気づいたのです。
アダム殿下。どうか、私の偏狭さを軽蔑なさっても構いませんから、何とぞレザビ殿のご好意をお受けください。そして、シャンジャビ家と同様に頼りになさいませ。
その方が死んだ従姉妹も報われるのだ、と私は気づきました。繰り返します、アダム殿下。私は貴方様に気づかせていただいたのです』
聞き終わった王子アダムは、椅子から立ち上がって、ジャッカルゴにふらふらと歩み寄り、固く抱擁した。
『アガスプスでは何かとすれ違いばかりで、そなたとじっくり話す機会が無かったが。そなたは、そんなふうに考えてくれていたのか。
戦(いくさ)そのものは物騒だが、おかげでそなたと語らう時間が増える事は神に感謝しよう。嬉しく思うぞ、ヌビ。
シャンジャビもレザビも聞いたな。そなたらも異存は無かろう。明日からは早速、仲良く励んでくれ。そして助け合うのだぞ』
『仰せのとおりでございます』
シャンジャビ家の幹部もレザビ家の党首も即答した。そうするしかないのだ。王位継承者の王子に自分たちを売り込みに来ているのだから。
「ちょっと、芝居がかっている、と思ったかい?」
セピイおばさんにまたしても見抜かれて、私も大人しく認めるしかない。「実は」
「まあ私も正直、ジャッカルゴ様の言い方は少々くどい気がしたよ。
逆にジャッカルゴ様から言わせれば、それぐらいやらないと王族に響かないってことなんだろう。宮殿では、アダム殿下にシャンジャビ家の連中が取り巻いて、なかなか近づけなかったらしいからね。推して知るべし、だよ」
う〜む、と私は、うなる。
「何だい。不満そうだね」とセピイおばさん。
「だって、ヒーナを政治や戦(いくさ)に利用している、としか思えないんだもん」
「そこは仕方ないよ。貴族なんだし、戦(いくさ)なんだから。
とは言え、メイプロニー様も、あんたと同意見だったよ」
「メ、メイプロニー?」
「前に話したじゃないか。修道院 に行っておられた、アンディン様とキオッフィーヌ様のお嬢様。ジャッカルゴ様の妹君だよ。ジャッカルゴ様がアンディン様の跡を継いで党首になられた時に、ヒーナ様の事が話題になって、兄であるジャッカルゴ様に、ちくちく言ったらしい」
ああ、そう言えば。私も、やっと思い出した。
「で、ジャッカルゴは何か、反論したの?」
「反論って言うほどじゃないが。『使わない手は無い。ヒーナには悪いが』とかいうお言葉だったような。でもジャッカルゴ様だって、思うところはあったはずよ。
ちなみにアダム殿下は王位を継いでから、ヒーナ様のお墓に参ってくださった事が一度だけあった。そう。その時すでに党首になっていたジャッカルゴ様が手配して、国王となったアダム殿下が、こちらツッジャムの墓地に来てくださったのさ。
アダム殿下としても、シャンジャビ家が勢力を増しすぎるのも面白くないらしくてね。ヒーナ様の件は、シャンジャビの奴らに釘を刺す格好のネタなんだそうだ。私も、その事情を知らされた時は、連中の渋い顔が目に浮かぶようだったよ。
え?ああ、殿下の墓参りには、もちろん私も同行させていただいたさ。私も、その時は泣けてきたもんだよ。この光景をスネーシカ姉さんにも見せてあげたかったな、ってね」
セピイおばさんの言葉が、しばらく途切れた。
「また話を飛ばしすぎたね。賊の討伐に戻るよ」
セピイおばさんが改めて背を伸ばしたので、私も合わせた。
そもそも、ジャッカルゴにばかり話題が偏っている。ブラウネンは何をしているのやら。
「と言うか、ブラウネンに話を戻そう。ブラウネンはね。予想もついているだろうが、思い詰めていたよ」
また読まれたっと思ったが、黙っておいた。セピイおばさんに見透かされているのは、もう仕方ない。そこは諦めて、拝聴に徹する。
「囮を買って出たんだ、ブラウネンは。オペイクス様の話を覚えていたわけさ。で、何度もジャッカルゴ様に申し出て、終いには許可を得られなくても、やらかす。部隊の長であるジャッカルゴ様に失礼になる事を覚悟の上で、賊どもの前に自分を晒したんだ。
賊どもはブラウネンを血祭りにあげようと取り囲む。賊どもが調子に乗ったところで、ジャッカルゴ様たち一同が駆けつけて殲滅する。
その上でジャッカルゴ様は自分の部下たちに、わざと、もたつくように命じるんだよ。その場で、ぐずぐずして、移動しないんだ。
となると今度は、他の賊どもの目に、ジャッカルゴ隊が調子に乗っているように見えただろう。当然、その賊どもはジャッカルゴ隊の不意を突くつもりで襲いかかる。実際、しばらくはジャッカルゴ隊は押され気味になったよ。
しかし、そこでアダム殿下が他家の部隊を率いて、到着だ。もちろん賊を包囲もする。やがてアダム殿下自らが賊の部隊長を捕まえる。あるいは成敗する」
「そ、それって王子に手柄を取らせる、花を持たせるってこと?」
「そういうこと。命がけで戦いながら、しかも、いろいろと気を使わなければならないんだ。ジャッカルゴ様たちが、いかに大変だったか、これで少しは分かっただろ。
でも、このやり方でアダム殿下は賊の隊長格の男を一人、二人と押さえていった。捕まえた奴らは尋問して、その根城がどこか吐かせて。
なんて言ったら、作戦が順調に進んでいるように聞こえるかい?もちろん殿下にしろ、ジャッカルゴ様たちにしろ、誰だって戦(いくさ)をだらだら長引かせたりは、したくないさ。しかし、それで焦って、フィッツランドやワイスランドの動きを見逃しては、それも後々まずいだろ。だから、作戦を速めずに、向こうがどんな反応をするか確認したかったんだ。
そのため、事あるごとに伝令たちが主戦場から二ヶ所の国境付近へ、国境付近の陣から主戦場へ、と頻繁に行き来した。しかしフィッツ人もワイス人も、なかなか尻尾を出さない。アダム殿下は表情を固くする事が多くなって、お世辞にも機嫌がいいとは言えないご様子だったそうだ」
って、セピイおばさんは、またブラウネンを置きっぱなしにしているような。話の都合では、しょうがないのかな。
「さて、この作戦ではジャッカルゴ隊ばかりが割を食う、苦労をさせられている、と思うかい?でも、これもジャッカルゴ様の計算のうちなんだ。他家がやりたがらない事をやってのける。少なくともシャンジャビ家やナモネア家、マーチリンド家は自分たちから買って出たりしないだろう。
ありがたいことに、アダム殿下は、そういうところをちゃんと見てくださるお方だった。普段、ご自分に取り巻くシャンジャビ家などの連中が、いざと言う時には苦労を厭う、という事が分かったんだろう。作戦とかの相談を、連中よりもジャッカルゴ様にするようになった。
つまりジャッカルゴ様は王位継承者たる殿下の心に、しっかり喰い込んだ。印象づける事に成功したのさ」
力強く言った後で、セピイおばさんは、ため息をはさんだ。
「しかし、このやり方は犠牲が伴う、とあんたも気づいているね。実際、ジャッカルゴ隊の者はみんな生傷が絶えなかったし、戦死者も出た。
ブラウネンは幸い、そこまでならなかったが、ついに重傷をおったよ。右腕を折られたんだ。賊が振り下ろした鎚矛を剣で受け止めきれなかったそうだ。ジャッカルゴ様自らが救出してくださったが、利き腕だからねえ。もっとも左腕や脚なら折れてもいい、というわけでもないが。
で、このブラウネン骨折の知らせがメレディーン城にも届いたんだ。と言ってもイリーデも私も知ったのは、かなり後だよ。まず党首アンディン様やオペイクス様など、ごく一部の耳に入って、アンディン様がお決めになった。『しばらくはイリーデに言うな』と。
それで気をもんでくださったのが、オペイクス様だ。党首アンディン様に願い出たんだ。『使者としてアダム殿下の陣に赴き、ブラウネンなどの様子を見てきましょう』と。
でも、アンディン様は許可しなかった。『ならん』と。行ったら、オペイクス様がそのまま加勢するのが、目に見えているからね。その後も何度かオペイクス様が申し出ても、アンディン様は一度も許可しなかった」
「うーん」
「あら。あんたは唸ってばっかりだねえ」
「アンディンの判断も悪くない、とは思うんだけど。イリーデの気持ちを考えるとなあ」
「だから、アンディン様も悩ましかっただろうさ」
「でも結局はイリーデも、ブラウネンの骨折を知ることになったんでしょ。それは戦(いくさ)が終わってから?」
少々せっかちだが、私はカマをかけてみた。戦(いくさ)が終わってから、二人が話をできたとすれば、少なくともブラウネンは生きて帰った事になる。しかし。
「それが、だ。終戦 を待つまでもなかった。どこかの迂闊な人たちがシルヴィアさんたちにしゃべって、しかも、そこにイリーデが出くわしてしまったんだ」
「それって、例の色男さん二人?」
「そ」
「も〜。いつか、やらかすと思っていたら」
「ああ、これには、さすがにキオッフィーヌ様が目を吊り上げてね。ご夫妻とも声を荒げたり、表情を変えたりはしないんだが、目の色が明らかに冷たく変わっていた。城の居残り組、全員が固まりそうだったよ。
キオッフィーヌ様はオーカーさんとアズールさんに、三ヶ月の減給を言い渡した。アンディン様も二人を庇ったりしない。『ジャッカルゴがそなたらを連れて行かなかった理由は、そういうところだ』と一言だけ。陽気な二人も、しばらくは萎れていたよ」
「って、ここまで来たら、もう色男さんたちはどうでもいいわ。
それよりイリーデが、また取り乱したんじゃない?」
「ああ。あの娘なりに必死にこらえていたんだが、何しろ若すぎるよ。黙って落ち着いていると思ったら、青い顔をして、声も無く泣いていた、なんて何回あったことか。
そんな彼女を見れば、またヘミーチカ様も気に病むし。
私もシルヴィアさんたちも、ヘミーチカ様とイリーデの間で、おろおろしたよ。仲違いってわけでもないんだがね。
ところが、さ。そんな時にオペイクス様の方から近づいてきて、唐突に言うんだ。
『案ずることはありません、ヘミーチカ様。ジャッカルゴ様が原因で、ブラウネンが負傷したのではありません。むしろジャッカルゴ様がついておられるから、ブラウネンは、その程度で済むのです。
いずれ二人して無事に帰って来ますから、その時は私の言った意味が、ご理解いただけるでしょう』
私らもイリーデもヘミーチカ様も目を丸くしたよ。女たちが集まっているところに自分から近づくような方じゃないからね。で、オペイクス様も自分で気がついたのか、急に赤面して『し、失礼』と言い残して、逃げるように居なくなった。
途端に吹き出し たのは、スカーレットさんだ。『へんな人』ってね。
スカーレットさんの一言がじわじわ効いてきて、みんな笑い出したよ。ヘミーチカ様もイリーデも、ね。
私もホッとしていたら、背中をノコさんのひじが小突いた。後でオペイクス様にお礼申し上げておけ、とのことだった」
「って、そのお礼を言うのに、お姉様方とぞろぞろ行ったの?」
「あんた、分かっていて言っているね。そんなことしたら、またオペイクス様は逃げちまうだろ。だから女中たちを代表して、私だけが行くことにした。そしたら、イリーデがどうしても一緒に行くと言って聞かなくてね。
イリーデから礼を言われた時のオペイクス様の顔は・・・まあ、見ものだったよ」
セピイおばさんは、実に嬉しそうに微笑んでいた。戦(いくさ)の一場面である事を、私は一瞬、忘れそうになった。
「さて、このブラウネンの騒動。現場では、なかなかのおまけが付いた。なんと、アダム殿下がブラウネンに直に言い渡したんだよ。『しばらくは囮役を控えるように』とね。ジャッカルゴ様と親しくなったアダム殿下は、ブラウネンもよく見かけるようになったんだろう。で、思い詰めたブラウネンを見かねて、声をかけてくださったわけさ。
もちろん、この情報もすぐにメレディーン城に伝わったよ。これについてはアンディンも口止めなんかしなかったし、私ら女中一同も急いでイリーデに教えてあげたんだ。
ああ、あの時のみんなの顔。イリーデが泣きながら私にすがりついてきて、シルヴィアさんたちも、ノコさんやロッテンロープさんも、キオッフィーヌ様とヘミーチカ様まで・・・要するに、女たち全員が集まって喜んでくれたんだ。『よかったね』『これで、もう大丈夫』が何回も聞こえたよ。
ヘミーチカ様が、ほろりと、もらい泣きしておられた。
これにシルヴィアさんが気づいてね。目を輝かせたと思ったら、少し離れたところにいたオペイクス様に声をかけるんだよ。『オペイクス様。これも、やっぱりジャッカルゴ様のおかげでしょうか』
『えっ。うん?ああ、そうだな。ジャッカルゴ様がアダム殿下に頼んでくださったんだろう。す、鋭いな、シルヴィアさんは』
これを耳にしたイリーデは、ハッとしてヘミーチカ様と目を合わせたよ。
後は、もう分かるだろ」
「ふふっ、さすがお姉様。頼りになるわ」
「私もシルヴィアさんを、かっこいいと思ったよ」
「さらに続けると、ブラウネンの騒動のおまけは、アダム殿下だけじゃなかった。別の戦場にまで飛び火したんだ。
まずはヌビ家党首アンディン様の次男坊、ジャッカルゴ様の弟であるジャノメイ様から話そう。
前に、ヌビ家にもイリーデを妻に望む者が何人か居て、アンディン様が認めなかった、と言っただろ。その一人が実は、ジャノメイ様だったんだ。アンディン様としては、次男のジャノメイ様が一番悩ましかったようでね。他の男たちと同様、アンディン様から言って聞かせたが、ジャノメイ様だけがいつまでも、ぐずぐず口答えしたとか」
「諦めが悪かったと」
「ちょっと意地悪な見方だが、ジャノメイ様は、イリーデの花婿候補には党首の息子である自分が一番、分があると期待したんじゃないかねえ。それでアンディン様と親子喧嘩を多少繰り広げたかもしれないよ。
ブラウネンにとって幸いなことに、ジャノメイ様は党首の息子として、修道院 だのロミルチ城だの、あちこちに留学しなければならなかった。アンディン様は、多感な次男をイリーデから引き離すのに、ちょうどいい口実を持ち合わせておられたわけだよ。
ちなみに、ジャノメイ様は私と同い年でね。つまりイリーデとは、一つ違い。ジャッカルゴ様より、よっぽどイリーデに近いだろ。
さて、そんなジャノメイ様の耳にも、ブラウネンの奮闘ぶりが伝わったんだ。東の国境でフィッツ人と睨み合っている最中に、伝令がやった来たのさ。第三王子ラング様が報告を受ければ、当然ジャノメイ様も同席している。
ラング殿下はジャノメイ様の事情なんて知らないから、大真面目に褒めてくださったそうだ。『君の家中には勇敢な者が居るのだな。しかも僕や君とも歳が近い者となれば、我々も負けておられん』と。
この『負けておられん』がある意味、良くなかったねえ。ジャノメイ様に無茶をするお墨付きを与えたようなもんだよ。で、ジャノメイ様はブラウネンに負けじと、フィッツ人たちに単騎で近づいて行ったんだ。
フィッツ人たちは格好の的だと、途端に射掛けてくる。ジャノメイ様なりに覚悟していたかもしれないが、わざわざ矢を浴びに行ったようなもんだよ。もちろん盾で防ごうとしたんだろうけど、防ぎきれずにジャノメイ様自身も馬も矢傷を負った。
そして、その時にはオーデイショー様の息子さんたちとか、お味方が大勢駆けつけてジャノメイ様を救出したよ。だが、そこをフィッツ人どもがここぞとばかりに襲いかかる。
しかし、それをさらに、ラング殿下の別働隊が痛撃して、敵を止めた。
後は国境をまたいだまま、大混乱になったんだ、と。でも、そのうち両軍とも疲れたんで、引き分けとして退いた」
「ふー、何とか無事、じゃなかった、ジャノメイは怪我したんだったか」
「まあ、一命を取り留めたのは確かだよ。
しかし陣に戻ったら、ジャノメイ様は周りから、けっこう責められてねえ。そりゃ、そうだよ。他家に言わせれば、ヌビ家の子息が手柄欲しさに抜け駆けしたようにしか見えない。シャンジャビ家とか、ナモネア家とか、言いたいことを言ってくれたんだろう。
オーデイショー様のご子息のお二人も、ジャノメイ様と他家の間で板挟みになって、ジャノメイ様とギクシャクしたかもね。
そんな中、陣中の大将役であるラング殿下が、真っ先にジャノメイ様を弁護してくださったんだ。
『皆、そう責めるな。ジャノメイ君も、事の重大さが分からぬような御仁ではないのだ。
むしろ僕は、ジャノメイ君の気持ちが分かる気がするぞ。おそらくジャノメイ君は、僕が抱えているものと似たようなものを秘めているのだろう。
僕は焦燥感に駆られている。出陣してから、いや、此度の戦役が決まってから、ずっとだ。こうして経験豊富な諸兄らの顔ぶれを見回せば、なおのこと焦りが増す。
僕は見ての通りの若輩者だ。父上からこの軍団を預かったものの、諸兄らの経験には遠く及ばない。僕の采配を見て、諸兄らも歯痒く思うこともあったろう。
軍を預かった責任を思えば、早く諸兄らに追いつかなければならぬ、と自分でも分かっているつもりだ。
ジャノメイ君。君は僕と歳が大して違わない。君は僕と同じように悩んでいたのではないか。
諸兄らよ、どうか今しばらく、こらえてくれ。
そもそもジャノメイ君は、臆して逃げ隠れしたのではない。逆に、果敢に前に出て、戦ったではないか。僕は、むしろ出遅れた自分を恥じる。そして父上には正直に報告しようと思う。
諸兄らよ、それでも、まだジャノメイ君を非難するか』
とか、大体こんな感じかねえ。要するに、第三王子ラング殿下が、ヌビ家党首の次男ジャノメイ様のために、演説をぶってくださったんだよ。そりゃ、もう効果抜群さ。
シャンジャビ家かどこかは『殿下がそこまでおっしゃるなら』とか、ぐずぐず言ったそうだが。気の利いた奴も少しは居るよ。
『あいや、お恥ずかしいのは私めの方であります、ラング殿下。この年寄りめが、耄碌して考え違いしておりました』
『ラング殿下、ジャノメイ・ヌビ殿、お許しくだされ。このナモネア、正式に謝罪いたす。考えてみれば、私めもヌビ殿の年頃には、似たような先駆けを試みておりました。
のう、皆の者。貴殿らも思い出せ。かつて自分が通った道ではないか』
『まさしく、その通り。
どうか、お二方。このチャレンツの謝罪もお受けくださいませ。私など、殿下らの若さを羨んで、見苦しい言動におよんでしまいました』
とか何とか。誰かが言い出したら、我も我もって具合さ。
締めは、リブリュー家の幹部の方が務めたよ。
『皆々様。ラング殿下が気づかせてくださいましたな。せっかくの先駆けで仲違いするなど、それこそフィッツ人どもの思う壺。私も目が覚めました。
ジャノメイ殿。貴殿のおかげで私も、また一つ経験を積むことができましたぞ。お礼申し上げる。
貴殿が我らの姫様の義弟であるとは、なんとありがたいことか』
なんてね。
ジャノメイ様は男泣きして、ラング殿下をはじめ、陣中の一同に謝罪した。『申し訳ありません。私が身勝手な振る舞いをしましたばかりに、皆様にご迷惑をお掛けして』と。
それをすかさず、ラング殿下が遮った。 『もう良いのだ、ジャノメイ。それより、明日もフィッツ人どもに目に物見せてくれようぞ。
そうだろう、皆の者』
居並ぶ貴族たちは、おおぅ、と勇ましく叫んで答えたんだ、と」
う〜ん。またしても私は唸る。
「三番目の王子様も、まさかジャノメイが失恋でやけになっていただけとは知らなかったんでしょうね」
「あんた、また意地悪を言ってくれるねえ。まあ、ジャノメイ様もわざわざ、そんなことまで話したりはしないだろうけど。
そこまでの仲ではなかったにしても、ジャノメイ様は、この戦闘がきっかけで、ラング殿下とすっかりお近づきになれたよ。王子のお心に見事に喰い込んだのさ。
こうなったら、シャンジャビとかがいくら取り巻いても、ラング殿下は上の空で、ジャノメイ様とばかり会話なさるよ。
しかもジャノメイ様とのつながりで、オーデイショー様のご子息お二人も、ラング殿下からよくお声がかかるようになった」
「ふふーん。当時のおばさんとほぼ同い年の若者四人がいつも、つるんでいたのね」
「そういうこと。
このおこぼれにあずかれたのは、ヘミーチカ様を通じてヌビ家と縁のあるリブリュー家くらいだろう」
「やっぱりリブリュー家の幹部は、わざと自分たちのお姫様を話題にしたのかな?」
「そりゃ、そうだよ。こういう時のための政略結婚だ。それこそ、使わない手は無い」
ジャッカルゴとヘミーチカ、両思いの結婚なのに?これが政治ってこと?なんて思っても、もう言わなかった。セピイおばさんを責めても仕方ないし、話を進めないと。
「で、この、ラング殿下とジャノメイ様たちが自然と四人組を形成した件は、当然メレディーン城にも伝わったよ。
オーカーさんたちが言うには、伝令から報告を受けたアンディン様は、はっきり声に出したんだ。『でかした』ってね。
色男さんたちもオペイクス様も目を見張ったそうだよ。私も、その気持ちは分かるね。
アンディン様はヌビ家党首として、普段から感情を表に出さないように徹しておられたんだ。そのアンディン様が興奮するなんて、よっぽど、だよ。
後でアンディン様は、ぽつりとつぶやいておられた。私なんかが居合わせてもお構いなしに。
『ジャッカルゴに比べて、あ奴には辛く接する事が多かった。イリーデへの気持ちも我慢させた。私に対して恨む事も多かろうから、此度の戦役では手抜きをするのでは、と疑ってしまったが。
情け無い父親だ。あ奴め、まんまと、この父を出し抜いてくれたではないか。見ようによっては、ジャノメイは兄のジャッカルゴよりも一歩抜きん出た、とも言えるぞ。ジャッカルゴはアダム殿下のお心をつかむのに、ヒーナを利用した。だが、ジャノメイはヒーナ無しでラング殿下の共感を勝ち得たのだ』
てな感じで、つぶやきのつもりで始めただろうに、結局、居合わせた者に聞かせる話し方になっていた」
「気を揉んでいた分、嬉しかったのね」
「ああ。アンディン様も、やはり子の親だ、と思ったよ。
そうだ。あの時は私とロッテンロープさんがアンディン様の書斎を掃除するために入室して、ご本人は遠慮して出て行こうとなさったんだ。アンディン様は手に、伝令たちの報告書か、ご子息たちの手紙を握りしめていたような。
私は、盗み聞きとか怒られないだろうと踏んで、ちょいと調子に乗ってみたんだ。『でしたら、ご党首様。ジャノメイ様も縁組なさればいいじゃないですか。ジャッカルゴ様とヘミーチカ様みたいに、きっと良い縁組になりますよ』と。
そしたら、だ。アンディン様は目を丸くして私を凝視したんだよ。
私は、しまった、と思った。私は慌てて『出過ぎた事を言ってしまいました』と謝ったんだが。
アンディン様は固まって、立ち尽くしたままだ。ロッテンロープさんが不思議がって、アンディン様と私の顔を交互に覗き込んだよ。
それもほんの一、二秒のはずなのに、すごく長い時間に感じたね。その後でアンディン様の口が、やっと開いた。
『セピイ、よく言った。そなたのおかげで、私も今、思いついたぞ。たしかにジャノメイにも早急に嫁を取らせるべきだな。縁談が進んだら、そなたにも何かと協力してもらおう。
して、セピイよ。私が今、何を思いついたか分かるか』
そこで言葉を区切って、アンディン様は、また私をじっと見た。ロッテンロープさんも、再び私らを見比べて、首を傾げる」
「わ、分かるかって、分かるわけないじゃない」
「私も心ん中では、そう思ったさ。しかし、アンディン様は黙ったままだ。
それで、ハッとした。アンディン様が私にお尋ねしている。その状態。つまり私自身が要点なんだ、と。ジャノメイ様の花嫁探しに、私が絡むとしたら」
「えっ、まさかアンディンは、セピイおばさんをジャノメイのお嫁に、と考えたの?」
セピイおばさんは、のけぞった。
「違うよ。そんなわけ、ないじゃないか。私が絡むとしたら、ビッサビア 様。マーチリンド家だよ」
「ええええっ」
私の驚きの声が墓地の原っぱに響いた。
「なっ、なっ、なっ、何それ。ジャノメイのお嫁さんをビッサビア に探してもらおうって、アンディンは言うの?」
「おそらく、そうだろうと思ったよ。だから私もすっかり驚いて、声がうわずってしまったんだ。『まさか、あのお方に話を通すおつもりですか』と、やっとこさ聞き返した。
アンディン様は『今はまだ、私一人が思いついただけだ。だが私は、この考えを推そうと思う』と言い残して、今度こそ書斎を出て行かれた。奥方キオッフィーヌ様に相談するつもりなんだ、と私は推測したよ」
「ええ〜、何で〜。ジャノメイに辛い思いをさせた、とか言ったばかりじゃん。そのくせ、結局ビッサビア なんかと関わりを持たせようなんて、どういうこと」
「私も、さっぱり分からなかったよ。かと言って、アンディン様に根掘り葉掘り、意図をお尋ねしたりできないからね。わたしゃ、貴族の親族でもない。田舎出の女中に過ぎないんだ。
だから推測するしかないんだが。私は、リブリュー家を思い出していたよ。ヒーナ様の最初の縁談の時に、ヌビ家とリブリュー家の関係はこじれただろ。しかし、その後ジャッカルゴ様とヘミーチカ様が結婚して、両家は仲直りできた。
アンディン様は同じように、マーチリンド家との関係修復を望んでおられるのでは。そう、私は推測するしかなかった。シャンジャビ家と違って、表立って問題になったわけじゃない。あくまでも、ビッサビア 様を通じて腹の探り合いをしただけ。いつまでもギクシャクしても、つまらないよ。適当にマーチリンド家の顔を立てて活用するなんて、アンディン様ならできるだろうし」
「ってことは、やっぱり政治?」
「そう。政治だよ。そのためにジャノメイ様には新たな使命を課そうってわけさ。
それに、前に話したのを覚えているかい?アンディン様はパウアハルトを追い出して、ご自分の次男坊にツッジャム城を任せる計画だ、と。その次男坊がジャノメイ様じゃないか」
そうだった。
ブラウネンの話を聞くはずが、こんなふうに、よそに広がるなんて。
「き、貴族って、いろいろ大変だね」と言うのが精一杯だった。
「と言うわけで、今度は、そのパウアハルトの話をしなきゃならないね。
あんたも予想していたと思うが、ブラウネンの奮闘は、やっぱり奴のところにも伝わったんだ。つまり、ワイスランドとの国境線を見張る、グローツ殿下の陣中だよ。
加えて、ジャノメイ様たちの戦況も伝わった」
「パウアハルトは焦ったんじゃない?」
「そうなんだよ。年下の二人に先を越された形だからね。従者や身近な兵士たちに八つ当たりする事が多くなったらしい。
また、その噂がすぐに、メレディーンにまで届いてくるんだ。ご党首アンディン様と奥方キオッフィーヌ様が顔を揃えて、ため息をついておられた。
その調子では、現場のグローツ殿下や他家の者たちが、ヌビ家に良い印象を持ってくれるはずがないだろ。パウアハルト一人が恥をかくんじゃない。奴はヌビ家を代表して、そこに居るんだ。
『他家のほくそ笑む姿が目に浮かぶ』とアンディン様も、ぼやいておられた。この時は、ジャノメイ様の時と違って、私も何とお声掛けしたらいいのか分からなかったよ」
「三ヶ所ともヌビ家が好調、ってわけにはいかなかったか」
「そう。なかなか贅沢は、できないもんだよ。
そのうち私は、別の噂も耳にした。ツッジャム城に置いてきぼりにされたロンギノ様。パウアハルトが連れて行った兵士たちの事を心配して、ロンギノ様が方々に連絡を取っていたんだ。同僚の騎士も何人か、ワイスランドとの国境付近の陣に入っていたから、彼らから状況を教えてもらうことができる。メレディーン城のアンディン様とも、頻繁に伝令を行き来させていたからね。何とかしてパウアハルトを嗜めることができないか、奔走してくださったのさ」
「いくら何でも、党首の言いつけなら、パウアハルトも従うでしょ」
「私も、そう思いたかったんだが。例によってシルヴィアさんたちがオーカーさんたちから聞かされた情報だと、少なくともご党首アンディン様は奴を信用していなかったみたいだ。
一応、パウアハルトから反省文みたいな手紙を受け取ってはいたんだよ。でもアンディン様は、グローツ殿下の陣地に赴く伝令に言い含めた。『パウアハルトと、部下たちの様子、特に顔色をよくよく確認するように』とね。『私の目の届かない所では、パウアハルトがこの手紙の通りに振る舞うとは限らん』と。
それを偶然、耳にしたオーカーさんは、嬉々としてシルヴィアさんたちに話すんだ。色男さん二人も姉さん方三人も、パウアハルトを毛嫌いしていたから、陰口で盛り上がっていたよ」
「そういえばパウアハルトは、メレディーン城での修行中に、シルヴィアたちに絡もうとしたんだよね」
「そ。スケベ心だけでね。真剣に結婚しようという気も無い。それでオーカーさんとか、危うく喧嘩になりかけたんだと。
それをなだめる、と言うか、止めに入ったのが、オペイクス様さ。パウアハルトは怒りの矛先をオペイクス様に替えて、だいぶ暴言を吐き散らかしたらしい。
オーカーさんはオーカーさんで『仲裁なんて頼んでねえし。オペイクスの旦那が俺に貸しをつくったなんて勘違いしたら、やり切れねえぜ』だってさ」
「でも、そのまんま喧嘩するわけにはいかないじゃない。曲がりなりにも、パウアハルトはアンディンの甥なんだし」
「そう。
それに、オペイクス様が恩着せがましいことを言ったりする、はずが無いからね。
ちなみにパウアハルトと来たら、イリーデとブラウネンもいじめると言うか、辛く接する事も多かったそうだ」
「分かった。そこに割って入って助けたのも、オペイクスなんでしょ。イリーデは、それでオペイクスが好きになったんじゃない?」
「ふふっ、そういう問題に関しては察しが早いなんて、あんたも年頃だねえ。正解だよ」
「だ、だって気になるんだもん」と、私は何とか言い返す。
「ま、とにかく、そんなパウアハルトも焦ったわけさ。昔いじめたブラウネンは体を張って、評判を上げたんだからね。
ジャノメイ様とパウアハルトにどれくらい接点があったかは知らないが、まあ、ジャノメイ様の活躍も、パウアハルトは喜んであげたりしなかったと思うよ。メレディーンに戻ってきた伝令たちの報告に、そんな話は無かった。
伝令たちが目にしたのは、奴の機嫌の悪さばかり。残念ながら、アンディン様の予感は半ば的中したようなもんだ。
おそらくパウアハルトは、二人を羨んで、自分も何か手柄を立てねば、と焦ったんだろう。わざわざ国境そばまで自分の部隊を引き連れて行って、向かい合ったワイス人たちに散々、罵声を浴びせて挑発したんだと。
ところが、だ。ワイス人たちの方が口が達者なのか、罵り合いをしているうちに、いつの間にかパウアハルト自身がカッカして、単騎で飛び出してしまった。挑発するつもりが、まんまと挑発されたわけさ。
大柄なあの人も、それなりに暴れたんだろうが、ワイス人部隊の包囲は早かった。慌てて追いかけてきた部下の騎士や兵士たちと分断されて、大苦戦だよ。
しかし、そこをグローツ殿下が軍団を引き連れて、パウアハルトのツッジャム隊を救援してくださった。
と言っても、グローツ殿下も、他家の部隊を全部、連れてきたわけじゃなくてね。半分くらいを残して、警戒させていた。すると案の定、ワイスランド側からも援軍が押し掛けて来るじゃないか。軍団の残留組は、こいつらをちゃんと押さえてくれたよ。で、グローツ殿下は心置きなく戦えたんだ」
「備えあれば憂いなし、ね」
「お、先に言ってくれたか。まさに、その通りだよ。
さて、その日、丸一日の戦闘の結果として、グローツ殿下は敵ワイス人たちの軍団を蹴散らし、追い払う事ができた。
では、ここで久々に質問を出そう。あんたは、これでグローツ殿下の機嫌が良くなった、と思うかい?」
「ふふ。そういう質問の仕方だったら、良くならなかったって事でしょ」
「おや、簡単だったか。そう。お世辞にも、機嫌が良くなったとは言えなかった。
しかしグローツ殿下も、表情をあまり出さないように心がけておられたようでね。陣中に戻ったら、パウアハルトに手短かに注意しただけで、長引かせたりしなかったそうだ。他家の連中が、ぶつくさ言っても、だよ。
それをパウアハルトと来たら『そら見ろ。グローツ殿下は理解してくださっているではないか。これが大将を務める方の器というものよ。さすがに、他家の小物どもとは比べ物にならんわ』とか部下の騎士や兵士たちに言っていたそうだ」
「それって、小物呼ばわりされた本人たちに聞こえるように、パウアハルトが大きい声で言ったんじゃない?」
「ふふっ、あんたも、そう読んだか。私もだよ。スカーレットさんやヴァイオレットさんたちも、やんや言っていた」
「となるとヌビ家の部隊、パウアハルトのツッジャム隊と、他家の部隊は相当ギクシャクしたでしょうね」
「だから、その両方を束ねなきゃいけないグローツ殿下の気苦労が、想像できるだろ。
しかもワイスランド側はずる賢い事に、こちらヨランドラ軍を好きなだけおちょくっても、尻尾は出さない。賊との関係は掴ませない。捕虜を散々、尋問しても、だよ。
しかし繰り返すが、この殿下は、そういう気苦労を顔に出さないんだ。
で、殿下はどうするかというと、こんな作戦を練り上げた。『陣を退げよう』と。それも、ワイス人どもが調子に乗って、言いたい放題に言っている、その最中に退がるって言うんだよ」
「連中の目の前で?そんなの、言い負かされたと認めるようなもんじゃない?」
「そう。まさに、向こうの連中にそう思わせる事が、この作戦の要(かなめ)なんだよ。
当然と言おうか、こちらヨランドラ側の陣中では、貴族たちが承諾を渋った。『それは、いかがなものかと。敵を目の前にして、尻尾を巻いて退き下がるのでは、敵に侮られます』とかね。パウアハルトも反対して、珍しく他家の連中と足並みが揃う形になった。
そしたら、グローツ殿下は困るどころか、ちょっと笑みを見せたそうだ。
『では、こちらを侮ったワイス人たちは、どんな行動に出るかな。こちらの尻を蹴飛ばしてやろうと、国境をまたいで来るんじゃないのか。そこを待ち構えていたら、さぞ面白かろう、と僕は思うぞ』
これを聞いたシャンジャビ家やナモネア家などの幹部は、『ほお』とか低く呻いて、『お見それしました』とか、途端に賛意を示した。
これで作戦会議は終わるかと思いきや、殿下は付け加えるんだ。『パウアハルトのツッジャム隊には、特別の任務を与える』と。『パウアハルトは、我々より先にツッジャム隊を後退させよ。そして道中の適当な箇所に隠れるのだ。その後、我々全員がツッジャム隊が隠れた位置よりも、さらに後方に退く。ワイス人どもはツッジャム隊に気づかずに、我々を追撃して来るだろう。そこを、ツッジャム隊が最初に迎撃して良い』とね。
この計らいでパウアハルトは、すっかり機嫌が良くなったんだとさ」
「手柄を一番最初に取れる、と思ったのかな?でも、敵の方が多かったら、危険な気がするけど」
「その時は、またグローツ殿下たちが駆けつけてくださるって段取りなのさ」
「そっか。
って、なんか、パウアハルトとツッジャム隊が囮になってない?」
「ほお、やっぱり気がついたか。
てことは、殿下の陣中に居た他家の連中も気づいていただろうね。もしかすると、パウアハルト自身も」
「えっ、本人も?」
「そりゃあ、パウアハルトがいくら身勝手な奴でも、メレディーンでアンディン様の下で修行した身だよ。馬鹿じゃないさ。グローツ殿下が遠回しに囮役を命じた事も、他家の連中がほくそ笑んだ事も、気づいていたはずだ。
それでも、他家より先にワイス人を迎撃して、手柄を先に取れる事を優先したんだろうよ」
ふーむ、と私は唸ってしまう。同情するつもりは無いけど、パウアハルトも、それなりに苦労していたわけか。
「まあ、グローツ殿下やパウアハルトのそれぞれの思惑はともかく、作戦は当たったよ。他国の軍隊をヨランドラ国内に誘い込むという点ではヒヤリとしないでもないが、とにかく成功したんだ。
グローツ殿下は、調子に乗って深入りした敵ワイス軍の隊長格を数名、成敗した。つまりは予定通りさ。
で、その隊長たちは、いずれも少しは名の通った、中小の貴族でね。怒った親族がワイスランド王家を通じてギャアギャア抗議してきたようだが、気にすることは無いさ。そもそも、ヨランドラ国内での戦闘なんだ。こちらがワイスランドに攻め入って起こした事件じゃない。むしろワイス人の方がヨランドラに侵入してきた、と言えるんだからね」
「となると、グローツも今度こそ機嫌が良くなったでしょうね。
でも、その代わりに、囮のツッジャム隊は大変だったんじゃない?」
「ああ。残念ながら、ね。
グローツ殿下は、ツッジャム隊がある程度、苦戦してからでないと、援軍に来てくれなかったんだ。それまでにツッジャム隊では死傷者が増えるよ。パウアハルトも頑張って武器を振り回したが、敵をいくらやっつけても怪我を負ってしまったと。
それでもパウアハルト個人は、まだ良い方でね。この戦いの後の酒宴で、グローツ殿下から労いのお言葉をたっぷり戴いて、殿下の隣りでご馳走になって。いつも取り巻いているシャンジャビ家の幹部たちを押し除けた、と言わんばかりのでかい顔だった、と。もっぱらの噂だ」
「実際は、グローツに上手いこと踊らされただけなのに。
何だかグローツが嫌いと言うより、だんだん怖くなってきたわ」
「ああ、この方は、ほんと手強いよ。私らツッジャム側の人間としては、つい、この方を恨みたくもなるが、この方はこの方で、曲がりなりにも国を守ったんだ。簡単に文句はつけられない」
うぐっ。私は詰まった。は、反論がすぐに出て来ない。
「で、でもツッジャム隊の死傷者は、どうなるの?」
「国のために散った、名誉の戦死。なんてお褒めをグローツ殿下から戴けた。パウアハルト経由でね」
「そ、そんな」
「もう、やめておきなさい、プルーデンス。言い出したらキリが無いよ。
戦死は、こちらツッジャムの者だけじゃないんだ。他家の者たちにも、死傷者は出ている。まあ、多い少ないの違いはあるが。
それにグローツ殿下をなじっても、簡単に言い返されるだろう。『恨むならワイス人どもを恨め』とね」
セピイおばさんは少しも力まずに、淡々と言った。グローツに対しては怒りをぶつけようも無い、という諦めの境地だろうか。
などと推測していたら、セピイおばさんは話を意外な方に向けた。
「実はね、パウアハルトは、ツッジャム隊を編成するにあたって、この村からも男手を出すよう強要したよ。で、急いで人選がなされた。その男たちを引率したのは、兄さん。つまり、あんたたちのお爺さんだ」
「えっ」
「驚いたかい?あんたたちのお爺さんは、従軍の経験があるんだよ。あの時、父さんはもう村長を務めていて、村を離れられなかった。長男である兄さんが替わりに、村の男たち十人ほどをパウアハルトの元に連れて行ったんだ。
そしてツッジャムの城下町とか、近郊の他の村の連中と一緒に、パウアハルトの兵士としてワイスランドとの国境そばまで同行させられたわけ。母さんと義姉さんがどんなに心配したことか」
私は声も出せず、セピイおばさんを見入る。
「と言うわけで、この墓地には、さっきの名誉の戦死者が何人か眠っているんだ。
私から見て叔父さんの一人がワイス人に斬りつけられてね。もう一人の叔父さんは深傷を負って、村に帰り着いてから死んだ。
私が小さい頃に一緒に遊んだ男の子も成人して、従軍していたんだが。敵の鎚矛に頭をかち割られて、帰って来られなかったよ。
何とか生き残った兄さん、あんたたちのお爺さんたちも当然、傷だらけだった」
「そ、それって、グローツがもっと早く助けてくれたら」
「私も、それを言いたいのは山々さ。でもグローツ殿下には言いようもない。言ったところで、聞いても、もらえないよ。今の王族の方々にだって、ね。
それ以前に、パウアハルトが聞いてくれなかった。あの男は、叔父さんたちの遺体の回収を面倒くさがったんだよ。『戦闘中で、そんな暇は無い』とか言い訳して。
仕方ないから、生き残った兄さんたちは、叔父さんや仲間たちの遺体を、何とかして現地の村人たちや教会に預けた。で、この、国境そばの住人たちは一旦、遺体を埋葬してくれたよ。自分たちの墓地に。
それを掘り起こして、全部この村まで運ぶには、少々、年月がかかった。パウアハルトが居なくなって、ジャノメイ様がツッジャム城の城主におさまるまで待たなきゃならなかったんだ」
ううむ。私は腹立たしいような、悲しいような、いろんな気持ちが混ぜこぜになって、なかなか言葉にならない。
その間も、セピイおばさんは話を続ける。
「生きて帰れた兄さんは結構、責められたらしいよ。帰れなかった人たちの家族からね。中には、結婚したばかりで、すぐに未亡人になった娘さんも居たとか。
義姉さんも巻き込まれたんだろう。物陰で泣いているところを、母さんが見かけて『何と声をかけたら良いか、分からなかった』と言っていた。
兄さんたちだって、がんばったんだよ。叔父さんたち、仲間たちの遺体が無理でも、形見になる物だけでも、戦場でかき集めて。そして村まで持って帰ったんだ。衣服の切れっ端とか、持ち物とかね。
それを遺族に配って回った。それでも恨み言を浴びせる人も居たんだとさ」
「そ、そんなっ。文句はパウアハルトか、グローツに言ってよ」
「生き残りの中には、実際に、そう言い返した人も居たかもしれない。
しかし兄さんは、どうも言い返さなかったらしい。
だいぶ後になって私が里帰りした時に、私も詳しく聞き出そうとしたんだが。兄さんは、この件だけは全く話してくれないんだ。義姉さんも話題にしたがらないし。父さんと母さんから事情を聞くのが、やっとだった」
話しながらセピイおばさんは、マルフトさんのお墓を見つめている。
私も思った。マルフトさんも、おそらく戦(いくさ)を体験している。兵士として駆り出されたのか、あるいは兵士たちから暴力を振るわれる住民の立場で。
なんてことを考えていたら、他の名前が頭に浮かんだ。ブラウネンの話からジャノメイやパウアハルトに広がったように、私もマルフトさんから別の人物が気になり出したのだ。マルフトさんはツッジャム城で、彼と言葉を交わしたりしただろうか。
「セピイおばさん。私、今、思い出したんだけど。カーキフの異動先が東北部じゃなかったっけ」
「ほお、覚えていてくれたか。そう、ベイジに片想いして叶わなかったカーキフ。彼が行った先は、まさしく東北部だ。
だったら、ロンギノ様がその東北部を何と説明したか、も覚えているかい?ワイスランド、フィッツランドと、こちらヨランドラの三国がせめぎ合う難所だと。つまり、その難所らしさを活用して、賊どもは騒いだわけだ。
私もカーキフのことを思い出したら、心配になってね。ツッジャム城へ向かう伝令を見かけたんで、手紙を預けた。もちろん宛て先はロンギノ様だ。『今回の賊討伐の戦いに、カーキフも駆り出されているのでは。何かご存知ありませんか』とか書いて。
しばらくしてツッジャム城からもメレディーン城に伝令が来て、ロンギノ様からの返事を持ってきてくれた。ロンギノ様もカーキフを気にかけていたよ。現地にいる知り合いの騎士様たちに手紙を送って、安否確認を頼んでくださっていた。
でも、大したことは分からなくてね。現地の騎士様たちもお忙しかったし、何よりパウアハルトが調査に協力してくれない。これも面倒くさいのか、ロンギノ様に対する嫌がらせなのか。
それでロンギノ様も、推測するしかなかったようだ。カーキフは地元領主の兵士として、戦(いくさ)に参加していただろう、と。
のちにパウアハルトが帰還した時に、ロンギノ様は兵士たちに聞いて回った。ツッジャム城の兵士たちは、カーキフにとっては元同僚。すれ違いでもしたら、分からないはずはないよ。しかしカーキフを見かけた者は居なかった」
セピイおばさんの言葉は、そこで途切れた。
私も何と言ったらいいのか、思い浮かばなかった。自分から話題を振ったのに。
「また、ちょっと先走ったね。戦(いくさ)の後の話を混えるなんて。
賊の討伐は、たしか二ヶ月ほどかかったかねえ。主戦場ではジャッカルゴ様とブラウネン、アダム殿下たちの奮闘で、賊の数が確実に減っていったよ。
それに呼応して、フィッツ人、ワイス人どもの不穏な動きも下火になってね。そう、明らかに呼応していたんだ、あいつらは。
おかげで主戦場は、ヨランドラの綻びとはならなかった。ありがたい事さ。そして、ついにジャッカルゴ様たちが賊の部隊を壊滅させたんだ。
もう他国人がけしかけようにも、その相手が居ない。賊がつくった綻びに乗じて、侵入する事もできない。だから国境付近も、あっさり静かになったとさ」
「よかった。これでブラウネンもジャッカルゴも帰れるわね」と、私も気が急いてしまう。
「私も当時、同じせりふをイリーデに言ってしまったよ。
しかし、ジャッカルゴ様たちには、まだ一仕事、残っていた。都での凱旋。ひっ捕まえた賊の首謀者たちを連れて、アダム殿下がアガスプス宮殿に戻られる。そのお供をしたんだよ。
都の大通りには、殿下の軍団の行進を見ようと、民衆が集まって、すっかりお祭り騒ぎさ。ジャッカルゴ様たちのそばについて行進に加わっていた兵士たちが、メレディーン城に戻ってから、やんや言っていたもんだよ。『メレディーンから出陣する時以上だった』ってね。
しかも。この時、行列の先頭を任されたのはブラウネンなんだ。アダム殿下が事前にジャッカルゴ様に頼んだそうだ。『城下町に入ったら、ブラウネンを借りたい』と。『ヌビ家は私に華を持たせてくれたからな。今度は私がヌビ家、特にブラウネンに華を持たせてたい』なんて、ありがたすぎるお言葉だよ。
というわけで、ブラウネンは行列の先頭で、ヌビ家の旗ではなく、ヨランドラ王家の旗を持った。右腕は添え木に縛られていて、左腕だけでね。ヌビ家の旗は、ブラウネンのすぐ後ろで、アダム殿下の従者が持ってくれたそうだ」
はああ、と私は感心してしまった。
「セ、セピイおばさん。私、軍隊の事はよく知らないけど、それって、すごい事よね」
「そりゃ、そうさ。次の王様である王子様から直々にお声が掛かって、旗持ちだよ。出陣の時にジャッカルゴ様から言われるだけでも充分、自慢になるのに」
「ってことは、イリーデに格好の土産話ができたわね」
「ああ、まさしく、ね。
ただしイリーデは、ブラウネン本人から聞く前に知らされたよ。どうやって伝わったかは、言わなくても分かるだろ」
セピイおばさんが笑みを見せた。よかった、と私も思う。これで二人の再会は確実だ。
「どうだい。なかなか大きなおまけが付いたもんだろう。
でもね。おまけがもう一つ、あるんだ。実は、凱旋の行列にはパウアハルトも加わっていた。とは言っても、兄さんたちみたいな庶民の兵士たちは抜きで、自分のお気に入りの従者たちだけアガスプスに連れて行ったらしいが」
「それでいいんじゃない?オペイクスの話を思い出せば、お爺ちゃんたちが都に行っても、大して楽しめなかったと思うよ」
「同感だね。兄さんは別に、都に行ってみたい、なんて言っていなかったよ。むしろパウアハルトが居ない間に、叔父さんや仲間たちの遺体を地元住民に預けたりするのに専念できたとさ。
で、パウアハルトが何で行列に加わっていたかと言うと、王族がグローツ殿下を通じて、命じたんだ。行列の後で、これまたありがたいお達しがある、と付け加えて」
「もしかして、キオッフィーヌ?」
「そう。ようやくキオッフィーヌ様の根回しが効いてきたのさ。行列の後、パウアハルトは殿下たちに続いて、宮殿に上がった。そして王陛下から直々にお褒めの言葉を賜ったんだ。『パウアハルト・ヌビは実に勇敢に戦った』と。ひいては、パウアハルトをツッジャムのような地方都市に置いておくのは、もったいない。アガスプスに呼んで、宮殿の近衛隊に加えた方が本人のためにもなるし、王族としても頼もしく思う、という話になった。
で、これも王弟様の一人かねえ。こんなお言葉もあった。『おぬしの勇猛さなら、そう日をおかずに、副隊長にもなろう。期待しておるぞ』とかね。それとも、グローツ殿下のお言葉だったのかも」
「パウアハルトは気づいたかな、ツッジャム城を取り上げられる事を」
「まあ、断定はできないけど。居合わせたジャッカルゴ様だって、誰だって、わざわざパウアハルトに本心を尋ねたりしないからね。
でも、他の騎士様や他家なんかから伝わってくる噂を考慮すると、おそらく気づいていたんじゃないかね。それによると、パウアハルトは王族がたに『感謝感激』みたいな返事をしたらしいが、心なしか、笑みが引きつっていた、とか」
「おばさん。その噂、例によって色男さんたちから聞かされたんでしょ」
「ふふ、見え見えだったか。その通りだよ。オーカーさんとアズールさんが、手仕事している私らのところにやって来て、姉さん達としばらく盛り上がっていた。でも結局、シルヴィアさんが締めくくったよ。『陰口も褒められたもんじゃないから、これくらいにして、陰ながら祝福してやりましょう』なんてね」
「あら、ちょっとパウアハルトが可哀想になったのかしら」
「そんなはずはないさ。ただ、話題を変えたかっただけだろ」
セピイおばさんは少し、視線を下げた。
「でも、こうして宮殿での用事も済めば、今度こそブラウネンもジャッカルゴも帰れるよね」私は、もう辛抱できずに急かした。
「うん、ジャッカルゴ隊はメレディーン城に帰還したよ。戦死者もいたし、ブラウネンの折れた右腕は完治しないまま。ジャッカルゴ様も斬りつけられた傷なんかがあって、無事とは言い難いが。とにかくブラウネンとジャッカルゴ様は、生きて帰ってきたんだ。そして、それぞれの花嫁さんに迎えられた」
セピイおばさんは断言して、背筋を伸ばす。午後の暖かい光が、おばさんの顔を照らした。それを見て私も、ホッとする。ずっと聞きたかった言葉が、やっと聞けた。
「さすがに都での行進ほどではなかっただろうけど、あの日のメレディーン城は賑やかだったねえ。客人も多くて、城門を閉められずに開けっ放しになっていた」
「客人?こんな時に?」
「まず、ブラウネンの両親みたいに、それぞれの親族が心配して駆けつけるだろ。それ以外にも、近隣の司教とか豪商とか、中小の権力者たちが押しかけてくるんだ。お見舞いとか、戦勝祝いとか、いろんな口実をもうけてね。もちろん本当の狙いは、ジャッカルゴ様に対するご機嫌伺いさ。
でも、そんな連中はともかく、城内のあちこちで、知り合いの生還を喜ぶ声が上ったよ。厩でも兵舎でも、それこそ通路の途中で立ち話になりながら。
おっと、話が前後した。イリーデは城外に出て、ブラウネンを出迎えたよ。へミーチカ様が誘ってくださったんだ。そうしよう、と」
「おばさんも、ご一緒したのね」
「もちろんだよ。そして女中たち、居残り組の兵士たちもね。要するに、城詰めの若い連中がへミーチカ様にお供して、城の前に並んだのさ。事前に伝令が、ジャッカルゴ隊の到着を知らせてくれていたんだ。
そこに隊列がゆっくり近づいてきた。駆け寄ったヘミーチカ様を、ジャッカルゴ様が下馬して、抱き止める。途端に、大通りの両側から町人たちの歓声が広がったよ。
その歓声の中、ブラウネンも馬から降りた。イリーデが、その首に飛びついて泣き出したよ。すぐ後ろで、彼女の両親がもらい泣きしていた」
私は聞いていて、ほおっと、ため息をついてしまう。やっぱり、こうでなくっちゃ。
「多くの人々の祝福を受けながら、ジャッカルゴ隊は城内に入った。で、さっきも言った通り、客人も交えて、そこかしこで土産話に華が咲いたわけさ。
でもジャッカルゴ様は、司教や豪商との会話もそこそこに、アンディン様の居る書斎に向かったよ。もちろんヘミーチカ様を連れてね。ブラウネンとイリーデも後に続いた。
それを見てノコさんが、私も行って同席しろ、と言い出したよ。奥方キオッフィーヌ様から何か指示があるかもしれないから、とね。
行ったら、オペイクス様も居られた。で、私は書斎の後ろの方で、オペイクス様と並んで、控えていた。
ジャッカルゴ様が手短かに戦況を報告したよ。フィッツランド、ワイスランドの関与は断定できず仕舞いだったが、賊どもは完全に滅ぼした、と。都での凱旋中でも、メレディーン城への帰路でも、もう、賊どもの狼藉は聞こえてこなかった。
キオッフィーヌ様が『よくやってくれました』と労っておられた。アンディン様も、言葉こそ無かったが、何とも満足げな笑みを浮かべて。
と思ったら、アンディン様は椅子から立ち上がって、ゆっくりブラウネンに歩み寄った。そして彼の折れた右腕を添え木ごと掴んだ。途端に、ブラウネンが顔を歪ませたよ。イリーデが息を呑む声も聞こえた。
『痛むか』とアンディン様が尋ねて、『痛いです』とブラウネンも答える。すぐ隣りでイリーデが抗議しようか迷う横顔が、後ろの私からも見えたよ。
それなのに、アンディン様ときたら、こんなふうに言うんだ。『うむ。これくらいで良かろう』と」
「えっ。ええ?」
「私も、そう声が出そうになったのを、何とか呑み込んだよ。
そんな私やイリーデに構わず、アンディン様は続けるんだ。『どうだ、オペイクス。私の判断が正しかっただろう』
オペイクス様は答えながら、少し微笑んだよ。『全くです。失礼いたしました』
で、今度はジャッカルゴ様がオペイクス様の方に拳を突き出してみせた。『というわけで次回は、オペイクスも、もう少し俺を信用してくれよな』ってね。
『そ、そんなつもりではないのです』とかオペイクス様が慌てて、アンディン様たちが笑うと、場が和んだ。
イリーデだけはまだ表情が硬かったんだが、それも心配なかった。アンディン様とキオッフィーヌ様から、ブラウネンを自分の実家に連れ帰って、休ませるよう、言われたんだ」
「ブラウネンの実家じゃなくて?それって、またイリーデの家で晩餐会に招待してやれってこと?」
「そう。ついでに、ブラウネンは療養を兼ねて、しばらく城に上がらなくても良い、とのお達しだ」
へえ〜、と私は声をもらしてしまう。
しかし、おばさんに目を覗き込まれないうちに、少し話をそらしておこう。
「で、でも、右腕の骨折を見て、これくらいで良かろうって、どういうこと」
「ふふ、あんたも不思議に思うか。アンディン様の書斎を退室した後で、私も気になって、オペイクス様に尋ねたよ。
オペイクス様は親切に説明してくださったね。この時の賊討伐がジャッカルゴ様やブラウネンに戦(いくさ)の経験を積ませるという意味があった事は、あんたも覚えているだろう。その経験として、ちょうど良かろう、とアンディン様は、おっしゃったのさ」
「え?え?」
「やれやれ分かりにくいか。だったら、少しずらして考えてごらん。
一つは、ブラウネンが、ほとんど無傷の場合。あんたが、その立場だったら、どう思う。戦(いくさ)に行っても、ほとんど無傷で帰って来られたら。私だったら、戦(いくさ)なんて大したこと無い、と勘違いするねえ。
もう一つは、逆に、とんでもない大怪我をした場合。下手すれば命を落としかねないような大怪我とか、だよ。今度は逆に、戦(いくさ)が怖くて怖くて、たまらなくなるだろう。
ここまで言えば、あんたも、もう分かるんじゃないかい?ブラウネンは、そのどちらの場合にも、なるわけにいかなかったのさ。騎士として、戦(いくさ)をなめてかからず、かと言って怖がり過ぎない。その意味では、ブラウネンの骨折は程よい痛手だったってわけ」
「えー。てことは、ある程度、痛い思いをしなきゃならなかったってこと?」
「そうだよ。そして、それはブラウネンだけじゃない。ジャッカルゴ様もジャノメイ様も、オーデイショー様のご子息二人も、それこそ三人の王子様たちだって、経験しなければならない痛みだった。騎士や貴族の男たちが一度は通らなければならない道なんだよ」
う〜む。私は何も言えなくなってしまう。なるほど、とか言う気にもなれない。
と、一つ、気がついて、話をつなぐ事ができた。
「今思ったんだけど、ブラウネンが夜な夜なアンディンやジャッカルゴに連れて行かれて、吐くような体験をして戻って来たのは、あれは何か特訓なのね。戦(いくさ)に関係する、それこそ剣や槍なんかの」
「ほほう。もう、ほとんど見抜いたようだね。だが、その詳しい内容は、また今度、離れで話そう。イリーデ家での晩餐会の事も含めて。どちらも、マルフトさんに聞かせるような話じゃないからね」
セピイおばさんは立ち上がって、背伸びした。私も追いかけるように立ち上がる。
「さあ、そろそろ戻ろう。とにかくイリーデとブラウネンは再会したんだ。後は、慌てなくても大丈夫だろ」
歩き出したセピイおばさんの目が、私を見て笑っている。やっぱり見抜かれているかなあ。私が何を聞きたがっているか、を。
だって気になるんだもん。という言い訳を呑み込んで、私はおばさんの後に続いた。