紋章のような

My name is Samataka. I made coats of arms in my own way. Please accept my apologies. I didn't understand heraldry. I made coats of arms in escutcheons.

自作小説「塔の上のセピイ  〜中世キリスト教社会の城女中の話」第二話

第二話「話を始めるにあたって」

 

 翌朝、セピイおばさんは私より先に起きていた。朝靄の中、四軒もある離れの一つから別の離れへ、はたまた馬車から離れへ、と行き来している。手荷物を持っていたり、いなかったり。朝から忙しないなあ。

 そのまま盗み見していたくもあったが、怒られたくないし、きっと気づかれるだろう。おばさんは鋭いのだ。ここは潔く挨拶しておく。

「おはよう、セピイおばさん」

「おはよう、プルーデンス。でも、あんたもそろそろ親より早く起きて、家事をするべきだね」

 ぐっ。早速、お小言を喰らった。実際、父さんは家畜の世話をやき、母さんは朝のスープを温めていた。私も水汲みくらいしてくるか。しかし、その前に。

「おばさん、あまり寝てないんじゃないの」

「まあね。でも後で、たっぷり昼寝させてもらうから、心配ご無用だよ」

 私は意を決して言った。「おばさん。今夜、おばさんの離れに行っていい?」

 おばさんは二、三秒、私をじっと見た。私は判決を待つ。

「あんたの両親や弟が寝静まってから、なんだろ。内緒の相談事でも、あんのかい?」

「そんなんじゃないんだけど」へへっ、と私はできるだけ笑顔をつくった。

「急用じゃないなら、あと二、三日は我慢しとくれ。私もまだ、落ち着いたとは言えないんだ」

 よかった。全然だめ、というわけじゃない。しかし延期か。じれるなあ。

 その後、母さんの手伝いをちょっとだけして、朝食にありついた。そして野良仕事。要するに、いつも通りの生活である。

 セピイおばさんは結局、朝食も取らずに寝てしまった。昼寝と言うより、朝寝。

 正午すぎ、おばさん宛で荷車が届けられた。もちろん荷物が満載されている。村人がまた集まりかけたが、父さんがセピイおばさん個人の家財道具だと説明して、寄せつけなかった。父さんは、荷物の追加があることを知っていたのだろう。

 どうにしろ、セピイおばさんがすぐに飛び起きて指図したので、荷物の処置には困らなかった。父さんをはじめ一家の男連中は、力仕事が増えて閉口したみたいだけど。

 

 荷車は翌日も来た。四つも増やした離れも、さすがに空きがかなり埋まったらしい。弟も私も、離れを一つくらいもらえないかと勝手に期待していたのだが。こうなると、もう無理だ。

 さらに翌日。さすがに荷車は来なかった。セピイおばさんも日中、姿を現して、畑仕事を少し手伝ったりしていた。つまり、おばさんも田舎の生活に戻ったということ。

 その夜。私は、夕食の後でセピイおばさんに話しかけるべきか迷っていた。それを見抜かれたのだろう。家の外の厠に行く途中で、おばさんとすれ違いになり、小声で言われた。

「トムが寝付いたら、そっと抜け出してきなさい。明かりがついてないように見えても、私は起きているから安心するんだよ」

 やった。ついに来た。私は飛び上がりたいのを我慢して、おばさんに静かに返事した。

 ありがたいことにその夜は、弟トムが寝床でいびきをかき始めるのが早かった。たまには気が利くじゃない。心の中で弟を褒めながら、私は、そっと部屋を出た。

 そして家の裏手へ。まん丸の月が、我が家と周りの草木を、ほの白く照らしていた。

 セピイおばさんが寝起きしている離れは、我が家から二番目に近い。一番近い離れは我が家の物置だが、残りの離れは全部、おばさんが使用中だ。村の功労者なんだから、これくらいの要望は叶えてあげないと。

 いずれにせよ、私はセピイおばさんの離れを間違えたりしない。しかも扉から弱い光が漏れていたから、すぐに分かった。ふふっ、私を呼んでいるみたい。

 私は、ごく控えめに扉を叩いた。

「おばさん。私よ、プルーデンスよ。入っていい?」

 セピイおばさんは返事の代わりに扉から体を半分出して、周りを見回した。それから私を離れの中に招き入れたが、その後もう一度、外を確認した。

 扉を閉めると、おばさんは私に尋ねた。

「誰にも見られてないね」

「もちろんよ。弟にも、父さん母さんにも」

「よその連中にも気をつけるんだよ」

 私は快諾した。なぜこんなに周囲の目を気にするのか知りたいけど、今は焦っちゃ、だめ。とにかく、おばさんの言う通りにするんだ。

 離れの中は、ちびたロウソクの明かりで何とか見えた。前に覗いた時は空っぽだった内部は、寝具などの家具を揃えて、しっかり生活の場になっていた。書き物をするための机と椅子もある。

 セピイおばさんは、机の反対側に置かれたベッドに私を腰掛けさせ、自分は椅子に座った。それで向かい合う形になった。

「まず言っておくよ。今みたいに夜中に二人で会う時は小声で話す。人に見られないようにする。いいね」

「分かった」と私も即答した。

「それと、今夜は月がしっかり照らしてくれるから、ロウソクも節約しようかね」

 セピイおばさんはロウソクの火を消して、窓を開けた。月明かりが斜めに部屋の中に入ってきた。少し寒いが、風は、ほとんど無い。

「充分、見えるだろ」

「うん、大丈夫」

「さてと、準備ができたところで、まずは私から質問だ。私に何を頼みたいのかい」

「おばさん、私」

 意気込んで声が大きくなりかけたら、おばさんの指がスッと伸びて、私の上唇を軽く押さえた。私は改めて声量を下げた。

「私、いろんなことが知りたいの。おばさんがヌビ家で見聞きした事。ヌビ家を含めた、このヨランドラ全体の事。もっと言えば他の国の事や、海の向こうのヨーロッパの事も。要するに、おばさんが知っている事を全部教えてほしい。私、世の中を知りたいのよ」

 気がついたら、私は腰掛けたベッドから離れて、おばさんの手を握って、その膝にすがりついていた。

「やれやれ重くなったねえ。そう慌てないで、ベッドを使っておくれ」

 セピイおばさんは私の肩をつかんで、ゆっくりベッドに戻した。

「小さかった頃も、そうやって私に話をねだっていたね。背が伸びたようで、変わっていないところもある」

 おばさんの言葉に、私は多少、赤面したと思う。暗くて、おばさんに見えないといいけど。

「おばさん、お願い」

「だから、慌てなさんなって。私も、あんたには教えたいことが山ほどあるんだよ。そろそろ頃合いかもしれない、とも思っていた」

「本当っ?」

 つい声がはっきり出てしまって、とうとう私の口はセピイおばさんの手で塞がれた。

「この調子じゃ、先が思いやられるねえ」

「ご、ごめんなさい」

 私は、ちょっと泣きたくなったが。

「ちゃんと教えるから安心しなさい。私もあんたに教えないまんまじゃ、死んでも死にきれないよ」

「お、おばさん」

「例えば、で言っただけだよ。べつに持病も無いんだ。たっぷり、この村でくつろがせてもらうからね、私は」

 おばさんの強気を聞いて、やっと私も安心できた。

「でもね、プルーデンス。あんたも、よく考えながら私の話を聞くんだよ。あんたが知りたがっているものには、ヌビ家みたいな大貴族の秘め事や、あるいはヨランドラの政治に関わるような事も少なくないんだ。こうやって声をひそめる理由が分かるだろ」

 私は息をのんだ。

「こんな片田舎で、なんて油断はできないよ。誰がどこで聞き耳を立てているか、分かったもんじゃないんだ。そもそも、この村はヌビ家の領地だからね。ヨランドラの政治と全く無関係ってわけじゃないのさ」

 セピイおばさんは、窓から身を乗り出して、周りを確かめた。そして椅子に戻る。

「おばさんは、本当にヌビ家から追い出されたの?」

「そうだ、と今は言っておこう。事情は簡単じゃないんだ。そのうち少しずつ話すから、今は考えないこと。いいね」

「はい」

 返事しながら、私はホッとした。よかった。まだセピイおばさんはヌビ家とつながりがあるんだ。でも、それをおばさんが秘密にしたいのなら、私も合わせるのみ。

「さて、二つ目の質問をさせておくれ。プルーデンス。あんたは幾つになった」

「十四よ。もう子どもじゃないわ」

「ああ私も、そう思って見ているよ。

 では、月のものも来ているね」

「ええ、だいぶ前からよ。いつでもお嫁に行けるんだから」

「おや、行きたくなるような相手を見つけたのかい」

 暗い中でも、おばさんがニヤリとしたのが分かる。

「それは、まだだけど。村の中では探したくないし。せめて街の商家の息子かな。でも、ほんとは、それも嫌。全然、物足りないもん」

「それはまた、なかなか条件が厳しそうだね。貴族の奥さんにでもなるつもりかい」

「なれたら完璧よ。だけど私みたいな田舎娘じゃ、なれるわけないし。そんなお伽噺みたいな事、実際には無いって、私も分かっているわ」

「結婚したら、村を出たいか」

「そう。何とかして、この村を出たいの。私もおばさんみたいに、都や大きな城下町で暮らしてみたい。毎日いろんなものを見聞きできるような生活をしてみたい。

 で、考えたんだけど、私もおばさんみたいに、お女中さんになれないかな」

 途端にセピイおばさんの指が、さっきよりも早く飛んできて、私の唇を押さえた。

「簡単に言うんじゃないよ。派手に見えているかもしれないが、楽しいことばかりじゃないんだ。むしろ女中になっても、楽しいことなんて少ない、と思いなさい」

「わ、分かりました」

 私はびっくりして、体が固くなった。セピイおばさんが怒っている。静かに、だけど、だからこそ本気。

「それこそ、あんたの母さんが聞いたら泣くよ。二度と、そんなことは言わないでおくれ。特に外では、ね」

「私の母さんが」

「ああ、ミリーは泣くね。時には、あんたたち親子も喧嘩したかもしれない。しかし、あんたの母さんはちゃんと、あんたのことを気にかけているよ。

 そう言えば、私の母さん、つまりプルーデンスから見れば、ひいおばあちゃんだが、私が村を出てから時々泣いていたそうだね」

「そうだったの」私は絶句しかけた。「お女中さんになるって、そんな意味なの?」

「少なくとも、このヨランドラではね。よその国では、どうか知らないよ。こちらでしか、女中を務めた事が無いから。でも、まあ、似たようなもんだろ」

 うーん、これは困った。結構いい手だと期待していたのに。

「そこら辺の事情も、さっきと同じ、そのうち少しずつ、さ。

 でも、そのためには先に、あんたに断っておかなければならないことがあってね」

「私に断り?」私は目が丸くなった。

「そうだよ。と言うか、覚悟だね。あんたに覚悟してもらいたいと思っている。

 そのために、また質問だよ。幾つめになるのかね。ま、数はともかく。

 さっきと似た質問だよ。好きな男はいないようが、言い寄ってくる男はいるんじゃないのかい」

「うーん。言い寄るってほどじゃないけど、こいつ絶対、私に気があるんだろうなって男子なら一人、いるよ。やたら話しかけてくるし、そうじゃなくても、私をちらちら見る」

「そいつはあんたに意地悪してきたり、するかい。それとも、すごく親切か」

「まあ、悪い奴じゃないわよ。でも大して話も面白くないし。まず、ものを知らないわ。やっぱり田舎者よ」

 暗い中、またセピイおばさんが笑った。

「頼もしいよ、プルーデンス。あんたには、男に厳しく、と教えようと思っていたが、手間が省けたようだね。逆に、少し加減してやんなさいって言いそうになっちまった」

「えっ、私、ちょっと言い過ぎ?」

「いや、いいんだよ。ただし今度、畑仕事の時に、あんたの言う男子が誰か教えなさい。鑑定してやろう」

「おばさんこそ、あんまり、いじめないでね。あいつ、すぐ凹むから」

「分かったよ」おばさんは体を揺すって、声を抑えて笑った。

「では、さらに質問。あんた、そいつに裸を見られた事があるかい」

「えっ」

 私は、おばさんのベッドから飛び上がりそうになった。

 「無いわよ。そんな覚え、無いわ。もしかして私、覗かれているかもしれないの?」

「いや、あんたなら、見られた事に気づくはずだから、大丈夫だろ。

 逆に、そいつの裸を見た事はあるかい。べつに、そいつじゃなくてもいい。あんたの父さんと弟以外で、誰か男の裸を見た事は?」

「な、無いわよ。あるわけないじゃない。

 おばさん、何の話をしているの」

「何って、女と男のことさ。月のものが来るようになって、男と肌を合わせた事があるかどうか」

「無い無い。まさか、おばさんは私を信じてくれていないの?」

「信じているさ。あんたの名付け親は私だよ。あんたがしょうもない男に引っかからないように、と願いを込めてプルーデンスと付けたんだからね。とりあえず効果があったようで、わたしゃ嬉しいよ」

 暗くても、おばさんがくすくす笑っているのが分かる。それで私は、ハッとした。

「まさか、おばさんが教えておきたいことって、そういうこと?」

「そうだよ、女と男のこと。て、あんた、また声が大きくなったよ」

 おばさんから笑いながら注意されても、私は返事できなかった。何と返したらいいか、分からなくて、口をパクパクさせるだけ。まさかセピイおばさんと、こんな話をする日が来るなんて。全然、考えていなかった。

「きわどい話になることは百も承知さ。でも私は、あんたに教えなきゃいけないと思う。プルーデンス。あんたはもう、そういう年頃なんだ」

 セピイおばさんは笑うのをやめて、私をひたと見た。私は、また気づいた。

「つまり、おばさんの言う覚悟って、これなのね。きわどい話でも受け止める覚悟」

「そう。覚悟してくれなきゃ、私も話のしようがない」

 私も、セピイおばさんを改めて見つめた。父方の祖父の妹。血のつながりがある、貴重な人材。そして今、私の先生になってくれようとしている。

「どう。話を聞くのが怖くなったかい?」

「いいえ。覚悟なら、とっくにできているわ。おばさん、教えてください」

 私はつい、また、おばさんの膝にすがってしまった。

「よろしい」

 セピイおばさんは私に握られた手の片方をそっと抜いて、さらに私の手の上に重ねた。

「しっかり聞いておくれ。そして、たくさん考えて、自分の人生を切り開くんだ。それが、この大叔母さんからのお願いだよ」

 私は胸が詰まると言うか、また返す言葉が思いつかなかった。はいっ、と返事するのが、やっとだった。

「さてと」セピイおばさんは私の手を、ぽんっと軽く叩いた。

「心構えができたってことで、今夜は、これくらいにしておこうかね。本格的な話は、次からにしよう」

「えっ」私は声が裏返った。「そ、そんなこと言わないで、早速、一つくらい話してよ」

 おばさんは、またニヤニヤする。暗くても月明かりで、ちゃんと分かるんだから。

「せっかちだねえ。まあ、私があんたの立場でも、やっぱり催促したが」

 言いながらセピイおばさんは、私をベッドに戻した。

(第三話に続く)